第四章 もう一人の
4-1 弱み
◆
その任務について聞かされた時、私は心臓が凍りついたかと思った。
「中佐、今、なんと?」
鷹咲十次郎中佐は根気強く繰り返した。
「お前と同じ原版から生まれた、同源分岐人格群の一体が活動していることを確認した。そう言ったのだ」
国防省のいつもの鷹咲中佐のスペース。大抵、ここで作戦を実行するにあたっての初期段階の説明を受ける。なのでカクリも同席していた。彼は私ほど動揺しなかったようだ。
「私と同じ原版を持つ存在の居場所を掴んだのですか?」
「複雑な経路で通報があった。アルマスタン共和国という砂漠の国で、武装した民兵の組織に参加しているらしい。お前という奴はどうも、どこへ行っても銃を持たずにはいられないようだな」
「私じゃないですよ。別人です」
中佐のやや不愉快な冗談に真剣に応じながら、私は無意識に手で口元を撫でていた。
私と同じ脳情報から成立しているものたちの存在は、ここのところの倭国国防省の関心事の一つだった。脅威なのか、それともコントロール可能なのか。
そもそもの原版である雨宮凪という女性とは何者なのか、という部分までが議論されたと聞いている。しかしこれは人間たちには手の出せない、不可侵な領域だった。
雨宮凪に関しては軍事知能群「アスカ」が全てを管理し、ごく限られた相手にしか詳細な情報を提示しなかった。もちろん、それを知ることができたものでもおいそれと口外できない。それをしてしまえば、機密漏洩で極めて重い罰を受ける。二度と陽の光の下を歩けなくなってもおかしくない。
結果、倭国国防省としては私と同じ原版の存在と直接に接触し、事態を把握する方針をとった。何体存在するのか、どこにいるのか、顔も声もわからない存在を探すのは、砂漠の砂の中から金の粒を探すようなものだったはずだ。
それが今、ひとつの結果を出したことになる。
「レイン、お前がこの任務に選ばれたのは、対象の口を割らせるためだ。同じ起源を持つお前なら重要な情報が手に入るかもしれない。そんな単純な相手ではないことは重々、理解しているが、そのささやかな要素に賭けるしかない。お前を脱走させようとした動きも加味すれば、無謀でもないはずだ」
鷹咲中佐の声は普段通りだが、興奮を隠せないところがあった。
中佐からしても、正体不明の存在に接触できることに期待があるのだろう。
「それで」
私の隣でカクリが発言した。
「アルマスタン共和国へはどうやって入国するのですか? 民間人に対しては入国制限があったはずです」
アルマスタン共和国も例に漏れず、紛争地帯だった。他と違うところは、宗教の教義の解釈によって対立していることは何処かと同じでも、よそ者を決して関与させず、純粋なる内紛とでも呼べる状態であることだ。
この国にはエイグリス合衆国も、アルクス連邦も、自国の軍を駐屯させていない。以前はさせていたが、その時は教義の隔たりなど無視しての異国の異教徒に対して激烈な反発があり、死傷者が絶えない事態となった経緯がある。両国ともが軍を撤退させたが、皮肉なことに共通の敵がいなくなったことで、一時的に共闘していたはずのものたちが再度、対立を始めて砂漠の国の闘争は身内同士の殺し合いに逆戻りした。
「民間人としては入り込めないのを、どうやって誤魔化すのですか?」
カクリは真面目にそんな指摘をしているが、やろうと思えばいくらでも密入国も密出国もできるのが倭国国防省の強みだ。やりようはあるだろう。
そんなことを思っていたが、鷹咲中佐は思わぬことを言い出した。
「国防省の中でも駆け引きがあってね、実はレインを正式に送り出すのは難しい」
「え? どういうことですか?」
思わず間抜けな言葉を発してしまったが、中佐は咎めるでもなく、答えてくれる。
「他の部局からの、レインに対する視線が強すぎる。疑いは完全には晴れていない、ということだ。それに、雨宮凪の同源分岐人格群に興味を持つものも増えている。もちろん、雨宮凪について知りたいものも多い。というわけで、レインを砂漠に送り出すときには奥の手を使う」
今、私が感じているものを的確に表現する言葉がある。
嫌な予感、という奴だ。
私のその予感を肯定する言葉が鷹咲中佐の口から出てきた時、私は天を仰ぎたい気持ちだった。
「レインは一度、体を捨ててもらう。脳情報だけになり、倭国外務省の備品という形でアルマスタン共和国に入国するんだ。脳情報移植型代替身体もやはり備品として送り込む。もしレインが、意識のある状態で何時間も狭い空間に押し込められていたいというのなら止めないが、嫌だろう? それともそういう無謀に挑戦するかね?」
