3-6 逸脱

      ◆


 時間はゆっくりと過ぎていく。

 集落では人の出入りはほとんどないが、けが人や病人はやってくる。どうやら脳情報移植型代替身体に関する技術者の医療の知識を頼ってくるらしい。

 てっきりそうだと、最初は思っていた。

 しかし違うとわかってきたのは、見知らぬものが集落から出ていくのを頻繁に見ることに違和感を持ったことと、それを観察しているうちにそこに自分を見たからだ。

 自分とは私の肉体のことだ。

 髪の長さは違うが、顔の造りが似過ぎている。

 私の体は脳情報移植型代替身体で、コピーが可能だ。そもそもが脳情報移植型代替身体は特殊なクローンに過ぎない。同じ遺伝子情報から培養すれば、まったくそっくりの外観の持ち主が生まれてくる。

 私はそのことを例の老人に訊ねた。暇そうにしているところを狙ったが、その時も老人はタバコをくわえていて、ある種のトレードマークだった。

「遺伝子情報にも限りがあってな、まったく別人を無制限には作れん」

「脳情報移植型代替身体を違法製造していると認めるのですか?」

「製造といえば製造、実験といえば実験、試作といえば試作、そういうことだよ、お嬢さん」

 まったく取りあおうとしない老人に、私はあまり怒りも湧かなかった。彼らがこの森の奥で秘密裏に技術を運用しているから、今の私がいるのだ。もっとも、私が彼らに怒りを抱かないのは、彼ら自身が私に組み込んだ安全装置かもしれない。脳機能パッチで工夫すればそれくらいの誘導はできるはずだ。

「元の肉体はどうしているのですか?」

 訊いても仕方がなかったが、気になることには気になる。老人はなんでもないように答えた。

「焼却するしかない。無制限に墓を作るのも合理的ではない」

「私の元の肉体も焼却処分された?」

「あれはひどいもんだった。生きているのが不思議なほどだ。正しくは、脳情報が精査できたのが奇跡だった、というべきか」

 言いたい放題だが、何も言い返せない。私はここへたどり着くまでのことをほとんど忘れたまま、思い出せなかったし、もう思い出したいとも思わなかった。

「遺体を焼却するのは」

 思いつきを言葉にしていく私も暇なのかもしれない。退屈していて老人を問い詰めているとは、我ながらみっともないが言葉は止まらなかった。

「同じ脳情報を一つにするためですか?」

「それが最も楽だし、脳情報を精査された側も精神的不安定を回避できる」

「自分は自分しかいない、と確信が持てるからですか?」

「そうなるな。自分が二人や三人もいるというのは、自我に影響を与える。脳情報の記録がある限りは複製は可能だが、しかし原版とも言えるものが消えていれば安心する余地もあるというものだ」

「そう発想するように、脳機能パッチで誘導する?」

「場合によってはな」

 私は口を閉じ、集落を行き交う男たち、女たちを見た。

 ここでは電気が潤沢にあり、それは風力発電だけではなく、地熱発電も併用し、さらに水力まで利用されていた。集落の規模に見合わない電源が脳情報移植型代替身体の生育を常に行い、建物の一つでは常時、六体ほどの人体が培養されている。

 そこまでの施設を作ったのは、どうやらパラダ王国の政府機関らしい。ここは政府が隠している秘密施設であり、実験場なのだ。そしてそれはここへやってくる近隣の集落の人々も承知している。

 人間という存在、人間の意識というものを取り扱う、非倫理的なことがここでは常識であり、独自の価値観が成立しつつある。

 例えば、回復不可能な怪我や病気を肉体を乗り換えることで克服することは、ここでは珍しくない。

 それは治療と言えない気がするが、では、なんと表現できるだろう?

 人間とは何か、というところにこの問題の要点がある。

 人間とはその思考、意識にあるとすれば、実際の肉体や脳情報移植型代替身体はただの器に過ぎず、人間とは脳情報である、となる。

 しかし脳情報は、やろうと思えば複製が可能だし、脳情報を複製せずとも、同じ脳情報をいくつもの脳情報移植型代替身体に転写することはできる。それだけで同じ脳情報の持ち主が、二人や三人、もっと大きい数で生み出せる。

 もっとも、現時点の技術では、脳情報を成長、進歩させるためには肉体が必要になる。脳情報そのものに働きかけて何らかの経験を与えることは、まだ実現していない技術である。それさえももしかしたら脳機能パッチでフォローできるかもしれないが、私自身は科学者でも研究者でもないのではっきりとは理解していない。

