4-5 自分と自分の対話
◆
武装した男たちはどこかへ離れていき、私とカクリは女性の先導で三人きりで歩き出した。遺跡へ向かっているようだ。
日差しはいい加減、強すぎるほど強い。あっという間に汗水漬くになるが、いつの間にか服はじっとりと湿ってこれ以上は水分を受け入れることを拒否している。速乾性の素材のはずだったがそれでも追いつきそうもない。
「あなたたちが接触してくる事は予想していた」
一歩一歩、先へ進む女性の背中から声がする。
「倭国が私を放っておく理由はないからね。身を隠していない雨宮凪の同源分岐人格はそうそういない。それに、あなたの立場もわかっていた」
「こんな砂漠にいて、よく情報が手に入るわね」
そうやり返すと、彼女は少し笑ったようだった。不快なほど、私の普段の笑い方とそっくりだった。
「どこにいても情報は入る。現代社会ってそういうものでしょ?」
答えになっているかもしれないし、なっていないかもしれない。
ただ、雨宮凪の同源分岐人格群の共通点として、情報戦にはかなり強い傾向がある。ゼロ・フロアの一件もそうだし、国防省の独房へ忍び込んだのもそうだ。私自身にはそんな芸当は難しいが、いったい、どういう手法を駆使しているのだろう。
私の疑問に気づいた様子もなく、一定のリズムで歩を進めながら彼女は言葉を続ける。
「倭国国防省が私を処理しに来ることは分かっていたけど、暗殺しようとするか、拘束しようとするか、そこはわからなかった。あなたたちのボスの考えは読めないからね。どういう任務でここへ来たの?」
答えないこともできたが、こうなっては任務はおじゃんである。打ち明けてもいいだろう。今、最も優先することはカクリと二人で無事に本国へ帰還することだ。そのためには目の前にいるまだ名前さえ知らない女性の助けがいる。
その点では、自分たちが彼女をいきなり殺そうという計画ではないのは、ありがたかった。どれだけ度量の広い人間でも、超人的に寛大な人間でも、自分を有無を言わさずに殺そうとする人間に協力しようとは思えないだろう。少なくとも私は思わない。
「私が受けた指令は、あなたと接点を持ち、雨宮凪から始まる同源分岐人格群の総意を知ることだった。場合によっては処分することも許されたけど、まずは接触せよという内容だった」
「紛争しかないような国で、武装している集団の現場指揮官に接触するとは、荒唐無稽ね」
「でも実際にはこうして接触できたんだから、荒唐無稽でも関係ないわ」
「あなた、いつもそんな運任せで任務に当たっているの?」
「その傾向は否めないわね。どういうわけか、常に任務は困難な方へ転がる傾向にある」
同情するわ、といった時だけ、彼女は背後を振り返ってちょっとだけ笑った。
やがて遺跡のそばへやってきた。人の気配は薄いが、数人が行き来している。観光客ではないことを証明するように、全員が銃器で武装していた。
「あなたたちを迎えに行く形になったけど、実際には敵対組織の攻勢に対して、背後に回って挟撃する計画だったのよ。とりあえずはうまくいったみたい。これで少しは時間が稼げる」
遺跡は他より高い丘の上にあり、遺跡の石造りの土台の上に登ると周囲がよく見渡せた。女性は話をしながら周囲を高性能の双眼鏡で確認している。私はといえば遺跡のそこここに止められている砂上走行車を確認していた。武装しているものもあるが、明らかに廃棄されている物もある。他の車両が破損した時に代わりの部品を調達するためにそこにあるのかもしれない。
ひとしきり周囲を見てから、こちらへ、と女性が身を翻す。私とカクリがそれに続く。
遺跡は意外に広かった。奥へ行く途中ですれ違う男たちが必ず、私の先を行く女性に声をかける。アルマスタン王国の公用語でのやり取りを翻訳していくとただの挨拶らしい。今日は風が弱い、とか、生きのいい羊が手に入りそうだ、とか、星占いでもしてやろうか、とか、そういう無害な感じである。
私たちが入り込んでいる遺跡は石造りの巨大な構造物だが、一部はミサイルでも打ち込まれたのか、完全に崩落している。それでも建物として生きているスペースもあり、女性はそこへ私たちを連れて行った。
入ったのは狭い部屋で、どうやら女性の個人的な空間らしい。かすかに香が焚かれていて、寝台は狭いが整えられている。椅子は一脚しかなく、部屋の明かりを調整した彼女は椅子を私に勧め、自分は寝台に腰掛けた。カクリは壁際で直立した。そういえば彼はずっと無言だが、何を考えているのだろう。
「あなたの名前は?」
