よく公爵様に会いますが、私はストーカーではありません

夕山晴

よく公爵様に会いますが、私はストーカーではありません

 出かけようとすると、今日もまた制止の声が掛かった。


「お嬢様、またお出かけですか? もういい加減におやめください!」

「いいじゃない、唯一の楽しみなんだもの」


 アリスは聞き飽きたように肩をすくめた。


 父が再婚してからというもの、アリスは屋敷の中でぞんざいな扱いを受けていた。

 継母が屋敷の雰囲気を気に入らないと言うので、母が生きていた頃から働いていた使用人たちを追い出してしまったのだ。余計な反感を買わないようわざわざ多めの退職金を用意してまでだ。


 それでも残ってくれた数人は、アリスのそばにいてくれた。

 しかしその味方のメイドにさえ、窘められる。


「こんな状況ですから楽しみを持たれるのも大いに結構。私どもも大歓迎でございます。ですが! 楽しみなんて他にもございますでしょう? ティートニア家のお嬢様が、こんな、ストーキングが趣味だなんて!」


 わあっと涙ながらに訴えかけてるメイドにもアリスは絆されない。

 嘘泣きだと知っているからだ。


「そんな泣き真似したってだめよ。ティートニア家とは言っても昔は名家だったってだけで、今はもう落ちぶれてるでしょ。それに私にはもう関係ないわ」


 母が生きていた頃は、栄えていたらしい。

 昔、我が国の飢饉の際、いの一番に自領の備蓄を大量に開放し、国のために身を削り救いの手を差し伸べたことが始まりだったとか。

 以降、信頼の証として要職を与えられていたが、それも先代が退いてからは風前の灯火のごとく。引き継いだ父があまりに無能で、情けで肩書きだけもらっているようなものだった。


 母が亡くなったのはもう随分前のことで、アリスはこの時まだ五歳だったから記憶には残っていない。

 三年前に再婚した父は継母に夢中のようだし、継母は連れ子の義姉を着飾ることに熱を上げ、義姉はアリスを蔑むことを楽しんでいた。

 こんな状況で、ティートニア家の栄光を取り戻せるはずもなく、屋敷内で立場の低いアリスができることは無いに等しい。


 アリスは早々に諦めていた。


「知ってるでしょ。この屋敷の雰囲気。私なんていてもいなくても変わらない。まあ体罰がないだけマシかしらね。酷いところは暴力もあるようだし、文句ばかりも言っていられないけど」


 アリスの存在は、空気のようなものだった。

 父も継母も、視界に入れないようにしているようだった。

 義姉だけは事あるごとに扱いの差を見せびらかすように突っかかってきたが、それだけだ。

 殴られることも蹴られることもない。


 新しく雇われた使用人たちは、父と継母の態度を倣って、アリスには必要最低限でしか関わらない。

 雇い主の意向に沿うのは当たり前だ。


「だからって、何をしても良いわけでは……他にもあるでしょう、何か! ストーキング以外の何か!! 何でもよろしいのです。刺しゅうなり、絵画なり、散歩でも、この際食べ歩きだって構いませんよ! どうしてよりによってストーキング……」


