江戸小紋ととび小紋
増田朋美
江戸小紋ととび小紋
いくら暑い日が続いても、冷たい風が吹いてきて、もう冬だなと思わせる日がやってきた。もうそろそろ二重回しが必要だなと思われるくらい寒い日であったその日。
「杉ちゃん、右城くん、ちょっとそうだんがあるのよ。聞いてくれないかしら。お願いしますよ。」
と、サザエさんの花沢さんによくにた声がして、浜島咲がやってきたことがわかった。ちょうど水穂さんにご飯を食べさせようとした杉ちゃんが、
「ああいいよ。はいれ。」
というと、
「はい。入らせてもらうわよ。藤井さんもいっしょに入って。今日は着物に詳しい人に話を聞いてもらうんだから。」
ということは、咲は誰かを連れてきたということである。その証拠に別の声で、
「すみません、お邪魔します。」
というのが聞こえてきた。
「はい。どうしたんですか?着物について相談ですか?」
水穂さんがそう言うと、
「ちょっと入らせてもらうわね。杉ちゃんも右城くんも聞いて。この彼女の着物のことなんですけど。」
と咲は、一人の女性を連れて、四畳半にやってきた。
「確か、藤井さんと仰ってましたね。一体どうされたんです?着物についてなにかトラブルでもあったんですか?」
水穂さんが優しくそう言うと、
「さすが右城くん、よく分かるわね。正しくそうなのよ。」
咲は、話し始めた。
「彼女は藤井えりさんと言うんですけどね。一週間前から、苑子さんのお教室に通っている新入生なのよ。なんでも、琴を習いたいだけではなく、着物の着付けも同時に習いたいということでね。着付け教室にも通い始めたそうなのよ。」
「はあ、つまりお琴教室と着付け教室と並行して習っているわけだね。それでも結構お金がかかったのでは?」
と、杉ちゃんが言った。
「そうなのよ、それでトラブルというのはここから。彼女、お琴教室に行くための着物を買おうと思ったんですって。それで着付け教室の先生に、相談したようなのよ。そうしたら今着ている着物を勧められたんですって。」
咲は大きなため息をついて話を続けた。そう言われて、みんな藤井えりさんの着ている着物を見た。もみじの葉と流水の柄を、赤や白などで入れた飛び柄小紋の着物を着ている。
「これが着付け教室の斡旋した着物だったわけか。まあ確かに、紅葉と流水じゃ、そんなに派手すぎず地味すぎず、お稽古に向いているといえば向いていると思うけどさあ。」
と、杉ちゃんは言った。
「それで、何が悪かったんだろう?」
「そうでしょう、そう思うでしょう。それなのに苑子さんと来たら、こんな着物でお稽古に来るなんて、許せないって言うのよ。じゃあ何を着たらいいのかって聞いたら、色無地か江戸小紋を着るようにって言って激怒するのよ。」
咲は嫌そうに言った。
「着付け教室では、お琴のお稽古にはこれがいいって言われたから買ったのに、なんで苑子さんったらあんなに怒るのかしら。その理由がよくわからないのよね。だから、どこが悪いのか、そしてどう改善したらいいのかわからないので、杉ちゃんや右城くんに相談にこさせてもらったのよ。」
「はあなるほどねえ。確かに江戸小紋と飛び小紋では、偉い違いだわな。江戸小紋は礼装として使用できるが、飛び柄小紋は、ただの遊び着だからな。着付け教室の先生はそこは教えてくれなかったの?」
杉ちゃんが聞くと、
「はい教えてくれませんでした。小紋としか習えなかったんです。」
藤井えりさんはそう答えた。
「それでも飛び柄小紋と江戸小紋を区別しないで同じ小紋にしてしまうのは、困った着付け教室ですね。それは、杉ちゃんのいう通り、使用目的は違いますし、その違いを教えるのも着付け教室の役目だと思うんですけどね。それをしないのは職務怠業ということになるのではありませんか?それではいけないですよね。」
水穂さんが心配そうに言った。
「職務怠業というか、着物を知らなすぎる人が着付け教室をやってるような気がする。役目を果たして無いっていうか。」
杉ちゃんがそう言うと、
「じゃあ、違いを教えてあげてよ。江戸小紋と飛び小紋をどうやって見分けるようになれるか、コツみたいなのがあるでしょう。苑子さんも、そこは教えないで怒るから、聞いていてブチ切れそうになったわ。」
咲がまたため息をついて杉ちゃんに言った。
「だからね。隙間を入れて大きな柄を入れてあるのが飛び柄小紋で、隙間なく小さな柄をびっしり入れてあるのが江戸小紋だよ。それに、江戸小紋は鮫とか通しとか、行儀とか、そういう格の高い柄があるの。それくらいは着付け教室で教えてもらえなかったの?」
