4-2 苦難

       ◆


 倭国の国防軍に所属する輸送機のキャビンで、カクリは腕組みをしたまま窓の外を見ていた。

 一面に砂漠が広がっている向こうに、都市のようなものが見えてきていた。

 倭国の空軍基地を飛びだって、二つの第三国を経由しての空の旅も終わろうとしている。キャビンにはあと二人、カクリと同様に軍服を着込んだ男がいて、どちらもカクリとは直接の関係はないがアルマスタン共和国を訪れる任務があるという。

 アルマスタン共和国における倭国の現地窓口は外務省の出先機関だが、当然、各省の担当者も配置される。

 ちなみにカクリの軍服の階級章は少尉になっていたが、他の二人は佐官である。

 カクリにとって何よりも重要な装置は、まず相棒の脳情報を記録しているケースが懐にある。その相棒が入るべき肉体と、肉体に相棒を入れる装置はキャビンではなく、機体後部の格納庫にあった。

 自分さえ助かればなんとかなる、などと考えながら、しかしカクリは落ち着かなかった。

 何事にも平然としているような印象の相棒と比べると、自分の方が精神的に落ち着きすぎているという自覚がカクリにはあるが、今回ばかりは別だ。

 この任務において、相棒が占める役割は全体の八割だ。相棒不在でカクリだけが接触対象と対面したとしても、意味はない。それどころか接触が可能かどうかすら判然としなかった。

 任務が成功するかどうかのハードルは高いようだ。

 やがて機内アナウンスがあり、飛行場へ着陸態勢をとるのでシートベルトをつけるように、という内容だった。シートベルトを締めながら、さりげなくポケットの中身に触れてみる。そこに確かな感触がある。小さくなりすぎてしまった相棒の本体は、あまりにも無力だ。

 機体が傾き、不自然な力が体にかかった時、カクリはやはり窓の外を見ていた。

 視界の隅で、小さな煙が上がったのを見たのは、だから偶然だ。

 その煙が何なのか、煙を突き破って何かが向かってくるが、それが何なのかは、機内にサイレンがなって理解が及んだ。

 地対空ミサイルだ。まっすぐにこちらに飛んでくる、と思った時には至近だった。

 唐突に体に極端な力が加わる。操縦士が地対空ミサイルに気づき、咄嗟に機体を捻ったのだ。機体全体が激しく軋み、それだけでも絶望的な気分になる。

 窓の外を確認することはできなかったが、聞いたこともないような甲高い音の後、爆音がすぐそこで聞こえた。爆音そのものに押されたように、輸送機が横に滑る。今度こそ機体が空中分解するかとカクリは覚悟を決めた。

 輸送機は横へ流れながら、しかし、分解もしなければ、墜落もしなかった。墜落に関して言えば、かなり急角度で降下していたので、これは墜落ではなく落下、という解釈の上での否定ではあったが。

 機内放送が、緊急着陸をする旨を繰り返している。カクリはシートから投げ出されないようにぐっと体を固定した。同乗者が何をしているかは見ている余裕がない。

 やっと窓の外が見て取れたが、見えたものといえば黒煙だけだ。翼に取り付けられたエンジンが火を吹いたのを消火したのかもしれない。少なくとも地対空ミサイルは翼に直撃したわけでもないようだ。もしそんなことになれば燃料タンクが爆発し、今頃、カクリは何らかの形で死んでいる。

 機体はどんどん高度を下げていく。さっきまでやや離れて見えていた都市部は目と鼻の先だが、その手前に整地された滑走路があるのが煙の陰でわずかに覗く。飛行場までたどり着けない、という展開は避けられそうだ。しかし機内での警報は鳴り止まない。

 不意に機体に鈍い揺れが走り、機動が乱れ始めた。もう何が起こっているかは知りたくないカクリだった。

 やっと地上の様子が見て取れるようになったところで、着陸を強行するアナウンスがあり、あとは天に運を任せるだけになった。カクリは神に祈ろうかとも思ったが馬鹿らしくなってやめた。神がいようといまいと、墜落する飛行機を掬い上げることはできないだろう。

 地面がすぐそこだ、と思った時には目と鼻の先に地面があり、輸送機が急に減速したためにシートから投げ出されそうになった。シートベルトが身体に食い込む。この時ほどシートベルトに感謝したことのないカクリだった。