 疲れた顔で呻くメイドには肩をとんとんと叩いてあげた。


「あら顔色が悪いわね、働きすぎなんじゃないの。今日はもうお部屋で休んだらどうかしら」

「お嬢様!! そう言ってお一人で行かれるのでしょう!?」

「大丈夫よ。私がストーカーなんて真似、すると思う?」


 にっこりと微笑んだアリスだったが、メイドの機嫌をますます損ねるだけだった。


「……では、今からどちらへ行かれるのです?」

「決まってるじゃないの。墓地よ」

「ほら!」


 引き留めようとアリスの肩を掴んで揺らすメイドの顔は必死だった。


「ちょっとやめてったら。ストーカーじゃないのよ、私は。お墓参りに行くだけじゃない」


 母が眠る墓である。

 花を添えて、少し話を聞いてもらいに行くだけだ。

 天気の良い日には欠かさず行くようになったのは最近のこと。


 引き留めるメイドを押し切る形で、アリスは墓地へと向かった。

 ぐずぐずしていると間に合わなくなってしまう。


 母の墓の前でアリスは腰を下ろした。

 はらはらと落ち着きのないメイドのことは、近くには寄らないよう言い含めているので無視することに決めている。


「お母様、今日も参りました。少しこの場所をお借りしますね」


 そう言って、母が好きだったという赤い花のブーケを飾った。

 母の記憶はあまりに少ない。好きな花もメイドから聞いたものだ。

 ただ、優しい面影やよく話を聞いてもらっていたことはぼんやりと覚えている。


「聞いてください。私は、やっぱりあの家には必要ない娘のようで……。そもそも私はあの家にいなければいけないでしょうか」


 話すことは屋敷内の愚痴である。

 屋敷内では絶対に口にしない。ここぞとばかりに溜め込んだ鬱憤を吐き出していた。


 そこへ近づいてくる人の気配。

 いつもこの瞬間が楽しくてたまらない。


「また泣き言か?」


 低く聞き馴染みの良い声に、顔を上げた。

 目の前に母の名前が見える。


「……いいじゃないですか、別に。話を聞いてもらうだけですし。誰にも迷惑をかけていませんし」

「俺が聞いてやろうか、と言っているのに」

「いえ、公爵様にそのようなお時間を取らせるわけには。それに、公爵様も、ご傷心でしょう」

「……はは!」


 ここは墓地だ。やってくる理由はもちろん墓参り。

 国内で今一番有名な公爵様──カルロスは、ひと月前に母を亡くしたばかりだ。顔を見るのも久しぶりだった。


「それで、ここの墓にくるとでも? 知っているくせに随分と可愛げのないことを言う」


 ただ、貴族のための墓地とはいえ、公爵家は普通、共同墓地を使用しない。

 亡くなったばかりの義母は公爵家の墓に眠っている。


「……私には他に口にできる言葉はございませんし」

「は、本当にお前は。そんなもの、おめでとう、でいいだろう? そういう約束だったはずだ」


 そう言われれば逃げ道はなくなった。

 アリスは体裁を守ることもせず微笑んだ。どうせこの場に咎める人はいないのだ。


「では──公爵様、この度はおめでとうございます」

「これで、母も報われる」


 カルロスは満足そうに頷き、アリスの母の、隣の墓を撫でたのだった。



 ◇◇◇



 半年後──事態が大きく動いたのはあるお触れが出てからだ。


「え! 公爵様のお披露目パーティですって!?」


 嬉しそうに叫ぶ義姉キャサリンの声が耳に届いた。


 半年前、公爵夫人が不慮の事故で亡くなり、気落ちして立ち直れなくなった公爵が、カルロスに爵位を譲ったのだ。

 故人に配慮してだろう、当時は書面での通達だけだったが、とうとう大々的に公爵としてカルロスが人前に出ることになる。


 若く見目も良いと噂される公爵を一目見ようと女性たちは目を輝かせていたし、その親たちもまた公爵の目に留まることができればと躍起になっていた。


 楽しそうに両手を打った継母はもちろん自分の娘のことしか考えない。


「ええ、舞踏会が開かれるの。なんでもそこで婚約者を選ばれるらしいわ。急いであなたに似合う綺麗なドレスを作りましょう」


 出されたお触れで国中が一気に色めき立っていた。


『十五から二十の未婚かつ婚約者のいない貴族の娘を集めよ』


 公爵を継いだばかりのカルロスには婚約者がいない。

 娘を集めるのはきっと婚約者を探すつもりだろう。


 そんな憶測が大半を占める中、アリスだけは首を捻っていた。


(女性を集めて婚約者選び、なんて大袈裟なこと、あの公爵様がするかしら?)


