5-4 放置
◆
無事に倭国へ戻り、国防省本部ビルで私とカクリは鷹咲中佐に簡単な報告をした。報告書を提出する必要はあるが、今回の任務の内容はあまりにも何事もなかったので、すぐに書けるだろう。
「冒険物語みたいな報告書が読めないのは残念だよ」
鷹咲中佐が冗談を飛ばす程度には、普段の私とカクリの任務は際立っているわけだ。
「何か、特筆すべき事態はあったかな。先に伝えておきたいようなことは」
私は直立したまま、喫緊の課題はありせん、と答えた。中佐も気にした様子はなく、ならいい、という一言で聞き取りを終わりにした。中佐の立場なら必要とあらばいつでも追加報告を求められるし、私とカクリにはそれに応える義務がある。
「しばらくは待機だが、気を抜くなよ。以前のようなことは困る」
国防省の誰かに罠に嵌められたことを言っているらしい。
「十分に気をつけます」
「よし、帰っていいぞ。別命あるまで待機、以上だ」
私とカクリは敬礼を返してからスペースを出た。
「どこかで食事でもする? いや、食事はできないから、話でもする?」
廊下を進みながら、不機嫌そうにむっつりしている相棒に冗談めかしてそう言ってみるが、返答は実に素っ気なかった。
「食事には行かんが、お前のセーフハウスには用事がある」
ちょっとちょっと、柄にもなく慌ててしまう私だった。
「それって不適切発言じゃない?」
「不適切発言ではない。ただ話があるだけだ」
「あ、そう。ここでは話せないってこと?」
「私的な内容、プライベートだからな」
もしこの言葉が意中の相手からの言葉だったがら反応もまた違ったが、カクリの理屈は知りすぎているほど知っているので、白けるばかりだった。カクリは誰にも聞き耳を立てられないところで話したいだけで、それには私のセーフハウスが最適だと主張しているのだ。色気なんて、少しもなかった。
まぁ、カクリに色気が出てきたら何かおかしいし、私はこの同僚を仕事仲間以上の存在には見ることもなさそうだった。
「じゃ、行きましょうか。車は?」
「乗せてくれ。自分の車はそのうち回収する」
オーケーと応じて、足早に廊下を進む。
いつかの襲撃事件があった駐車場でスポーツカーに乗り込む。あの事件以降、車を少し改造したが、さすがに車に車をぶつけられるのは防ぎようがない、と開き直った面もある。あの時は相手は乗用車だったが、例えば公道で仕掛けられた時にトラックなどの大型車をぶつけれられる展開は容易に想像がついた。想像がついても、対処のしようがないものもあるものだ。
車はスムーズに起動し、なめらかに駐車場を出た。そのまま国防省の敷地も出て公道を走り始める。ここで話し始めても良さそうなものだが、カクリは黙っている。だから私も黙っておくことにした。世間話をしてもよかったが、嫌がらせだ。この沈黙の苦痛に耐えきれるかな?
結果から言えば、機械式義体の男は彫刻か何かのように助手席で微動だにしないまま、私のセーフハウスに到着するまでの間、完璧な沈黙を貫いた。私の方が逆に辛かった。くそ。
セーフハウスに入り、窓を開けて空気を入れ替えてからカクリにソファを勧める。彼はそれに腰を下ろさなかった。埃を気にしたとかではなく、さっさと話をして帰るつもりらしい。お茶を用意しないで済むのはありがたい。
「例の食堂の一件を、報告しないつもりか」
「まあね。大した意味はない」
「敵対する勢力からの接触だ、意味はある」
「話の内容を知っているわけじゃないでしょう? それとも聞き耳を立てて、一部始終を盗み聞いていたとか?」
「情報提供を求められたところは聞いていた」
紳士的じゃないね、とからかってみたが、カクリは堂々としていた。
「紳士的であろうとなかろうと、どうでもいい。レイン、上に報告するべきだ」
「私はその必要を感じない。正体不明のよくわからない集団の、妄想だよ」
「雨宮凪の同源分岐人格群は警戒するべきだ。お前のためでもある、レイン」
「私のため?」
そうだ、カクリははっきりと頷いてみせた。
「レイン、お前が破滅する必要はない。保身を図れ。お前もまた雨宮凪から生まれたとしても、お前は認められるべき存在だ」
どう答えていいかわからなかった。
自分の存在を認められることは、今までもあった。それは例えば、任務の達成を労われるとき、あったような気がする。
だけど今の言葉は、少し違った。どこが違うかはわからないが、私のうちにじんわりと広がる暖かさは、幸福感だろうか。
私を他人が認めてくれる。
それは、こんな感情を呼び起こすものか。
「カクリ、あなたの言葉はありがたいけど」
先を口にするのは、だから、苦労した。
