4-7 しくじり
◆
アルマスタン共和国からの脱出は、外務省の事務所にいる国防省所属の現地の駐在武官を通じて倭国本国へ要請された。
しかし想像とは違い、反応は芳しくなく、先に報告を求められた。私は事務的にそのことを告げられた時、思わずカクリと顔を見合わさずにはいられなかった。
任務の内容に関する報告は、基本的に本国へ戻ってからされるし、それが秘密任務の機密の根幹の一つとなっている。私の立場で言えば、鷹咲中佐か、その直下の人間に直接の報告するのが基本である。
同じ国防省の中でも、他部署の人間に詳細を伝えることは滅多にないし、それは任務終了後の報告にせよ、任務の最中の定時連絡にせよ、危険とされていた。
私やカクリの安全を確保する意味もあるが、要は横槍や苦情を防ぐためだ。
今回の任務は、私と同じ原版から生まれた存在との接触という、デリケートな問題だった。鷹咲中佐が総責任者ではなく、もっと上の人間が承認した上で実行されたはずだ。
その任務の結果を、誰ともしれない相手に伝えるのは、どう考えても危険だった。
「本国で何かあったかな」
とりあえず鷹咲中佐と連絡を取れるように計らってもらいながら、私はカクリとボソボソと意見交換した。それさえも駐在武官の部下が見ている部屋でのことで、下手なことは言えなかった。
どうだか、とカクリが答えたが、これは発言を控えたのではなく、不機嫌なだけだろう。
しばらく待っていると、鷹咲中佐からは要請通りに報告しても良いという返事を得た、と返答があった。実際に鷹咲中佐の声で聞きたいが、ここで下手にごねていると立場が悪くなりそうだった。
駐在武官はすぐにどこかに電話をかけ始め、受話器を耳から外すと私を手招きする。いやに手際がいいじゃないか。全ては織り込み済みか。
私はため息をひとつ吐いて、どこの誰だか知らないが、私の任務の結末を知りたがっている奴が待っているという受話器を受け取った。
相手の声は知らない声だったが、ボイスチェンジャーを使っているような不自然さはない。
最低限の言葉で、私が目撃したことを伝え、相手が返してくる質問にも最低限の言葉で返した。十分な演技力を発揮して声音に力を込めたものの、相手はあっさりと看破してきた。私もちょっと、やる気が空回りしたかもしれない。
『きみは隠し事が好きなようだな』
「申し訳ありません。このような形での報告には不慣れなのです」
最後に階級をつけてやりたかったが、相手は名前も名乗らなければ、自分の階級も明かさなかった。当然、私より上位である、そして鷹咲中佐より上位である、ということは間違いないが。
相手は苛立ちながらさらに質問を重ねてくる。うんざりしてきたが、最後まで秘密を確保することを投げ出さずに耐えた。うんざりしたのは相手も同じだろうが、怒りに関しては相手の方が優っていた。
結局、一時間ほど話をして電話は切れた。最後には、詳しくは帰国してから聞こう、というセリフがくっついていた。私がどこの誰かも知らない相手と楽しいお話をしている間、ずっと待機していた武官が私から受話器を受け取り、「宿舎を用意しよう」と笑顔を見せたが、皮肉げな笑みだ。
とても同じ国防省に所属する人間とは思えないが、秘密任務をこなすエージェントなど、正当な軍人からすれば卑怯者のこそ泥と同じか。
私とカクリは用意された宿舎、という名の安宿で数日を無為に過ごした。あまりにも時間があまりすぎたので、二人でボードゲームを半日、ぶっ通しでしても時間が余ったくらいだ。二人でのボードゲームにはすぐに飽きた。
安宿の主人にm電話がかかっていると呼ばれた時、私はカクリがどこかから用意してきたアルマスタン共和国の言語で書かれた本を適当に読みくだしているところだった。
電話を受けると、外務省の事務所へ出頭するように、とだけ伝えられた。
「帰国のめどは立ちましたか?」
素早く質問を向けると、いえ、とそっけない返事があり、次には、では、と実に簡潔な言葉とともに電話は切れた。
外務省の出先の事務所に行ってみると、駐在武官が無愛想の極みで待ち構えていた。以前と同じように彼はどこかへ電話をかけ、すぐにこちらへ受話器を突き出した。実に乱暴で、粗野な態度だ。この男の不機嫌に少しだけ溜飲を下げながら受話器を受け取ったが、今度は私が顔をしかめる番だった。