 あの自信に溢れたカルロスならば、有象無象の人には興味がないはず。

 何か別の思惑があってのことだろうと思ったが、アリスには所詮関係のない話で。


(だってドレスが無いもの。舞踏会なんて行けるはずないわ。せっかくだから、公爵様の晴れ姿を見てみたかったけど)


 継母に夢中な父も、もちろん継母も、ドレスを用意してくれるはずもなく。

 キャサリンとは違い、アリスの分はドレスをあつらえるだけの資金も無いのだから。



 ◇◇◇



 カルロスとは墓地で出会った。

 忘れもしない、あまりに不快な出会いだった。あれは、父が再婚して一年ほど経った時。


 元々仕事ばかりで会話も少なかった父だが、とうとう一言も交わさなくなっていた。

 やってきた継母とも、義姉キャサリンとも会話することはなく、味方になってくれた数人のメイドたちと話す日々。


 飽きたアリスは、母の存在を思い出した。


(もうこの際なんだっていいわ。死人だって。心のままに話せるのなら)


 窮屈な屋敷を飛び出して、墓地へと向かった。

 ずっと行っていなかったから場所はメイドに教えてもらう。

 訪れた墓石はお世辞にも手入れが行き届いているとは言えなかった。

 持ってきた掃除道具でメイドと共に掃除をする。


 随分と綺麗になり見違えた墓を見ると、隣の墓が目に付くようになった。

 掃除する前の母の墓同様、誰も訪れていない墓だった。


 薄汚れた墓は、忘れられていた母の墓のようであり、見放されている自分とも重なって。

 知らず手が動いていた。


 綺麗になった墓の名前に、見覚えがあったのはメイドだった。

 母の親しい友人であり、隣に墓を立ててほしいとお願いされたのだと教えてくれた。


 久しぶりの充足感だった。


(やっぱり家にいてはだめよ。きっとお母様が見守っていてくださったのね。お母様のご友人も綺麗にできて、とても良かったわ。お墓だけど)


 一仕事を終えたアリスは腕を伸ばした。外の空気が身体に染みる。

 しばらく一人になりたいからとメイドには離れてもらっていた。

 そこへやってきたのがカルロスだった。


「なんだ、お前は。何の用だ」


 せっかくの良い気分に水を差すようにギロリと睨んでくるものだから、アリスも負けじと睨み返した。


「あなたこそ何なの。見てわからない? お墓の掃除をしていたのよ。それが何か悪いこと?」


 そこでようやく綺麗になっている並んだ二つの墓に気づいたのか、「こちらはお前の……?」と首を傾げた。


「そうよ。友人だったそうだから一緒に綺麗にしてあげたのよ。全然掃除されていないようだったから。あなたも顔を出したのなら掃除道具くらい持ってくるべきじゃないの?」


 カルロスはすぐに状況を理解したようだった。

 おもむろに懐から小さな革袋を取り出すと、アリスの手の上に乗せてきた。


「そりゃあ悪かったな。これをやろう。報酬だ」


 中を見ると金貨が輝いている。

 アリスには見慣れないものだったが、達成感が汚されたように感じて一気に気分は悪くなった。


「何なの! 結構よ。お返しするわ」

「いや必ず受け取ってもらわねば。大人しく受け取って、ここで見たことは誰にも話すな。忘れろ」


 そうまで言われ、アリスは改めてやってきた男を不躾に眺めた。目立たないようにか飾りは控えめであるものの、どう見てもアリスの屋敷で見るものよりは高級そうな衣服である。