杉ちゃんが言うと、
「はい、教えてもらえませんでした。鮫とか通しとか行儀などそんな言葉は初めて聞きました。上下関係なく全体に同じ柄を入れたのが小紋だとしか教えてもらえませんでした。」
と、藤井えりさんは答えた。
「はあ、それで、礼装にはしないと言うのは教えてもらえた?」
「いいえ、それも言われませんでした。ただ、外出着として、観劇や、食事などに幅広く使えると言われました。お琴教室に着てはいけないというのも言われませんでした。だから私は、着てもいいと思ったんです。」
「なるほどね。随分困った着付け教室だな。基本的に、伝統文化を習うときは、礼装が必要なの。お琴教室に着るんだったら、訪問着みたいな自己主張する着物ではなくて、色無地や江戸小紋といった控えめな略礼装を着るんだよ。着付け教室の言うことは全部が正しいわけじゃないから、鵜呑みにしちゃだめ。特に伝統文化を習うんだったら、流派とか、先生の階級なんかで違うことが多いから、それはしっかり学ばなくちゃだめだよ。」
杉ちゃんはにこやかに言った。
「そうしなくちゃ。もしかして、お前さんは鮫小紋とか、そういう江戸小紋を持ってないの?」
「はい、持っていません。着付け教室のススメで買わされた着物しか持っていないんです。」
藤井さんはそういった。
「じゃあ、そういうことなら、リサイクルの着物屋でも行ってだな。すぐ買ってくるといいよ。そういうときはな、ちゃんと細かい柄がびっしり入っているだけではなく、正絹とか化繊とかちゃんと確認してから買うことだな。それはちゃんと見極めてから購入してね。」
杉ちゃんがでかい声で言った。
「わかりました。それでは気をつけて購入します。こんな私ですけど、お琴をならいない気持ちは十分あります。だから、わたしも、ちゃんとお琴教室に適した着物を買いたいです。」
藤井さんは誓いの言葉を述べるように言った。
「よしよし、それくらいの意志があるのなら大丈夫だ。着物をしっかり見比べられるようになりや。それに、着物を学ぶんだから、多かれ少なかれ、失敗するのは当然だよ。今回みたいに着付け教室の言うことが全部通用するということも学べただろ。それはちゃんと使い分けしないとね。」
杉ちゃんに言われて藤井さんは、
「どうもありがとうございます。」
と頭を下げた。
「それにしても、飛び柄小紋と江戸小紋を区別しないで教える着付け教室なんてどこにあるんだろうね。また教え方にも問題がありそうだね。」
杉ちゃんが腕組みをしていった。
「ええなんでも服部着物スクールと言うところらしいわ。」
と、咲がすぐいった。
「服部着物スクール?聞いたことのない着付け教室だな。と言っても、僕は着付け教室には縁もゆかりもないけどさあ。」
「杉ちゃんは知らないと思いますが、かなり有名なところですよ。服部ゆりえさんという女性が始めたところで、着物の着付けを教えてくれるところだって。」
と、水穂さんが言った。
「そうか。着付け教室なんていらないのにね。着付けなんて一人で学べばいいのにさあ。なんでわざわざ習わなくちゃいけないのかな。やな感じ。」
「まあ確かに杉ちゃんの言うとおりかもしれないけれど、今の時代は、教えてくれる人も居ないから、そういうところへ頼らざるを得ないのよ。」
咲は杉ちゃんに言った。
「でも確かに、着付け教室は、着物を強引に買わされたり、役に立たない小道具を無理やり買わされたりするのは困りますよね。それは確かに、着付け教室のやなところです。それに訪問着と付下げの区別も教えなかったり、先程のように小紋のことも教えないとか。」
水穂さんがそういった。
「そうなんだねえ。着物の事をちゃんと教えないのは困るよな。いくら売上が上がるからとかそういうことは言ってもさ。着物はきちんと着なくちゃだめだよ。そういうことなら、その服部着物スクールというのはどこにあるのか教えてくれるか?」
不意に杉ちゃんがそういったため、咲も藤井さんもびっくりする。
「ええと、吉原駅近くにあるのですけど、、、。」
と藤井さんが言うと、
「よし!今から吉原駅の近くへ行って、乗り込んじゃおう!飛び小紋と江戸小紋の区別もしないで教えてるやつなんてろくな教室じゃないよ。もっと着物の事をしっかり教えろと、注意してこよう!」
と杉ちゃんが言った。
「乗り込んじゃおうって杉ちゃん、名誉毀損で訴えられることだってあるんですよ。そんな事したら。」