「本当に今回の一件は、なんでもない。私は敵に通じる気もないし、なんの行動も起こさない。だから、私の好きにさせてくれない?」
バカな、とカクリは狼狽えたようだった。
「何を考えている、レイン」
「ちゃんと考えている。大丈夫だから。きっと何も起こらない」
「起こってからでは遅い。例の女について通報しろ、今すぐ」
私はその言葉には答えなかった。答えずに、全く別の言葉を向けた。
「お茶でも飲んでいく? コーヒーと紅茶、どちらがいい?」
今度こそカクリは返す言葉を失ったようだった。
沈黙の後、「必要ない、帰る」と短い言葉があり、それ以上の別れの言葉もないままに彼は身を翻すと、そのままセーフハウスを出て行った。
ひとりきりになり静寂がやってくると、ここに自分以外に誰もいないことが酷く寂しいことに感じられた。
しかしここには私しかいない。ひとりぼっちの世界だった。
私は一人でコーヒーを淹れて、一人でソファに座り、一人でマグカップに息を吹きかけ、一人でコーヒーをすすった。
こんなに苦いのは初めてだ。濃く淹れすぎただろうか。そんなことを思いながら、無言のまま、カップを空にした私だった。
それからしばらくの日々を、私はこのセーフハウスと近くの街で過ごした。普段の待機と同じだ。いつでも仕事に取りかかれるようにした。ジョギングやトレーニングも朝と夕方にしていた。
しかし、なかなか仕事の話はこなかった。
そして少しずつ、マコモが私に告げた日付が近づいてきた。
カクリに話したように、私は動くつもりはなかった。ゼロ・フロアに侵入する方法は探らなかったし、そもそも知らない。マコモは私に期待したようだが、残念ながら失敗だ。
その日が来ても、私はセーフハウスにいた。指定の時刻になってもやっぱり部屋にいた。
あっという間にその日は終わり、次の日も何の変哲もない普通の一日になった。誰かが訪ねてくることもないし、誰かから連絡が来るわけでもない。ジョギングの最中に接触してくる誰かがいるかと思ったが、いなかった。
ニュースをチェックしたが倭国国防省の施設や本部ビルが襲撃されたという報道はなかったし、当の国防省の人間、例えば鷹咲中佐からの連絡などもなかった。
本当に何も起こらなかったらしい。
そうなってみて、自分が少しも安堵していないのに気づいた。
何も終わっていないのだ。
何かが始まってしまったのかもしれないのに。
私の一日一日はいやに長くなった。時間の流れが粘つくように重く、遅い。その長い長い一日の連続が、表面から削り取るように私を消耗させているように思えた。
待機はなかなか解けなかった。カレンダーを一日に何度も確認するのが癖になり、やめられなくなった。
季節も変わろうかという日、私に出頭するように命令が出た。任務に関する通達がある、ということだった。
生き返る思いで、私は軍服に着替え、家を出た。たまには乗っていたとはいえ、この日はスポーツカーさえもが喜んでいるような気がした。
普段通りの通りを走り、市街地へ。いつもの喧騒、いつもの人いきれ。
国防省の敷地に入る時に身分証を提示し、車を乗り入れる。駐車場で指定の場所に車を止め、降りてから素早く軍服を整えた。そして足早に本部ビルに向かう。
本部ビルでゲートをくぐり、エレベータへ向かう。
横手から男が三人、進んできたのはその時だ。
「アメミヤ・ナギさんですね」
丁寧な口調だが、視線は怜悧で、表情には感情がなかった。
答える前に他の二人が私を左右から挟み、両手を取っている。
私は、何かの間違いだと思いながら、自分が失敗したことにも気づいた。
「あなたには機密漏えいの疑いがかけられています。ご同行願います」
私は返事もせず、頷きもせず、男性を見た。男性は一言、連れて行け、と部下に言っただけだった。彼らは警察ではないようだが、憲兵でもなさそうだった。
しかし、しかるべき立場であるのは間違いない。
両腕をぐっと掴まれ、私は歩き出した。
周囲からの視線など気にならなかった。それよりも、私は自分の行動について考えていた。
マコモのことを通報しなかったのは何故か。
できたはずだ。できたはずなのに、しなかった。
もしかして自分は、マコモをかばったのか。形の上ではどう見てもそうなっている。
マコモは私が通報しないのを予想していたのか。その予想は容易なもののようにも思えた。
どこかへと連れて行かれながら、私は自分が信じられなかった。
カクリ。
カクリは正しかった。彼のほうが、冷静だった。
私は何か、悪い夢を見ていたようだった。
そして今も、それは続いている。
(続く)
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