「……口止め、なのね」

「わかったのなら、これを受け取り、大人しくしていることだ」


 綺麗にした隣の墓に彫られた名前には、実はアリスにも見覚えがあった。

 ただあまりに現実的ではなく、メイドの言葉を信じることにしたのだが。


「……カトリーナ・クルゼ。確か公爵様の前妻と同じお名前ですね」


 ぴくりとカルロスが眉を上げた。

 忌まわしげに目を細めた様子にアリスは確信する。

 確かカトリーナには一人息子がいた。


「でしたらやはりそれは受け取りません。代わりに」

「──知ってなお、この俺を脅すか?」


「いいえ、これはお願いよ。私がこの場所にきたのは久しぶりでしたが、これからは頻繁にお墓参りにくるつもりです。それであなたも、きてほしいのよ」


 ほんの思い付きだった。

 後から思えば、これほどの適任者は今後現れなかっただろう。運命だったのかもしれない。


「それで?」

「話し相手になってもらえないかしら」


 それからだ。墓地での逢瀬が定期的になったのは。

 このやりとりを知らないメイドたちは、見知らぬ格好良い男性を一目見るために墓地へ通っていると思っているようだが。

 墓地によく現れる男が公爵本人だなんて知った日には気を失ってしまうかもしれないから、特に説明もしていない。


 カルロスはよく実の母親の墓に訪れていたようだった。

 お忍びで出かけた先で、度々護衛の目を盗んではやってくる。

 現公爵夫人の横暴な振る舞い、自身への当たりの強さ、亡くなっている母への冒涜。そのどれもにカルロスは納得できず、不満を抱えては母の墓に復讐を誓った。


 アリスは話を聞くたび、自分の境遇と似ていると思った。

 そして、現公爵夫人に一矢報いて、自身の立場を確立しようとするカルロスを応援するようになった。


 彼の目標が現実に近づくことで、まるで自分も家族を見返せる気がして──そんな幻想を見られて嬉しくなったのだ。


「お前は彼らを見返したいとは思わないのか?」

「ええ? 私ですか? 公爵様のように力があるわけではございませんし、今の生活も……多少寂しいですが、最悪というものでもありませんし。大変なことには関わりたくありませんし」