水穂さんがそう言うが、
「一度決めたら、やり通すのが男の義理だろ。すぐにタクシー呼んでさ、いってこようよ!だって、職務怠業どころか、ひどすぎるもん。これからの着物の格付けがよりおかしくなるぞ。現に先程水穂さんが言った通り、訪問着と付下げの区別もなくなりつつあるんだからな。一つの着物が消えるっていうことは、日本の文化が消えるということでもあるんだから。すぐ乗り込んで行くぜ!」
と、杉ちゃんはすぐいった。
「そうね杉ちゃんの言うとおりかもしれないわ。じゃああたしも行こうかな。あたしと、藤井さんと三人で行けば少し説得ができるかな。もちろんあたしは着物のことは杉ちゃんみたいに何でも知っているわけじゃないけど、でも着物を着るような職場で働かせてもらっているんだし。それなら、そういうだらしない着付け教室をなんとかする義務はあるわ。」
咲も、杉ちゃんに同調して言った。水穂さんは大丈夫ですかと言ったのであるが、
「すぐに行かせていただきますよ。それでは出かけよう!」
と杉ちゃんは言った。水穂さんがすぐに岳南タクシーに電話をしてくれたので、15分くらいしてタクシーがやってきた。杉ちゃんと咲、そして藤井さんは、それに乗り、吉原駅の近くにある服部着物スクールというところに行くことにした。
服部着物スクールは、ただの貸事務所を借りて行っている着付け教室であった。入り口にはただ、服部着物スクール、着付け教室と書いてある貼り紙がしてあるだけである。
「すみません。」
と咲が入り口のドアを叩くと、
「はい。どちらの方でしょうか?」
と中年の女性がドアを開けた。
「あのね、僕は影山杉三で杉ちゃんって呼んでね。職業は和裁屋。それからこっちは親友の、、、。」
杉ちゃんがそういうと、咲がそれを遮って、
「あの、ちょっと着付け教室というものを見学させて頂きたいと思いまして。こちらに通っている藤井さんから紹介を受けたんです。名前は浜島咲と申します。」
と言った。
「はい。私が、二人を連れてきました。」
と藤井さんが言うと、
「そうですか。車椅子の方は初めて見たので、びっくりしましたが、それでも良ければお入りください。」
女性は、そう言って杉ちゃんたちを事務所の中へ招き入れた。
「皆様方は、三人とも着物を着ていますけど、また学び直したいと思われたのですか?」
女性に言われて咲は、
「ええ、着物の種類というか格についてちゃんと習いたいと思ったんですよ。私は、着物を着ることはできますが、格のことはちゃんと覚えてないものですから。」
と、女性に言った。全員部屋に入ると、一人の着物を着た女性が三人を出迎えた。
「こちら生徒の松浦菜々子ちゃん。そして私が、ここの教室の、服部ゆりえです。」
女性がそう紹介すると、
「はじめまして、松浦菜々子です。」
女性が自己紹介した。その口調から判断するとちょっとハンディがある女性のように見えた。別に足が悪いとかそういう訳では無い。それよりも、知的障害とか、そういう印象を与える女性だった。その松浦菜々子さんという女性も、可愛い感じの着物を着ているが、
「これは小紋柄の小振袖だね。」
と、杉ちゃんがすぐ言った。ところがその松浦菜々子さんが、
「違います。これは小紋です。」
というのでまたびっくりした。ということはこの教室、飛び小紋と小振袖の区別も教えていないらしい。
「ちょっと、ちょっとまってくれ。これが小紋というのは何を根拠にそう言っているのかな?」
杉ちゃんが聞くと、
「根拠ってなんですか?」
菜々子さんは言った。
「だからあ、これは小紋なんかじゃないよ。袖をよく見て。これは丸みの大きな元禄袖だろ?それで、袖丈は、少なくとも膝まで届いてるんだから、これは小紋なんかじゃない。これは、小紋柄の小振袖。違いをよく見てから着分けるようにしてくれ。」
と、杉ちゃんが言うと、服部ゆりえさんがそんな事を言われたら困るという顔をした。
「何だいその顔は。なんでそんな顔しているの?振袖は絵羽柄と小紋柄があることも教えてなかったのか?ただ、袖が長いだけじゃ、通用しないよ。本振袖、中振袖、小振袖。三種類あって、それぞれ着る役目も違うじゃないか。」
杉ちゃんはでかい声で言った。
「確かに振袖は3種類あるというのは教えました。でも、それを実用的に着分けるシーンもないので、本振袖中振袖は区別しないことにしています。」
ゆりえさんがそう言うと、