『レイン、任務の基礎を忘れたか』
中佐、と思わず声が漏れた。
電話の相手は鷹咲中佐だった。音声を合成しているのでなければ、間違いなく中佐の声だ。しかも怒り心頭といった様子だ。激怒も激怒、対面したくないほど怒り狂っている。しかも激情が暴走を通り越して冷静に到達している。
『詳しいことは帰国してから話そう。こちらから迎えをやる。明日の夕方にはアルマスタン国際空港に個人所有の小型機が到着するから、それに乗れ。給油を兼ねて四日の旅で倭国へ戻れる。必ず戻れ』
「もしかして、私の身が危ないということでしょうか」
必ず戻れ、という言葉はそれ以外の解釈がなかったが、最悪なことに中佐は、かもしれん、と応じた。
『前政権の崩壊からこちら、脳情報移植型代替身体は、閣僚にとっても官僚にとっても弱点になっている。私はお前の有用性をよく知っているが、知らない連中はお前の存在をなかったことにしたいかもしれない。とにかく小型機へ乗れ。今はそれだけを考えろ』
結局、具体的な話はないまま、電話は終わった。名も知らない人物と比べれば、実にあっさりしたものだ。
駐在武官に受話器を返しながら、それとなく相手の様子を観察した。
胡乱げにこちらを見ている男が、果たして私の暗殺を考えているだろうか。わからない。少なくとも、倭国の国内で決行するより、この異国でそれとなく始末する方が楽だろう。同じ交通事故で抹殺するとしても、倭国よりアルマスタン共和国での事故の方が都合がいいはずだ。倭国よりアルマスタン共和国の方が治安が悪く、アルマスタン共和国は輸送機に地対空ミサイルが普通に撃ち込まれる国である。
外務省の事務所を出て、念入りに尾行を確認しようとしたが、よく考えれば外務省が用意した宿舎という名の安宿に戻るわけで、尾行する理由はない。むしろ待ち伏せを警戒したほうがいいだろう。あとは誰かが横合いからぶつかってきてナイフで抉られたりする、原始的な手法も怖い。
かなり緊張しながら宿舎に戻ると、カクリが不審そうに私を見た。とりあえず私は彼にも事情を話してやった。私だけが命を狙われ、カクリが命を狙われない、なんて理不尽なことはないはずだ。
「お前は消されるかもしれないが、こちらは無関係だ」
あっさりとカクリはそう口にしたが、私はその足を蹴りつけてやった。まだ愛玩用の代替身体に入っていることをすっかり忘れていたので、カクリの足にぶつかったこちらの足が折れそうだった。涙が滲むが、もう、何もかもにうんざりだった。
結局、誰からの襲撃もないまま、予定の時刻になった。私とカクリはタクシーを利用して国際空港へ向かった。携帯端末に電子チケットがすでに送られてきていた。
タクシーに乗るのが最後の関門だった。このタクシーに対戦車ロケット弾がぶち込まれるかもしれないし、別の車両が突っ込んでくるかもしれない。巻き込まれるタクシー運転手がかわいそうだが、彼は彼で私とカクリと関わった不運に泣いてもらうよりない。
そんなことを考えていたが、無事にタクシーは空港へ着き、私はヤケクソ気味に大量のチップを渡してやった。これにはタクシー運転手が仰天していたが、無理やりに握らせた。
空港ではスムーズに手続きが終わり、小型機へ乗り込むことができた時、さすがに安堵した私だった。カクリは平然として席に着くが、私は腰が抜けたように席に着き、しばらく脱力するしかなかった。
小型機の客席ではアテンダントの女性が一人だけいたが、何も知らないか、知らない演技をしているようだった。私とは段違いの演技力だ。飲み物は何にするかを聞かれた私は、即座にアルコールを頼んだ。アルコールならなんでもよかった。ちなみにアルマスタン共和国では宗教の問題でアルコールは闇で売られている。
「メニューです」
差し出されたメニューから倭国のビールを選ぶ。カクリも飲み物を聞かれていたが、水、と答えていた。アルコールが飲めないとは、機械式義体はつまらないだろうな。
そのうちに飛行機は空港から離陸し、倭国へ向かい始めた。
私はすぐに眠ってしまい、前後不覚に陥っていた。夢を見た気がするが何も分からない状況から、不意に私は闇の中に漂っていて、その暗闇からアメミヤ・ヒバナの顔が浮かび上がった。
死者の顔。
虚無そのものの瞳。
そこに映っているのは、誰だ?