言葉がない私の横で、カクリが「不確定要素が多すぎます」と発言する。
「仮に脳情報移植型代替身体に不具合が生じた場合、レインの体はどうするのですか?」
「そんなことは起こらんよ。厳重に梱包して、生物と壊物と要冷蔵のステッカーを貼り付けて送り出す。腐ることもないし、潰れることもない。心配するな」
……なんか、自分の体が鮮魚か何かのような気がしてきた。あまり考えないようにしょう。
「他に疑問はあるかな。詳しい打ち合わせは後日だが、方針は変わらないだろう」
「あの」私は一応、質問しておいた。「カクリはどういう立場で入国するのですか?」
「外務省の備品の、人型ロボットだ。外務省の出先機関で使う、とする。問題なかろう」
あまりにもざっくりしていた。呆れるほどに。
この場では、あまり心配するな、などと鷹咲中佐は繰り返し言っていたが、心配しないほうが無理だった。自分が入るべき体が失われるかもしれないのはだいぶ問題だし、それ以前に脳情報だけになると簡単に言うが、脳情報はデータに過ぎず、物理力を伴わない。逃げ出そうにも逃げ出せないのだ。
データは思考しない。私は死んだも同然だ。
ついでに誰かに記録媒体を掠めとられれば、目も当てられなくなる、という意味でもある。そこはカクリが私のデータを保護し続けるだろうし、カクリを疑う理由はないが、まったく無力な状態になるのは落ち着かない。
最初の説明が終わり、私はカクリととも廊下に出て、食堂へ向かいながら話をした。私は不安を正直に口にしたが、カクリも珍しく、今回のやり方には危惧を覚えているようだ。
「一番の問題は背後を守る人間がいないことだ」
カクリはそんなことを言っていた。普段の私を都合のいいボディガードとでも思っているのか。その点では今回はおそらく私の方がカクリを都合のいいボディガードにすることになるだろうけど。
「ま、そのあたりはあなたに任せる、というか、任せるしかない」
「もし何らかの理由で脳情報が消失しても、恨むなよ」
「怖いこと言わないでよ」
咄嗟にそう応じていたが、移動中に脳情報が失われたとしても、倭国本国には私の脳情報は残っているだろう。それよりはおそらく唯一の存在であるカクリの生命の方が危険と言える。
ただ、こう考えてみると、私の脳情報は様々な場面でバックアップとして複製が用意されている。規定で不必要となった時に消去されているはずだが、そのバックアップが外部に漏れてしまえば私という存在は複数人、存在することになる。もちろん、脳情報は複雑な信号に過ぎないので、密かに持ち出すのも楽だろう。
脳情報や脳情報移植型代替身体に関わる技術者などは極端に厳しい管理下に置かれるが、人間であることには違いがない。金のため、地位のため、あるいは脅迫されたりして、定められた規則を破る可能性は捨てきれない。
人間はロボットではない。感情があり、極めて不安定なものだ。どんな自信家でも状況次第では不安に駆られることがある。個人的な欲望に振り回され、越えてはいけない一線を越えることだってある。何をしてでも成功をつかもうという場面もあろう。
結局、そういう人間の不規則性が、私という存在の弱みかもしれなかった。
私でなければ、私と基礎を同じくする同源分岐人格群の。
それから半月の間に計画は綿密に練り上げられ、全体像ははっきりとした。
アルマスタン共和国には私は脳情報として入り、荷物として持ち込んだ脳情報移植型代替身体に現地で転写される。この転写に使われる装置だけはどうしても現地で都合がつかないため、偽装して一緒にアルマスタン共和国に運び込まれる。
作戦の全てはアルマスタン共和国には内密で、秘密作戦となる。アルマスタン共和国当局の支援は受けられない。銃器を持っていくこともできず、武装するなら現地で調達する。倭国国防省兵器管理課先進兵器分析局第二分室からは事前に先行する工作員が入国しており、物資面ではある程度の支援が受けられるとも説明があった。
全てが承認されたのち、私は肉体を離れ、脳情報になった。
そうなってしまえば、何も感じることはできない。夢を見ることもなく、時間の流れも感じない。
脳情報精査を行う装置に据え付けられたベッドに横になった時、ただ一つだけを祈った。
生き返れますように。
機械が稼働を始め、低音で唸り始める。
さらば、わが肉体。
さらば、わが世界。
(続く)
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