第五章 辿り着く場所
5-1 思考の渦
◆
倭国国防省本部ビル、兵器管理課先進兵器分析局第二分室の室長のスペースで、私とカクリは鷹咲十次郎中佐と対面していた。
「どうだ、体は馴染んできたかな、レイン」
ニコニコと愛想のいい顔をしているが、この人物がただ人当たりのいいだけの人物ではないのは、つい先日、身に染みて感じた。
「万全になるまであと数日、というところだと思います」
「それはよかった。さすがに愛玩用代替身体で秘密任務をさせるわけにもいかん」
皮肉というか、嫌味というか、そう取ることもできたか、室長なりの冗談だろう。
アルマスタン共和国から帰国した直後から軟禁された私は、国防省の聴聞会に出席した。その場には鷹咲中佐も同席していたが、あの時の中佐の雰囲気は今とはまるで別人だ。
聴聞会に関しては、かなり激しい表現で第二分室どころか先進兵器分析局が追及された。分析局の局長である大佐はのらりくらりとやり過ごしていたが、鷹咲中佐はといえばかなり好戦的に正面からぶつかっていく態度だった。
私はといえば、事前に用意されていた書類の通りに答えるだけで済んだ。誰かが綿密に用意していた返答内容は多岐に渡ったが、恐ろしいほど的確だった。予想外の質問が向けられたら、と思わないこともなかったが、ついに質問者はこちらの想定を超えてこなかった。
最終的には質問する側は私が現地調達したまま使っていた代替身体を咎め始め、私は反射的に笑いそうになっていた。どうやら国防省や他の省庁に所属しながら、倭国の人間からすれば脳情報移植型代替身体は非常識的な技術らしい。
しかし実際には、そこまで珍しい技術ではなくなりつつある。低品質の脳情報移植型代替身体に劣化した脳情報を転写し、必然的に生じる不具合を脳機能パッチで補って労働力にしているところさえあると聞くこともある。場合によっては、武力に変えているところもあった。
アルマスタン共和国というこの世の果てにも代替身体は存在し、しかも愛玩用に製造されている、という事実を受け入れられないものが確かにいる。常識や一般論に毒されているとか、倫理に囚われているとか、表現はいくらでも選べるが、ともかく彼らにとっては代替身体というものが不快で、それが無制限に増えていくのもまた不快なのだろう。
「それで」
私のとりあえずの体を徹底的に槍玉に上げ始めた閣僚に、鷹咲中佐はいかにも粗雑に応じたものである。
「何がそんなに気にくわないのですか、大臣。具体的に、かつ詳細に、問題点を挙げてください。一つずつ、答えていきましょう」
その政治家は怒りのあまり、頭のどこかの血管が切れて卒倒しそうな雰囲気だったが、残念ながら血管は切れなかったし、卒倒もしなかった。そしてとりあえずの冷静さを確保して言われるがままにひとつひとつ、論点を挙げ始めた。その全てを、鷹咲中佐は冷酷なほどの口調で淡々と、論理的に反論して封殺した。
そんなこんなを経た結果、私は行動を一時的に制限されることになったものの、重大な罪には問われなかった。代替身体も娼婦のそれから、本来的な私の肉体に戻され、謹慎が解かれてから今日までひたすら訓練に励んでいたのだった。
あまりに久しぶりに実戦仕様の本来の肉体に戻ったので、感覚を取り戻すのに想像以上の苦労があった。拳銃の扱い一つとっても、思い描いたところへ命中しないほどだった。
一〇〇発撃てば半分は釘の頭に当てられるような技術は、元々の私の技術というよりは原版たる雨宮凪のテクニックだ。体が覚えているのではなく、意識が覚えている。体さえ馴染めば再現できると信じていた私だけど、日々が過ぎていく中では焦りもあった。
しかしそれももう解消された。体は完璧に私のものになった。
「レイン、お前に重要性の高い任務を任せることはまだできない。国防省の内部で反対意見が大きいからだ。さすがに今回ばかりは局長が釘を刺してきた。あまり綱渡りをするなとね」
「同感だと思います」
「おいおい、きみがそれを言い出すと、きみを手元に置いておけなくなる」
処分しないといけない、とはさすがに言わないか。こちらがかまをかける事くらいお見通しらしい。
「どのような任務ですか?」
「同盟国のオリベリオ王国にちょっとした文書を届けるだけの仕事だ。何の苦労もない。国交があるから、渡航するのも民間機を堂々と使える。秘密任務でもなければ、潜入でもない。倭国国防省の公な仕事だ」
「そんな仕事に私を使って、マスコミが嗅ぎ付けることはないのですか」
「その可能性もあるが、そこまで重要な任務でもない。よくある任務なんだ。それに、少しは社会に働きかけなければきみに使われている最新鋭の技術の、その実用性を証明するのは難しい」
「私が見世物になることはないですよね?」
おそらくね、と鷹咲中佐は笑っていた。
「中佐」
私は謹慎とそれに続く訓練の間、考えていたことを問うていた。
何故か、今を逃せば機会がない気がしたからだ。
「私の原版は、国防省にまだあるのですね?」
不意な問いかけだったはずだが、中佐は「ある」と頷いた。
「そんなことを聞いて、どうする?」
「いえ……、自分のルーツが気になっただけです」
「ルーツなど気にしないほうがいい。ほとんど人間は気にしたりはしない。私ですら気にしたことはないよ。自分が全てだ。違うか?」
