5-2 容易い任務

      ◆


 空の旅の次はいかにもな田園地帯の中をゆっくりとドライブする時間になった。

 オリベリオ王国の古くからある貴族の所領らしく、一面の緑は綺麗に整えられ、色鮮やかだった。なんでも一年を通じて花が咲くように工夫されているそうで、オリベリオ王国では庭園でのティーパーティーが今でも行われるという。庭の整備は今でも人の手で行われ、専門の職人はある種の特権階級だそうだ。

 そんなあれこれは、私とカクリを目的地へ連れて行く過程で、ドライバーでもあるオリベリオ王国の政府職員の男性が実に丁寧に説明してくれた。こうなるとまるで観光だが、さすがに庭園を見学しましょう、とはならなかった。

 しかし長い間、田舎道を走っているうちに理解できたが、私とカクリが接触するオリベリオ王国の政府高官は間違いなく貴族の出身で、こうして比較的乗り心地のいい車での長時間の移動を経ている以上、目的地で庭園の見物はできそうだった。

 早朝に車に乗り込んだが、昼前に私たちは目的地に着いた。

 想像通り、広大な所領を持つ貴族の屋敷で、敷地に入ったらしいと分かっても屋敷自体はなかなか見えなかった。その屋敷が見えた時には、玄関にいかにもな服装をした老紳士が直立不動で待っており、危うく私は口笛を吹きそうになった。だって、どこからどう見ても執事だったからだ。執事の見本のような姿だった。

 停車した車のドアはその執事らしい人物が開けてくれた。

 言葉少なに案内されて、私とカクリはすぐに政府高官と対面した。相手は愛想のいい笑顔を見せ、さり気なく手を差し出してきた。

「初めまして。遠いところへようこそ。さぞ、お疲れでしょう」

 そんな言葉を口にしている男性の手を握り返し、私も定型文的な返答をした。

 不自然なのはお互いに相手の名前を口にしないことで、しかし両者が全くそれを意に介していないのは、さらに不自然だっただろう。

 席に着くと軽食が出て、飲み物も提供された。私は名前を知らない政府高官と何気ない国際情勢に関する意見交換をしたが、そこはさすがにレベルは低く、国際的なニュースの確認のようなものに過ぎない。私は国家運営とはかけ離れた立場にいるし、そもそも官僚ですらない。知っていることは最低限で、相手もそれを承知で、社交として話を合わせてくれているわけだ。

 別に気分よく話したわけではないが、十分な時間が過ぎてから、資料を、と相手が言ったので、私は持参した荷物を手渡した。

 ケースに収められているが、私は中身の外観だけは知っている。数枚のデータカードと紙の書類である。しかしそこに記録され、記されているものについては感知しない。

 倭国国防省の兵器管理課、もしくはその下位に位置する先進兵器分析局からの情報提供だと思われる。それは相手の身なりや態度、雰囲気から、所属する階層を想像するとしっくりきた。現場で活動する人間の階層よりははるかに高いが、特別に高位でもない。

 私から受け取ったケースは、すぐに執事の手に渡されて中身を検められることもなかった。その程度にはこちらを信用している、もしくは信用しているポーズをとった、ということか。不快ではないが、やや気になる。

 こちらから促すこともできたが、信用を疑うようで判断が難しい。

 不安などに振り回されるのではジリ貧だと考え、私は結局、黙っていた。

 それから政府高官の男性はさり気なく、倭国の脳情報の管理について質問してきたが、私は明言しなかった。私が事前に聞いた話では、オリベリオ王国の側には私が脳情報移植型代替身体であることは明かしていないとなっていた。

 質問は探りなのだろうが、これもまた信頼の問題に結びつく。

 結局、明言を避けているままにやり過ごし、食事に誘われたので丁寧に辞退することでうまく切り上げるタイミングを見つけることができた。

 帰りの車も政府職員の運転だった。これではカクリと話し合うことはできない。さり気なくバックミラーを確認したが、政府職員はこちらを窺っているようではない。口はあれやこれやと観光客相手のように言葉を滑らかに続けているが、耳は耳で機能しているのは間違いなかった。

 こういう時にお互いの手に指を沿わせてやり取りする意思疎通の手法は使えなくはないが、目立つだろう。自動車の車内は狭すぎるし、一目で確認できる。

 どうすることもできないまま、政府職員の話に相槌を打ったり、たまに質問をこちらから向けてみたりしながら、時間だけが過ぎた。太陽が傾いていき、周囲は少しずつ薄暗くなっていく。