 だから復讐はしないのだとアリスは言ったが、カルロスは信じていないようだった。


「そうか? そのタイミングさえあれば、お前はやりそうだがな」

「そんなタイミングなんてくるはずないということですよ」


 アリスは現状を変えることに積極的ではない。

 成し得るだけの情熱が、足りなかった。母の名誉にも、ティートニアの名にも、自分のプライドにも、大して興味が湧かなかった。

 屋敷内の雰囲気は嫌だったが、アリスが考える“最悪”ではなかったから。




 二人が居合わせるのはほんの短い時間だ。

 長く居座るアリスの隣にカルロスがふらりと現れ、隣に並んで祈る。

 二人の前にはいつもそれぞれの母の墓があった。

 墓に向けて微笑み、母に話すように語りかけ、初めて会った日以降顔を合わせることはなかった。


 それでもアリスはこの時間が一番楽しかった。



 ◇◇◇



 舞踏会当日は、父と継母、そしてキャサリンは真新しいドレスに身を包み、仲良さそうに出かけて行った。

 アリスは当然のように留守番である。

 しかし、ずっと時計の針から目を離せない。


「まだ始まるまでには時間があるわね。──やっぱり私も出かけようかしら」

「ええっ!?」


 メイドが驚いたが、さも当然のようにアリスは人差し指を立てた。


「だって、考えてみて。私だって権利はあるはずよ。年齢も性別も当てはまってるもの。ただ着ていけるようなドレスが無いだけで」


 それが唯一にして最大の問題点だったが、アリスは大きく頷いた。


「そうよ。ドレスで行かなきゃいけないってことはないわ。舞踏会だからドレスは必要かと思っていたけれど、私は踊りたいわけじゃないんだし」


 一目、見たいのだ。

 自らの力で夢を実現させた公爵カルロスの姿を。

 遠目からでも構わない。応援していた顛末を見届けたいだけだ。


 そう決めればアリスの行動は早い。

 クローゼットの中で一番見栄えの良さそうな衣装を選び、髪を簡単にまとめて、時間をかけずにメイクを施した。

 出かける準備は自分でできる。庶民用の馬車をつかまえれば公爵家の近くまで行けるはずだ。


 いつものように制止するメイドを振り切って、アリスは静かな屋敷を飛び出した。


 そうして辿り着いた公爵家の門は開放されていた。

 カルロスの目に留まるようにこれでもかと綺麗なドレスの女性たち、その家族がホールに入っていく。

 アリスの格好は彼女たちには遠く及ばず、せいぜいが町娘のお洒落。


 わかってはいたことだが、中に踏み入れた途端、空気が凍った。


「え、ここは平民が来るところではないでしょう……?」

「兵は何をしているの? 早く追い出しては?」

「何、あの格好。場所を間違えているのではないの。なんて厚かましい」


 忌避と嘲りが波を打った。

 アリスは顎を少し引いて迎え撃つ。服装には難ありだが、所作は完璧であるはずだ。


 ホール全体が敵に見えたとき──小さな歓声が上がった。


「え?」


 小さく首を傾げたが、すぐに理解した。


「なんだこの汚い格好の娘は」


 背後で聞こえた声は、聴き馴染みのある。

 振り向いたが声を掛ける前に、口を閉じた。


「俺のパーティーにこんな娘はいらない」


 はっきりと拒絶を示したカルロスに声は掛けられなかった。


 墓地では最初に会ったとき以降、ずっと隣同士だった。メイドに気づかれないよう墓に向かって話しかけていた。

 声を出さなかったから、気づかれなかったのかもしれない。

 それとも惨めな格好に嫌気が差したのかもしれない。


 ただ、目の前にいるカルロスは、公爵らしく堂々とした姿だ。


(どう見ても、公爵様ね。どう見ても素敵な……義母を死に追いやったとはきっと誰も思わない)


 楽しかった日々を思い返して、じっと見つめた。

 直接聞いたわけではなかったが、アリスはずっと公爵夫人の事故を怪しんでいた。


 お忍びで出かけた先で、馬が突如暴れ出し、馬車が川に落ちたらしい。

 運悪く腹部に何かが刺さり、手の施しようがなかったとカルロスが言っていた。

 復讐を誓っていたカルロス、突然の公爵夫人の死、その後の爵位継承。

 出来過ぎな物語は、誰かの手が加えられているのではないだろうか。


(真実はわからないけど……立派な姿を見られて、蔑んだ目で見られたかいもあったというものね)


 お披露目を終えたカルロスは人目を忍んで抜け出すことは難しくなる。

 もうきっと会うことはないだろう。


 アリスは一度カルロスに向かって微笑んで。

 帰ろうと踵を返したが、舌打ちが耳に届いた。


「おい、この娘を俺のパーティーに相応しい装いへ」

「──へ?」


 一言そう指示したかと思えば、アリスはたくさんのメイドたちに連れ去られた。

 身ぐるみを剥されると、あれよあれよと美しいドレスや靴にアクセサリーで着飾られてしまった。

 そうしてあっという間にカルロスの前に舞い戻る。


「え、ちょ……!」

「ほう、まあまあじゃないか」

「……まあまあって何ですか」


 挨拶のためか、できていた人だかりを軽くあしらって、カルロスはアリスに手を差し伸べた。

 ざわつく周囲も一切気にかけず、ただ真っ直ぐに。


「では、俺と一曲踊ってもらえないか?」

「──汚い私なんかでいいんでしょうか」

「はは、そんなことは言ってないだろう。お前が奇異の目に晒されるのは気に食わない。きっと来るだろうと思っていたからな、お前に似合う美しいドレスを用意したんだ。よく似合っている」


 カルロスの瞳の色に合わせ、カルロスの衣装に対で作られたようなドレスは、アリスの金の髪ともよく似合っていた。


 目の前の手を取れば、カルロスの目に留まりたいと着飾り集まった人々を差し置いてアリスが踊ることになる。

 視界の端に、キャサリンのドレスが見えたような気がした。


 意を決しておずおずと手を乗せると、合わせたように音楽が始まった。


「私を、待っていたんですか?」


 これまでのやり取りはどう考えてもアリスが墓地にいた女だと気づいている口振りだ。


「公爵の資格を持たない俺を認めてくれたのは、お前だけだからな。……なぜ、名乗らなかった」

「公爵様も、お名前を教えてくれなかったでしょ」


 だからおあいこだと言いたかったが、カルロスは認めてくれなかった。

 冗談めいて言う。


「俺を公爵だと知っている時点で名乗りは不要だと思った。だが、お前は違う。母の友人の娘……探すだけにここまで盛大なパーティーを開いてしまった。お前のために、一体いくら使ったと思う?」