女性は私に訊ねてくる。そう、私たちはお互いのことを知っているようで、何も知らないにも等しいのだ。知っているのは、友人ではない、ということくらいか。
「アメミヤ・ナギ」
「あなたは原版の名前を継承しているのね。私はヒバナと名乗っているわ。姓を聞かれれば、アメミヤと答えるけど」
アメミヤ・ヒバナはうっすらと微笑みながらそう言った。
「倭国の国防省は雨宮凪の同源分岐人格群をどうするつもりか、ナギ、あなたは聞いている?」
「いいえ、聞いていない。しかし放ってもおかないでしょうね。例えばヒバナ、あなたみたいな存在がいる限り」
「辛辣ね。私は別に、雨宮凪から生まれたからこうしているわけではない。私自身の信念で、ここにいるのよ。それを否定しないで欲しいわ。あなただって、雨宮凪から生まれたから倭国国防省に尽くしているわけではないでしょう?」
「私が私の意志で今の仕事をしているのは、あなたの言う通りよ。ただ、私たちは何というか、危険物なんじゃないからしらね」
面白いことを言うわね、とヒバナが口元を手で隠しながら笑う。お上品な仕草だが、その仕草は私もたまにやる。相手を挑発したい時に。
挑発に乗るつもりもなかったが、答える口調はやや強くなった。
「雨宮凪という存在というか、その評価について、私は詳しくは知らない。でも危険な能力の持ち主だとは思う。私自身の危険性を鑑みればね」
「ただの人間で、今は身動きも取れないのに危険物扱いとは雨宮凪でも泣くんじゃないかしら?」
「雨宮凪は涙を流す前に、自分を否定する全員に鉛玉をお見舞いしそうね。私だったらそうする」
「私もそうするかな。幸い、銃の扱いには長けているし、実際に銃もある。このノウハウと発想こそが、雨宮凪の危険性なんでしょう。認めたくないけど」
どれだけ議論しても、答えは出ない。倭国が何を考えて雨宮凪から脳情報を取り出し、そこから私を生み出したのかも分からなければ、どこの誰が雨宮凪の脳情報を世界にばらまいたかも分からないのだ。
ただ、それは核兵器や細菌兵器の拡散よりも容易であるとはいえる。
脳情報と、脳情報移植型代替身体、転写装置、これが揃えば容易に雨宮凪は量産できる。
雨宮凪という存在の拡散は容易い。拡散する理由は不明だが、拡散する意志さえあればすぐにできる。
「ナギ、私はこう思っている」
ヒバナが少しだけ声をひそめる。室内の明かりは薄暗く、彼女の顔の半分には影が落ちていて黒に沈んでいた。
「雨宮凪はある種の神なのよ。私たちはその神に似せて作られた存在。そうでなければ、救世主である雨宮凪を守り、広めるための使徒かもしれない。私は何度か、雨宮凪の同源分岐人格群らしいものの接触を受けているの。あなたもじゃない?」
意外な方向に話が進み始めた。妄想や観念はどうでもいいが、聞き捨てならない話だった。
「ヒバナ、私も雨宮凪の同源分岐人格群に接触を受けた。しかし彼らの意図はわからなかった。あなたにはわかるの?」
「判然とはしないけど、雨宮凪を、本当の雨宮凪を解放することを訴えてきた。私はここを動けないし、拒否するしかなかったけど、正直、不思議な思いだった。捕虜を解放しようというのとは違う。まるで、そう、神を蘇らせるような、そんなイメージ」
「雨宮凪を解放する? 神を蘇らせる? どういうこと?」
「私に接触してきたものは、倭国が雨宮凪の原版をその肉体ごと保管していると言っていたわ。永遠の眠りの中にいる、と表現していた。それを目覚めさせ、我々という一群による変革を起こすのだと」
またも話が作り話めいてきた。素人の作ったドラマ映画のようだ。
「よくわからないけど、倭国にある雨宮凪の本体を奪う、って話?」
「私にもよくわからない。雨宮凪の同源分岐人格群が一斉に蜂起するのかもしれない」
まさか、と笑うしかなかった。
いくら複製が容易だからって、同源分岐人格群が一〇〇人も一〇〇〇人もいるわけがない。少数による蜂起など、容易に鎮圧されるだろう。
「まさかヒバナ、あなたは部下をそれに動員するように求められたわけじゃないわよね?」
「そんな話はなかった。むしろ、選ばれた存在による、高貴な蜂起、とでも呼ぶような雰囲気だったかな」
いよいよ私は笑い出しそうだった。夢想もいいところだ。雨宮凪の同源分岐人格群の一部は、完全に暴走してしまったのだろう。
「あなた、今、笑おうとしたでしょう」
その不意打ちに、私の心にひんやりとしたものが走った。
ヒバナが私を見ている。静かで、冷静な眼差しで。
「ナギ、あなたは雨宮凪の原版を放っておいてもいいと思っている?」