私?
では死んでいるのは、誰だ?
目が覚めた時、自分がどこにいるかわからなかった。
ここは、飛行機の中か。隣を見ると、カクリが目をつむって微動だにしない。私はうなされてはいなかったようだ。それでもバツが悪い思いをしながら、私はそれとなく目元を拭っていた。無意識の動きだったが、指が少し濡れた気がした。
いくつかの空港を経由し、倭国へ戻った時、空港は暗闇の中にあった。付属施設の明かりは真昼のように明るく、地上の太陽のようだ。
しかし施設に入るわけもなく、小型機を降りたところでどこにでもありそうな車両が待っており、私とカクリはそれに乗せられるとそのまま空港を出て、国防省の関連施設へ連行された。
兵士上がり、というよりはおそらく現役の国防軍の兵士の男が警備するその施設の外見は、どう見ても富裕層の別荘だった。夜が明けていたのでよく見えた。もし警備する男が目に入らなければ、国防省と関係ないただの別荘だと思っただろう。
車を降りて警備員の一人が先導する背中を追いながら、それとなく相手の脇の下に拳銃があるのを膨らみで観察しながら、倭国は平和だな、と思ったりもした。ここには自動小銃もないし、対戦車ロケット弾もない。地対空ミサイルだってそうそうお目にかかれない。
案内された部屋に私たちが入ると、警備員は退室した。
「ひどい体に入っているものだな、レイン」
待ち構えていた人物を見て、私は直立し、敬礼した。
それで少しでも相手の怒りが解消されればいいが、そうは行かなかったようだ。
普段とは別人のような険しい顔で、鷹咲中佐は片手を頬に当てていた。
「申し訳ありません、中佐」
「何が申し訳ないんだ? 売春婦のような体を使っていることか? それとも迂闊に任務について漏らしたことか」
「アルマスタン共和国の駐在武官が敵対勢力とは知りませんでした」
「敵はどこにでもいるよ。だからこそ、きみを一時的にここに軟禁しなくてはならん。我々が打つ手を見つけ、それが効果的だと見通しが立つまで、ここにいるといい。食事はどうする? 調理済みのものを届けさせるか? それとも食材を届けさせて、きみは料理で気を紛らわすか?」
どう答えればいいか、答えを見出せない私だった。
しくじったのは間違いない。他に選択肢はなかったが、今更、言い訳をしても無意味だし、そういう態度を中佐は求めないだろう。
「申し訳ありません、中佐」
「レイン、一つだけ言っておこう」
立ち上がった中佐が私に歩み寄り、軽く肩へ手を置いた。
「きみが今、生きていられるのは、天の配剤だ。神に感謝しろ」
天の配剤。
神……。
肩から手を離すと中佐はカクリを一瞥してから部屋を出て行った。その視線のやり方は、私を見張っておけ、という意味がありそうだ。
しかし、神に感謝しろ、だって?
私は中佐が閉めたドアをしばらく見ていたが、彼の真意はわからなかった。
神とはなんのことだったのか。
誰が私の運命に関与したのだろう。
神とは、誰だ?
誰も答えを教えてくれなかった。部屋のどこかで時計が静かに時を刻んでいる以外、何も聞こえない。
私は癖になりつつあるため息を吐き、微動だにしないカクリに声をかけた。
「ちょっと眠る。食事をなんでもいいから、用意しておいて」
相棒は実に律儀に、わかった、と答えた。
それにまた意味もなくため息を吐きそうになり、グッと飲み込む私だった。
(続く)
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