4-3 目覚め
◆
目が覚めた。
目が覚めたが、この言い知れない不快感はなんだろう。
強烈な既視感を感じながら手を眼前に掲げてみる。女性らしいほっそりとした手だが、私の想像とだいぶ違う。なんというか、不自然なのだ。
ベッドの上で起き上がると、長い前髪が視野を塞ぐのでかき上げて退けておく。部屋はみすぼらしいが、どこかの途上国の安ホテルと言われれば頷けるというところ。つまりアルマスタン共和国へ入ることはできたわけだ。
また髪の毛が顔に垂れてくる。払いながら、いやに長い髪の毛にやっと意識が向いた。こんな面倒な仕様で潜入任務に当たるわけがない。
ベッドから降りてみると、いよいよ不審になる私だった。足はまるで折れそうに細く、とても運動に向いているとは言えない。なのに腰のあたりに変な重さがある。ついでに胸も重かった。
着ているのはキャミソールのようなものだが、見下ろしてみると二つの実に豊かな盛り上がりが胸元にあった。
こんな仕様の脳情報移植型代替身体などあるだろうか。
自分の体について強烈な疑問を感じていたせいか、扉が開くまで外に誰かがいることに気づかなかった。
反射的に腰の後ろに手を伸ばして拳銃を抜こうとするが、もちろん、そこには何もなかった。
「起きたか」
部屋に入ってきたのは、巨大な袋を抱えたカクリだった。袋には食料品が入っているようだった。まったく動じた様子もなく部屋に入ってくると、いかにも安物のテーブルの上に紙袋が乱暴に置かれる。
彼が私を見て、わずかに眼を細める。
「とりあえずは支障はないようだな」
「支障が出てもおかしくない事態があったみたいね」
「まあな。輸送機が地対空ミサイルで撃墜されそうになった。直撃しなかったが、輸送機は胴体着陸して、乗員は無事だったが機材の一部が燃えた」
「その機材の一部が、どうやら私の体だったみたいね」
信じがたいことを冗談にしてみたが、まさにね、とカクリが返事をする。
彼は安物の椅子に座ろうとしたが自分の体重を考えて遠慮したのだろう、まっすぐに立ってこちらを見る。不服げな顔つきだが、私こそ不服というものだ。
「で、体は燃えて、どうなった?」
「現地で先行して活動していた工作員に頼んで、適当な脳情報移植型代替身体を用意してもらった。それがその体だ。転写自体は装置が無事だったから完璧なはずだが、しかし、脳機能パッチを追加した」
今回もまた私は適当な体にインストールされ、補正を施されているわけだ。
「転写が完璧なはず、の、はず、の部分が気になるけど、聞かないほうがいい?」
「いや、もしもの時に自覚症状を見過ごされると困るから、理解しておいたほうがいいだろう。その体は脳情報移植型代替身体として製造されたが、技術が不完全で、空白脳がまったくの空白ではないようだ。空白脳にあるわずかな痕跡が、お前の脳情報と衝突する可能性があり、それで脳機能パッチを使用した。どうだ、どこかに不具合はあるか?」
聞いた内容を受け入れたくないが、目を背けるわけにはいかない。
念のために手足を動かしてみて、肘の曲げ伸ばしや膝の屈伸もして、腰をひねり、首を確認し、一応のところは身体の機能には不備はないようだった。次に簡単な計算を暗算で確かめ、その次には記憶している幾つかの言語を思い出し、ボソボソと口にして喋ってみる。思考はクリアで、舌も問題ない。
できれば拳銃を借りて射撃技術を確認したいが、窓の外を見る限り市街地なので試射はできそうもない。
「不具合は何もないみたいね。で、状況はどうなっている?」
「お前の回復待ちだった。動けるならすぐに動こう。武装は用意されているし、車も燃料も、食料も水も、全て整っている」
「私が眠りこけている間に準備万端ということか。明日にでも動こう。接触する相手に関する情報は入っている?」
「砂漠の中の古い文明の遺跡を利用した拠点を偵察するのが今回の任務の本筋だが、拠点はまだ使われているという情報がある。この街から片道で六時間だ。道筋は把握している」
「私の体がなくなった以外は予定通りってことね」
あまり根に持つな、と言いながら、カクリが机の上の紙袋から水のボトルを取り出し、こちらへ放ってくる。受け取ろうとするが、危うく取り落としそうになった。慌ててつかみ直し、キャップを開けようとするがなかなか開かない。誰が作ったか知らないがきつすぎる。
渾身の力でキャップを開いて喉を鳴らして水を飲むと、少し落ち着いた。
だが、また髪の毛が顔に落ちてくる。
「ハサミ、ある? ちょっと髪の毛を切りたいんだけど」
待っていろ、とカクリが部屋の隅の戸棚を検め始め、私は姿見があるのを発見して、それで自分の体を確認してみた。
鏡に映っているのは自分とは思えないほどの美少女だった。人形じみている。華奢なのに、胸周りと腰回りの肉付きがいい。下着モデルでも勤められそうなデザインの体である。
「この体、どこが運用しようとしたの」
カクリの方を見ると、彼はハサミを片手に難しい顔になっていた。
「その代替身体は、愛玩用だ」
とっさに姿見に向き直り、今度は念入りに自分を見た。
どうりで扇情的な体なわけだ。
カクリがボソッと付け足した。
「未使用品だと聞いている」
当たり前だ、この馬鹿め。
しかしボトルの蓋を開けられない理由もこれでわかった。
私の本来の代替身体はそれなりに筋力が強めに設定されている。一般的な女性よりははるかに力があるのだ。銃器の扱いに対応するためで、しかし脳情報を移植した直後はうまく使えない。訓練に訓練を重ねてやっと馴染むような具合である。
それが今回はそもそも代替身体が非力で、訓練を積む時間もないときた。少しずつ慣らそうと言うつもりだったが、これはどうやら期待するだけ無駄かもしれない。
武装せずに標的と接触するのは非現実的だが、戦闘になってもできることは限られる。
たかが体、されど体、というところか。
「どこか具合でも悪いのか?」
私が黙り込んだのを勘違いしたカクリが声をかけてくるのが、恨めしい。
「具合は悪くない。ただし、現状がかなり悪いと思っただけ」
カクリの返事はなかった。
まったく、そういうところでは察しがいいのだから。
長すぎる髪の毛を切るためにハサミを催促すると、どことなく恐る恐るという感じでカクリがハサミを差し出してきた。自分が刺されるとでも思ったのかもしれない。
刺して何もかもが解決するなら、刺したかもしれない。
そういう気持ちだったが、私の脳情報と空白脳の衝突による不具合ではないはずだ。
不具合だったら、もうこの任務は終わりだろう。さっさと本国に帰るべきだ。
しかし、悲しいことにそうはいかないのが現実だった。
任務はまだ、一歩も先に進んでいなかった。
(続く)
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