 いずれにせよ、この集落とその周囲は、私が生まれ育ち、活動してきた世界とは、人間という概念、自分という概念がだいぶ違うということだ。

「人間など」

 老人が紫煙を細く吐き出しながら低い声で言う。

「体に過ぎないのだよ。脳情報などというものを生み出したから、おかしなことになる」

「どういう意味ですか? 脳情報移植型代替身体の空白脳について、意見があるということでしょうか」

「空白脳? あれはある種の欠陥だよ。欠陥を逆用したんだ」

 考えてもみろ、と老人が指でつまんだタバコを建物の一つに向ける。脳情報移植型代替身体が培養されている場所だ。

「怪我人や病人が死ぬことで、働き手を失うとする。では何が欲しいのか。大抵の場合、欲しいのは代わりの働き手だ。その人間が働けさえすれば、頭の中などどうでもいい。それなら即成培養した本物のクローンでも問題はあるまい。仕事は教えればいいだけだしな」

「しかしあなたたちは、脳情報を脳情報移植型代替身体に焼き付けて送り出しているのでしょう?」

「そう、そこが最も罪深いことだ。死ぬべき人間を、蘇らせている。脳情報移植型代替身体は、人間ではない。人間とは、その意識が宿った肉体のことだ。つまりお前はずっと前に死んだのに、受肉した亡霊、ということになるな」

 気づくと老人は私の方をまっすぐに見ていた。

 亡霊。

 私は記憶が判然としないことを、密かに感謝した。きっと私は今までに何度も肉体を乗り換えたはずだ。そして私という意識は、実は誰かのコピーを基礎に成り立っているはずである。それらを意識しないで済むのは、ありがたかった。

「人間は、自らの根幹を、自らの技術で揺るがしている。これを愚かということもできるが、神への階を上がりつつあるとも言える。しかし、ちょっとした段差を踏み外して転がり落ちるかもしれないがね」

 ひきつるように老人が短く笑った。

 神への階。人間はいつか、神になれるのだろうか。空想、妄想に過ぎないとしても、私という存在を鑑みれば、まったくの夢想ではない気もした。

 今の私は、人間という生命の定義を逸脱しすぎていたし、その理由は人間の生み出した科学技術だった。奇跡でもなく、偶然でもなく、純粋な技術なのだ。

 あるいは神は、この世界を作る時、何かの技術を用いたのか。それとも偶然に任せたのか。

 科学は神というものを徹底的に否定してきた。この地上、惑星さえも、神が作ったわけではない。宇宙が始まり、ガスだの塵だの、小惑星だのを経てこの惑星は生まれ、環境が海をもたらし、生命が生まれ、やがて人間が生まれた。神の介在できる要素は、限りなく低い。

 偶然だけが神に許された領域になった。

 私を産んだのは何者か。

 それはデータを保存する装置と、肉体を培養する装置、そして意識を転写した装置に過ぎない。

 神はいない。

 神は必要なかった。

 頭痛がして気がして、手で額を押さえると同時に、隣から老人が立ち上がった。

「あまり考えないことだ。人間は考えすぎる。自分が何者かなど、本来は考えるどころか気にする必要もないことだよ。自分は自分、他人は他人、社会は社会、世界は世界、死は死、生は生、それでいいのだよ、お嬢さん」

 老人はそんな言葉を残し、どこか不安定な足取りで離れていく。

 入れ違うようにカクリがこちらへやってきた。途中で老人とすれ違う時、二言三言、会話を交わしたようだ。カクリが私の前に立ち、こちらを見下ろしながら言う。

「倭国との都合がついてきた。近いうちに迎えが来るそうだ」

「そう、向こうはどうなって……」

 言葉は最後まで出なかった。

 向こうはどうなっている、と私は聞こうとした。しかし、意味がわからなかった。記憶の混濁の影響が抜けず、思い出せないことばかりなのだ。それなのに、私は倭国で何かが起こっているのではないか、と反射的に考えていた。

 記憶が甦ろうとしているのか。

 言葉が出なくなるほど、強い恐怖を感じた。

 思い出したくない。

 何も理解したくなかった。

「どうした?」

 私はカクリの顔を見上げた。太陽の光がちょうど彼の背後からこちらへ降り注いでいる。

 顔は影になって見えない。

 その影の中で、青い双眸が私を見下ろしている。

 機械式義体の冷ややかな眼差しに、かすかにこちらを気遣う色がある。

 彼には意識が確かに存在する。機械の肉体でも、その思考は人間なのだ。

 私とは違う。

 全てが偽物の私とは。

「どうした? レイン」

 私は首を振り、しかし言葉は出せぬままに、また首を振った。

 それしかできなかった。

 この日からから数えて十五日目、迎えが来た。集落に物資を運びに来た運送業者に話がつけてあり、私たちは彼らのトラックに便乗してパラダ王国の地方都市へ移動した上で、民間の飛行場にやってきた富豪の所有という小型飛行機で異国を脱出した。

 その小型飛行機の中に、脳情報移植型代替身体と脳情報精査装置、転写装置が積み込まれており、私は即座に脳情報を確認され、新しい肉体にその意識を転写させられた。記憶さえも継承された。

 気がついたときには、病室のベッドに寝かされていた。

 自分の手を目の前に掲げると、それは成人女性のそれに見えた。

 体が自然と震え、視界が滲んだ。

 私は震えるがままに任せ、涙が流れるがままに任せた。



(続く)

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