「ご冗談を。私を探すためだけにこんなパーティーを開きませんでしょう? 公爵様であれば、そんなことをせずとも簡単に探し出せたはず」


 名乗りはしなかったが、容易に想像はできたはずだ。

 墓にはくっきりと母の名前があったのだから。


「何を言う。ティートニア家の栄光を手にできるなら、どんなことでも価値がある。今、屋敷にいる人間で、唯一の直系を手に入れられるならな」


 ティートニア家の直系は父ではなく、死んだ母。

 父は婿入りだった。

 少し驚いたが、調べればわかること。

 アリスは困ったように眉を下げた。


「そうは仰いましても。折角ですが、屋敷での私は何の力もない、冷たくあしらわれる無力な人間ですよ」


「だが、それは屋敷内に限った話。ご隠居した先代が、お前には目をかけている。唯一の血縁だからな。確かに隠居されてから遠い地に身を置き、家のことには口を出されていないようだが、そろそろ我慢の限界だろう」


 カルロスがアリスの手を引き、耳元で囁く。


「……俺との結婚を許可してくれるほどには」

「ええっ!?」


(結婚って言ったの? 今!)


 さっと頬を赤く染めたアリスに満足したように、くつくつと笑いながら「ティートニア家の名が消えることよりもお前の方が大事らしい」とカルロスは言った。


「俺はティートニア家先代の後ろ盾を得られ、先代はお前を俺の庇護下に置け、お前はあの屋敷を出られる。いいとは思わないか?」


 アリスは火照る頬に鎮まれと願いながら、そうでしょうかとぐっと眉を寄せた。

 カルロスと踊りながら、険しく顔を歪める女性は他にいるだろうか。


「あの家にいる必要はないと思っていましたし、私にとってはいいのかもしれません。お祖父様も安心されるかもしれません。ですが、公爵様には……」


 公爵として動き出す矢先にお荷物が増えるようなもの。

 自力で道を開いたカルロスは、これから輝かしい未来が待っているはず。


(彼には落ちぶれたティートニア家の名なんて必要ないし、足枷となる人間になるつもりもないのに)


 だからもう会わないと決めていた。

 これが最後だと。

 何も変えていないアリスには、カルロスと同じ景色を見ることはかなわないから。

 カルロスの隣で夢を見られたことが幸せだった。


「いいや、違う。俺はお前を手に入れたいだけだ。言うならティートニア家の名も重要ではない。ただあの場所で過ごしたように、気楽で楽しい時間がこれからも続けばいいと思っている。あの時間がなければ俺はきっと今この場に立てなかった」

「……でも」

「これを逃すと、お前はきっともうあの場所には現れないだろう? だから必死に口説いている」


 見透かされていたが、真顔のカルロスには心動かされた。

 墓地で軽口を交わしていたときと変わらない。

 こんな場所でもカルロスはカルロスだった。


「……必死に?」


 本当なら、どんなに幸せだろうか。


「ああ。必死にだ。理由をつけたほうが頷いてくれるかと思ったが……そうでないなら、お前の髪だって顔だって、瞳だろうが肌だろうが、いくらでも褒め称えよう。爪の先までもだ。俺のそばにいてくれるなら」

「それは必死ですね……!」


 思わず吹き出したアリスにさらに畳みかけてくる。

 何が何でも手中に、という意志をひしひしと感じ取り、面白くなって顔が緩んだ。


 いつの間にか険しい顔は消えていた。

 まるでカルロスとのダンスが楽しくて仕方ないと、他の女性となんら変わりない笑顔で踊っていることに、アリスは気づいていた。


「実はティートニア家先代にはもうサインをもらっていてな。お前が名を書けば婚姻書は完成する」

「ふふ、用意周到ですね?」

「何のためにこんな舞踏会を開いたと思ってる。お前を蔑ろにした奴らに見せびらかすためだぞ」


 そう言われてキャサリンを思い出す。

 こっそりと周囲を窺うと、父は呆然とし、継母とキャサリンは鋭い目つきで睨んでいた。


 素敵なドレスに、カルロスとのダンス。

 見返すのなら今だと状況が告げている。


「どうする? 俺と結婚しないか?」


 そして、この発言。


 真っ直ぐに顔を合わせたカルロスは、わかってはいたが、とても格好良くて。

 正面から見る見慣れない姿にどぎまぎした。


 この場にいる誰よりも豪華で、カルロスの衣装に合わせたドレスを身に纏ったアリスは。

 羨望と嫉妬の入り混じった視線を一身に浴びながら、カルロスと踊りきる。


 カルロスは言っていた。

 アリスが欲しいのだと。

 墓地での気楽な時間を無くしたくないのだと。


 楽しかったのは決してアリスだけでなく、カルロスもだったのだ。


(だったら、その手助けを少しでも。どんな形だとしても、私にもあなたを支えられるのなら)