自分が全て。
でも私という存在は、どこまでが自分だろう。
「レイン、余計なことを考えるな。お前はお前だ。一個の存在だよ」
「中佐、一つだけ、教えてください。もし自分に実は原版があると聞かされたら、どうしますか?」
「そんな展開を考えたことがない。それが答えだよ。だから健全でいられるんだ」
失礼しました、と私は頭を下げた。中佐も特に言葉を重ねることもなかった。
室長のためのスペースを出、訓練のための施設へ向かおうとする私は、自然とカクリと向かう方向が一緒になった。彼は次の任務にも同行するので、オリベリオ王国に関して情報収集をするようだ。
「カクリ、あなたは、自分の原版があると聞かされたら、どうする?」
足を止めないままに質問を向けると、カクリも前に進みながら答えた。
「原版は自分の体にしかないと知っているから、その問いかけは無意味だ」
「例の首筋の記録装置のこと? リアルタイムで更新されるっていう?」
「そうだ。この装置は特別で、複製はできない。本来の脳が機能停止しない限り、取り出そうとすると内容が消去される仕組みも搭載されている。どこまでいっても、私は一人だし、本来の肉体を本当の意味で全て喪失した時に、二度目にして本当に最後の生を生きることになるだろう。情報化された私は複製不能の記録装置が破壊された時に、本当の意味での死を迎えるわけだ」
ペラペラと喋るカクリに淀みはない。怯えもなければ、躊躇もない。
「でも、もし脳情報が複製されたら? 仕様が実は違って、あなたは嘘を信じ込まされているとしたら?」
「それはどんな場面でも同じだ。極論すれば、人間は死ぬとされているし、実際に他人の死を目の当たりにすることもある。だが自分自身の死は観察もできないし、試すこともできない。では自分が死ぬことに関しては嘘かもしれないが、自分が死なない、あるいは死なないかもしれない、と考える場面は極めて稀だろう。人間はそうやって、何かを信じる、盲信するものだと思う」
わからないな、と私は口にしていた。カクリは何か確信があるように、言葉にしていく。
「人間の思考の所在は脳とされる。それは脳情報に関する技術で確実なものとなった。しかし脳情報だけでそれに学習を与える技術はまだ存在しない。学習のためには肉体が必要であり、それはつまり脳情報移植型代替身体だ。だが今度は、人間とそっくりのものが生まれてしまい、人間とは何かという疑問が生じた。人間とは肉体なのか、人間とは思考なのか、それとも別のものなのか、答えは見つからない。その曖昧さ、未知の領域に、レイン、お前はいるんだろう」
私は思わず足を止め、こちらを振り返るカクリをまっすぐに見た。カクリはいつも通りの、無表情そのものだった。
「カクリ、まさかあなた、私を励ましている?」
「不必要だったか?」
不必要なわけではないけど、似合わないことをするものだ。
「ありがとう、と言っておこうかな」
「尊大だな。もっと素直になれ。お前は何事も考えすぎるのが悪い癖だ」
「癖じゃない、性分だよ。きっと昔からね」
昔。
雨宮凪も私と同じように思考の渦に苦労しただろうか。
ヒバナは、どうだったか。
他の姉妹たち、同源分岐人格群は、みな、同じなのか。
この日から数日をかけて状況の整理が行われ、私とカクリの準備も整えられた。今回は鷹咲中佐が言った通り、民間の旅客機での旅になった。カクリの機械式義体が金属探知機に引っかかったら笑ってやろうと思ったが、どういうわけか、ファーストクラスのチケットが手配され、その上、特別待遇で搭乗したためにからかう機会は失われた。
旅客機のシートは、軍用機のそれとは天地の差だし、ファーストクラスともなると極楽、極楽、と思わず声が漏れそうだ。飲み物もすぐに出てきた。こんな時だからと最も値が張る葡萄酒を選んだ。
「仕事だということを忘れるなよ」
カクリの指摘に「飲めない奴のひがみなんて聞かないよ」と応じて、堂々とグラスを口へ運ぶ私だった。到着までかなり時間がある。今、少しくらい飲んだとしても到着する頃には完全に酔いは抜けているだし、匂いもしないはずだ。
それくらいの計算ができないはずもないカクリだから、彼なりに私をからかったのかもしれない。
旅客機は空へ舞い上がり、オリベリオ王国へ向かって飛翔していた。
揺れはほとんどない。あっという間に高度を上げ、雲海を下に見ることができた。
今回の仕事には特に難しいことはない。先進国の一つであるオリベリオ王国では銃器は必要ないし、車で交通ルールを無視するような展開にもならないだろう。警察のお世話になることもないし、テロリストがウロウロしていることもない。
良いことばかりじゃないか。なんでもオリベリオ王国は朝食が豪勢で美味らしい。何故、朝食にそこまでこだわるかは事前の調査では調べていないが、美味いものが食べられるのだから、些細なお国柄に固執する必要はない。
私は窓の外を見ながら、シートに体重を預け、息を吐いた。
まったく、安全すぎるというのも、落ち着かないものだ。
どうやら、異常な世界に身を置き過ぎてしまったらしい。
(続く)
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