 どこまでもどこまでも続くような大地のそこここで、灯りがともり始める。貴族の屋敷の明かりらしい。

 道路には定間隔で街灯が立っているが、いかにも頼りなく感じた。車のヘッドライトも距離感が狂い、すぐ目の前しか照らしていないような錯覚がある。

 おかしいな、と運転手が声を漏らした時、既にとっぷりと日は暮れ、空港もある都市部に近づいているはずが、その都市の気配は少しも見えなかった。

「どうしました?」

 少しだけ警戒しながら、しかし自然な態度でオリベリオ王国の言語で問いかけると、運転手はゆっくりと車を止めた。まさかここで私たちを暗殺する理由はないが、逃げようにもどこへ逃げればいいか、わからない。土地勘がないどころか自分がどこにいるのか、すぐにはわからない。

 運転手が「お待ちください」と車外へ出て行った。やっと私はカクリと言葉を交わすことができた。念のために倭国の言葉でやり取りする。

「どうしたのかな。こんなところでトラブルは御免だね」

「罠にしては不自然だ。見ろ、車の後ろを確認している。バッテリーだろう」

 カクリの冷静な言葉に後ろを振り返ると、確かに政府職員は薄暗い中でトランクを開き、何かをしきりに確認していた。

 やや長い時間の後、彼は戻ってきて運転席に乗り込むと、困り顔で後部座席の私たちを振り返った。

「バッテリーに異常があるようで、その、この先にドライブインとでも呼べる場所があるので、そこへ寄り道させてもらっていいですか?」

 ドライブイン? そんなものが近くにあるのか? 冗談のようだが冗談ではないらしい。

「代わりの車を用意できないのですか?」

「それもできますが、バッテリーを積み替えるだけですから、その方が短い時間で済みます」

 カクリの指摘に的確な返答があり、私が決断してドライブインに行くことを選んだ。ドライブインというのは政府職員のアドリブの表現だろうと思うと、どんな場所か気になった面もある。任務はおおよそ完了してるし、ちょっと変わった観光として見てみたい気持ちになった。

 そんな私にカクリは不服そうだったが、何も言わなかった。さすがに彼も、ドライブインを持ち出してまで私たちを消そうとする、などという荒唐無稽な主張は引っ込めたようだ。

 車はやや不自然な動きながら走り出し、どうにかこうにかという力強さで目的地までかろうじてたどり着いた。

「これは……」

 車のドアを開けて降りた私は、さすがに声を漏らしてしまった。

 ドライブインという表現はかなり的確だった。オリベリオ王国には不似合いな建物で、道に面して細長い建物があるが半分は自動販売機とトイレらしいスペースで埋められている。残りの半分は食堂のようだ。

 問題は建物に据え付けてあるネオンが全部消えており、食堂の明かりも乏しいことだ。

「閉店しているんじゃないですか?」

 こちらから政府職員に問いかけると、彼は嬉しそうに笑った。

「営業していますよ。車で待っていてください、バッテリーを手配してきます」

「あ、その、こちらも食事にしたいので、一緒に行きます」

 咄嗟にそういう私にカクリが鋭い視線を向けてくるが、どうやら私はちょっと浮かれていたようだ。

「カクリは車にいて。彼を助けてあげるように。私は腹ごしらえをしてくる」

 短い沈黙の後にカクリはただ「わかった」とだけ答えた。

 政府職員と一緒に食堂へ入ると、店主というべきか、中年男性がひとりきりで古びた椅子に座って雑誌のようなものを開いていた。私たちに気づくと腰を上げたが、すぐにバッテリーの話を聞かされ、そちらへ行ってしまった。私は他に店員がいるか探したが、いないらしい。これでは料理は出てきそうになかった。

 それでも店主を待つか、と椅子の一つに腰掛けて、一面ガラスの壁の向こうに止まっている自分たちが乗ってきた車と、そこに佇むカクリをぼんやりと見た。

 人の気配がして、私はそちらを見るともなく見た。

 若い女性が食堂に入ってきたかと思うと、一度、調理場の方を見てからこちらへやってきた。まさか店員と間違えられたわけでもないだろうが、事情を説明しようとした。

 それよりも先に女性が足早に私の隣の席に腰掛けたのは、止めようと思えば止めることもできた。私が腰をあげることもできた。武装こそしていないが、格闘の構えを取ることもできただろう。

 そうしなかったのは相手があまりにも自然体で、友人の隣に腰掛けるように席に着いたからだ。

「誰?」

 ハッとした私が声をかけると、相手はまっすぐに私を見た。

 その瞳を見たとき、腑に落ちるものがあった。

「マコモ、と名乗っている」

 相手の澄んだ声の、しかしそっけない言葉に、咄嗟に私は少し笑ってしまった。

「アメミヤ・マコモ、ってわけね」

「そういうこと、アメミヤ・ナギ」

 食堂に店主が戻ってくる気配はない。

 外では街灯が灯っているだけで、ガラスに私と女の影が映り込んでいた。



(続く)

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