 アリスはもう、“最高”の未来を見せられてしまった。


 音楽が止んでなお、返事を期待するようにじっと見つめられて、アリスは応えた。


「──喜んで」


 おそらくこれで、このパーティーは成功したと言えるのだろう──カルロスの思惑通りに。


 でも後悔はしていない。

 “最悪ではない今”よりも“最高の未来”の方がずっといい。


 ふわりと笑うと、腰を引かれた。


「だろう。お前はきっと結婚してくれると思っていたぞ」


 満足そうな顔は、カルロスが公爵となったときと同じく、とても魅力的に映った。

 アリスを腕の中に引き寄せながら、待ち望んでいた瞬間のように、カルロスは声高らかに宣言した。


「彼女こそ、俺が探していた女だ! どうか俺と彼女の婚約を皆で祝ってほしい」


 その一言で婚約者探しが一転、婚約発表の場に変貌し、ホール内が一気に泣き崩れたのだった。






 それからアリスにはすぐ迎えがあった。

 数人のメイドと少ない私物と共に公爵家へ移り、つつがなく過ごした。

 結婚式まであっという間だった。

 全てが整えられていたようで、アリスが口を出したのは身に着けるドレスと宝石くらい。


 ティートニア家先代──祖父はこの婚姻を心から祝福してくれた。

 公爵家を全面的に支持し、ティートニア家とは縁を切ると宣言すると、かろうじてもっていたティートニア家は一気に没落した。

 父と継母とキャサリンがどうなったのかは、アリスは教えてもらえなかったが。


「それにしても墓地で一度見ただけですのに、よく私だとわかりましたね」


 アリスはカルロスのお披露目パーティーを思い出して言った。


「気に入った女の顔を、忘れるわけないだろう?」


 そう余裕たっぷりのカルロスだが、アリスだって鵜呑みにはしない。

 ふふん、と最近仕入れた情報を披露した。


「聞きましたよ。私のこと、屋敷まで見に来たんですって?」

「聞いたのか。まあ少しだけ」


 余裕綽々の顔を崩せず、残念に思う。


「仕方ないだろう? お前は名前を言わないし、一切こちらを見ようとはしないし、気になって仕方なかったんだ。そうして見に行くとお前だけが屋敷で一人、退屈そうにしている。どうにかしたいと思ってな」


 だからこそ大衆の前での婚約発表。

 カルロスの思惑通り、アリスを蔑ろにした家族は大打撃をくらっている。


「ストーカー同士、これからもよろしく頼む」

「いえ、私のはストーカーじゃないですってば」

「そう照れずとも」


 そんなやりとりを、メイドたちの目の前で繰り広げだ結果、予想通り、数名倒れていた。

 だから言いたくなかったのだが。


 アリスは顔を見ながらの会話にいまだ慣れず、照れを否定できずに歯噛みした。


 隣り合って話していた時間を埋めるように、カルロスはアリスの顔を見つめることが多くなっていて。

 遊ばれているのだと知りながら、嬉しくも思う。


 一緒にいる時間が、何の憂いもなく過ごせるのなら、結婚したかいがある。

 そう思えば、心を許したように見つめられるのを簡単に拒否できない。照れはするが。


「こうしてちゃんと顔を見て言いたかった。……お前がいてくれて良かった。何も言わずに隣にいてくれるから随分と助けられている。あの時、出会ったのがお前で、本当に良かった」


 アリスの頬を両手で包みながら、カルロスはにやりと笑った。

 この楽しそうに笑う顔が好きなのだと彼はわかっているのだろう。見せてくれることが多いのは、きっとそのせい。


「私もそう思います。お金を受け取らなくて良かったでしょう? けれど、いつかお話しくださいね」

「もちろんだ、愛しい人。お前には隠し事はできないな。いつか必ず」


 これからも楽しかった時間はずっと続いていく。

 カルロスとアリスの願い通りに。







 おしまい

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