「どういうこと? 原版のことは、私とは関係ないわ」
「私とも関係ない。しかし、関係はあるかもしれない。原版が残されている限り、私は無限に複製されてしまう。それは正さないといけないわ。雨宮凪という神を、汚れた人間から解き放つ必要は、まったくないわけじゃない」
私は言葉を失い、ただ目の前にいる、自分と同じ起源を持つ砂漠の女戦士を見ていた。
自分が複製される、などということはわかりきっている。
確かに奇妙な事態は出来する。
こうして二人の女が対面しているのも、体こそ別人だが、頭の中は元々は同じ人間なのだ。自分と自分が話しているようなもの。それも自分の頭の中で立場をいくつか用意して検討しているのではない。全くの別人でありながら自分でもある存在と対面し、対話している。
これは考えれば奇妙なことだ。奇妙なことだが、現実だ。
仮に複製された人間がこの世に溢れれば、自分同士の対話は自然となろう。それが不自然ではないのは、脳情報の上に個人的な経験が積み重なり、同一人物でありながら別人となっているからだ。
ただ、どこかで共有される部分があり、それが覆せないとなった時、対話が本来的な対話ではなくなる可能性はある。
その時の奇妙な捩れに、精神は耐えられるのか。
「ヒバナ、あなたは、原版を奪うべきだというの?」
「ナギ、あなたは自分が幸福だと思う?」
問いを無視された上に場違いな問いかけを返され、私はとっさに「それなりにね」と答えた。ヒバナは、かすかに顎を引いて頷いた。
「私もこんなところにいるけど、幸福を感じることはある。でもそれは、私の感性なのかはわからない。私ではなく、原版たる雨宮凪の感性がそう感じているだけなんじゃないか。実際の私は幸福でもなんでもなく、別の場所で、全く別の生き方をしたいんじゃないのか。そう思うことがある」
「あなたは自らここにいて、自ら銃を手に取っているんじゃないの?」
「そうさせたのは、私なのかしら。それとも雨宮凪なのかしら。答えられる?」
私は、答えを持たなかった。
自分が何を好み、何に価値を見出すかは、本来的には何者も踏み込めない領域だ。個人がそれぞれの個性を持って、その領域を作り出し、解釈する。
だけど私やヒバナは違う。
私たちの価値観の領域を含む基礎は、雨宮凪に依拠している。そこを脱出することが、果たして出来るのか。出来ているのか。
ヒバナが顔を俯かせ、顔の全部が陰に隠れる。その中で唇の間に覗く歯がチカチカと光った。
「ナギ、私は雨宮凪という原版に特別の思いはないつもりでいる。だけど実は心の奥の方で、別のことを思っているかもしれない。私は他の同源分岐人格群が狂気に支配されているような印象を受けた。でも、それは私も同じなのかもしれない。冷静で、理性がある、正気の人間のようなふりをしているだけで、内心では狂っているのかも。だって、あの狂人たちと全く同じ場所から私は生まれたんだから」
どう答えることができただろう。
俯いたままのヒバナを見ながら、私には返す言葉がなかった。
ヒバナの口から、重い溜息が漏れた。
「原版なんて、どうでもいい。同源分岐人格群も、どうでもいい。ただ私は自由になりたかった。何者でもない自分になりたかった。雨宮凪である自分ではない自分に」
その苦悩に満ちた重い言葉に、私はついに応じなかった。
遠くで甲高い音がしたかと思うと、聞き間違えようのない爆音が響き、全てが激しく揺さぶられたからだ。部屋が崩壊しそうな爆発だった。至近距離だ。
ヒバナが自動小銃を手に取り、「逃げなさい」とだけ言い残して部屋をで行く。私は立ち上がったが、その時にはヒバナは通路に飛び出し、足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
ずっと黙っていたカクリがこちらを見る。
「どうする。おそらく敵対勢力の攻勢だろう。退避するか?」
そうね、と答えたが、結局、私は肩から下げたままの自動小銃に触れていた。
「逃げるわけには、いかないと思っている」
そう言うと思ったよ、とカクリがちょっとだけ笑みを見せ、先に通路へ出た。
私もそれに続く。
爆音は繰り返し、全てを振動させている。
逃げてもいい。
逃げたい。
そう思っても私を戦場へ向かわせるのは、誰の意志だろう。
私自身か。
それとも、雨宮凪だろうか。
答えは出ない。
両者は分かち難く結びつき、一つなのだから。
(続く)
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