「嫌だなあ。昔は、本振袖は結婚式に着て、中振袖は成人式に着て、2つ用意させて置くもんだったんだぜ。それも知らなかったとは言わせないよ。小振袖は、式典だけではなく、訪問着と同様に、観劇や食事などちょっとおしゃれをしたいときに着るんだよ。それも教えないで、小振袖を小紋なんて教えていたら、振袖の種類を使い分ける文化がなくなってしまうよ。」
と、杉ちゃんは言った。
「そうかも知れないけど、着物の種類なんて、全部詳しく教えて居たら、それでは、着物を着るきっかけもなくなってしまいますわね。」
ゆりえさんが言った。
「いや、それはどうかな。僕がお前さんの立場だったら、着物はちゃんと教えて、種類も柄の意味もちゃんと伝えたいな。着物を着るって言うことは、日本の歴史を身にまとうことでもあるんだ。それをちゃんと後世に伝えておきたいよね。ただ、売上がどうのとか、着る機会がなくなるとか、そういう事ばっかり考えるんじゃなくてね。」
杉ちゃんがそう言うと、ゆりえさんは辛そうな顔をした。
「そうかも知れないけど、着物を着る機会はだんだん減って着てるでしょ。このままでは全くなくなってしまうわよ。そういうことがないように、着物を着るきっかけを作らなければならないのよ。それには格のこととか、さっきも言った通り、振袖には3種類あるとか、そういうことは、知っているかもしれないけど、教えたら、着物から離れるきっかけにもなってしまう。だったら、本当に好きなように着ればそれでいいって、思わせないと。そうするしか、あたしたちは、やっていけないのよ。」
そういうゆりえさんに、すぐに反発するのも杉ちゃんである。もしかしたらこういうことは、杉ちゃんでないと言えないのかもしれない。
「いや。そんなことはない。着物というのは、いつどこで誰が何をどのようにどうするかとをしっかり考えてから、初めて何を着るかが決定されるものだし、それを考えることこそ、着物の文化でもあるんだ。どこへ行くときは訪問着、どこへ行くときは江戸小紋、どこへ行くときは小振袖というように、使い分けるのが着物と言うものでもあるし、着物の特権でもある。だからそれは、頑張らないと。それを伝えることをしていかないと。それだって、着物にとっても大事なことだよ。今は、数百円で着物が買える時代でもあるし。そうやって手軽に入手できるんだから、それこそ楽しく着るための方法を伝授していくことだって大事だと思うんだよね。それは必要なことでは無いのかな?むやみに自由にさせてしまうのではなくな。」
「そうですよ。」
杉ちゃんだけではなく、咲もそう言ってしまうのであった。
「うちのお琴の先生だって、まだまだ着物を残していきたいって言って、頑張ってるんです。確かに、お琴教室には着物を着なければ行けなくて、それが極端すぎるくらい厳しい人ですけれども、でもそれは、着物を将来に向けて残していきたいからだって言ってます。お宅では、江戸小紋と飛び小紋を区別しないそうですが、お教室ではまだ色無地や江戸小紋が制服の様になっています。よく彼女は言ってました。まだ、色無地を義務付ける社中が消えたわけではないと。」
「そうそう。もちろん、いろんな事を省略したり便利なお道具を開発するのが着付け教室なのかもしれないけどさ、それが全てじゃないって事も、わかってほしいなあ。今は、着物なんて一生着なくてもいい人だってあらあ。そんな中で、着物を伝えていくっていうのは、本当に貴重なことだと思うし、大事なことだと思うんだよね。だからこそあえて面倒な道を行く。そういう人だって居ると思うんだよ。」
杉ちゃんに言われて、服部先生は、静かに頷いた。
「そうかも知れないわね。」
服部先生は静かに呟く。
「それに、本当に着物を着たい人がここへ来たとき、何でも省略便利なお道具で釣っても意味は無いぜ。本当に着たい人が来れないでどうする?それでは大事な後継者がなくなることでもあるんだぜ。」
杉ちゃんに言われて服部先生は、そうですねといった。そのやり取りを聞いていた、松浦菜々子さんという生徒さんが、
「私にも、小紋のことをもう少し詳しく説明してくれませんか?私頭悪くて、馬鹿だけど、真似することだけはできますから。」
とにこやかに笑って言ったのだった。杉ちゃんが、
「おうおう。それなら早速僕が説明してやるよ。まずはじめにだな、小紋とは、」
と言ったのであるが、
「私は、先生から聞きたいです。」
松浦さんはそういったのだった。
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