 耳障りな金属と何かが擦れ合う轟音の中、窓の外の光景は激しく流れ過ぎていて全てが混ざり合って見える。

 そんな様子も輸送機が減速したことで、少しずつ輪郭を取り戻していった。明らかに軍用の輸送機、そして戦闘機も見て取れる。どうやら軍用飛行場に着陸したようだ。

 そんなことを思っているうちに、輸送機は完全に停止し、安堵する間もなく脱出するように指示が出た。空気に異臭が混ざっている。ジェット燃料を連想したが不吉すぎるので思考から締め出す。

 他の軍人とともに非常時のスライダーで機外に出たところで、消防車が向かってくるのが見えた。

 背後を振り返ると、輸送機の翼の片方が激しく燃えている。こういう時の常でどこかで燃料を捨てたかもしれないが、火の勢いはかなり激しい。

 安全な場所まで逃げ、そこで救助隊にカクリたちは保護された。体の異常を確認されたがどこも問題はない。

 問題なのは荷物がこうしている間にも燃えていることだ。消防車の吐き出す消火剤は火勢と拮抗しているように見えた。今度こそ神に祈りたいカクリだったが、もちろん、神が手を差し伸べることはない。

 その場で見物するわけにもいかず、空軍基地に付属の建物に連れて行かれ、アルマスタン共和国空軍に形だけの聴取をされ、すぐに現地の倭国の出先機関から迎えが来た。カクリの任務のことを知っている人物ではないので、カクリは一度、事情を知る相手を訪ねるしかなかった。重要な機材を他国の空軍基地に放置するのは最悪な展開だったが、他にやりようはない。

 カクリが武官としてアルマスタン共和国に滞在している人物と面会した時には、その武官の方に空軍基地でどのような処置が取られたか、すでに情報が先回りしていた。

 脳情報移植型代替身体は破損し、その場で焼却処分されていた。

 脳情報転写装置は生きているが、現状では脳情報移植型代替身体がないので無用の長物だった。

 武官は、本国から脳情報移植型代替身体を取り寄せるか、カクリに問いかけてきた。それも選択肢の一つだっただろうが、カクリは否定した。あまりこの国に長居したい気持ちではなかった。

 それより、とカクリは別の質問を向けた。

「倭国の識別マークのついた輸送機に地対空ミサイルが撃ち込まれるのは、この国は普通なのですか?」

 武官の男は少し口元に笑みを見せると、堂々と答えた。

「エイグリスでもアルクスでも、地対空ミサイルは相手を選びませんよ」

「誰がそんな無謀なことを?」

「自分たちが神の代理人だと思っている連中でしょうね」

 冗談なのか、それとも本気なのか、カクリには判断がつかなかった。相棒なら何かしらの返答ができたかもしれないが、カクリはただ「そうですか」とだけ答えた。

 任務の成功を祈る武官のもとを去り、カクリはまず先に現地入りしている工作員と接触した。隠れ家は事前情報の通りに、市街地の一角にあった。工作員はまるで現地住民のような姿形をしていたが、確かに味方だった。

 もっとも、カクリがいきなり荒唐無稽と言ってもいい要求をするとは想像もできなかっただろう。

「脳情報移植型代替身体が欲しい。用意できるか」

 相手はカクリの顔を正気を疑うような目で見て、しばらく動かなかった。

「どんなものでもいい。早めに用意できれば」

 そう言葉を続けるカクリをまだ疑っていたようだが、工作員は方々に連絡を取って「三日で都合できる」と口にした。

 こんな国に脳情報移植型代替身体の製造が可能とは思えなかったが、工作員は「他国から手に入れる」とあっさり打ち明ける。

「三日で大丈夫か?」

 念を押すカクリに、工作員は雑に手を振った。

「何日かけても、最新鋭の代替身体は手に入らないよ。だから質の悪い体でも我慢してくれ。しかし、脳情報転写装置はどうする。それも都合できるが?」

「その装置は手元にある。倭国の出先機関が整えてくれるだろう」

 実際、空軍基地で燃やされずに済んだ装置は、出先機関がそれとなく回収したことになっている。元々が物資の輸送が目的だったので、残ったものを回収したことに不自然さはない。

「とにかく、代替身体を都合してくる。三日のうちに連絡する」

 こうして工作員は隠れ家を出て行き、カクリは一人になった。

 考えるのは相棒のことだ。

 また予定外の体に放り込まれて、文句を言うだろう。

 この任務もまた、最初からつまずいているのは誰の不運のせいだろうか。



(続く)

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