3-5 代替
◆
不意に意識が覚醒した時、自分が意識を失っていたことすら、忘れていた。
天井は何か、木材で作られていて、部屋は薄暗い。床にはゴザのようなものが敷かれているようだ。
何気なく起き上がろうとして、片手が床にうまくつけずに無様に肩から倒れこみ、慌てて体を支え直すが、激しい違和感があった。
「これは……」
思わず声にして、その声によって私は何も言えなくなった。
私の声じゃない。別人の声が私の口から漏れた。
そもそもからして、体が縮んでいる。いつもの私の体じゃない。年齢にして十代前半程度の子どもの体が、私だった。
何が起こってるのか、すぐには理解できない。
人体が逆に成長するなんてことはない。退行して子どもに戻る理由などほとんど全ての生物でもありえないだろう。
しかし現実だ。実際に私の手は子どもの手の大きさしかない。起き上がろうとして失敗したのも、想像より腕がわずかに短かったためだ。
周囲をもう一度、確認する。壁も木製で隙間がいくつもあり、外の光が漏れている。空気はやや蒸し暑い。
私はいったい、どこにいるんだ?
そもそもどうして意識を失った。記憶を辿っても、判然としなかった。
不意に木が軋む音がして、壁の一部が開いた。そこが扉になっていたらしい。
入ってきたのは、カクリだった。
「カクリ!」
思わず名を呼んだものの、舌足らずな発音になってしまい、なんとなく恥ずかしい。
カクリはといえば、平然と入ってくると手にしていたお盆を私の横に置いた。お盆には不格好な木の器が置かれ、やはり木で作った匙が添えられていた。器の中身は、半透明な液体だ。
「まだまともな食事は体が受け付けないそうだ。それでも啜っておけ」
そっけない言葉は、私の中の疑問とは見当違いが過ぎる。
「そんなことより」
言葉を発するたびに違和感がひどい。自分の声じゃないみたい、ではなく、自分の声ではない。
「ここはどこで、私はどうなったわけ?」
「記憶はいずれ馴染むと聞いているが、思い出せないのか?」
少しだけカクリは不愉快そうだが、こちらははっきり言って錯乱寸前だ。
「思い出せない。何も」
「自分のコードネームは言えるか。何をしていたかも思い出せないのか?」
「コードネーム?」
記憶を必死に手繰り寄せる。名前。アメミヤ・ナギ。倭国。エージェント。任務。パラダ王国。
「コードネームは、レイン。パラダ王国へ、とある機材を破壊する任務でやってきた。当たっている?」
「とりあえずは当たっている。その任務で何があった?」
何があったか……。
脳情報情報移植型代替身体の培養槽その他の装置を破壊した。正規軍とともに非正規軍を追い返した。それで、正規軍に拘束された。
拘束されて、逃げ出した。
それが最後の記憶だ。
「負傷して、あなたが私をどこかへ運んだ。それしか覚えていない」
「そうか」
軽く頷いたカクリは普段通り、感情が表情に出ないので何を考えているか、わかりづらい。しかしこの時の彼は、比較的饒舌だった。
「二人で正規軍に追われ、一ヶ月ほど森林の中を彷徨った。その最中にお前は負傷のせいもあり発熱し、意識を失った。最終的には脱出ルートに辿り着き、倭国からの支援を取り付けたがお前はもう限界だった。そのために、緊急手段をとった」
「緊急手段?」
「脳情報を可能な限り精査し、それを別の肉体に送り込んだ。記憶に関しては脳情報記録装置を利用して、新しい肉体に書き込んである」
絶句は絶句でも、絶望に飲み込まれた絶句は経験することは稀だ。
「ちょ、ちょっと……、聞き捨てならないことが、ある」
「なんだ?」
「私の半死半生の肉体から、脳情報を精査したって、そんな設備がどこにある?」
「この集落にある。しかし、最新鋭の高性能モデルではない」
涙が出そうだ。
「最新鋭でも高性能でもない装置で、どれだけ正確に脳情報がスキャンできるわけ?」
「最低限だな。脳機能パッチを当ててあるから、日常生活には支障はない」
そういう問題じゃないだろ!
頭の中で怒りが爆発したが、言葉は何も出なかった。ただ手が震えただけだ。
自分が脳情報を基礎とした意識を持ち、本来的な肉体ではない脳情報移植型代替身体に意識を移植された存在だとは充分、理解していた。
しかしそれが受け入れられたのは、自分が人間に限りなく近い形で再現された人間だ、という自覚があったからだ。
それがどうだろう。今は適当な脳情報移植型代替身体に入れられ、しかも入れられた意識は不完全そのものであり、さらに人為的に補正されているという。
それでは人間からはあまりにかけ離れている。
「気にすることはない」カクリは全く冷静だ。「本国へ戻れば適切な処置を受けられる」
「かもね。でも現状を受け入れるのははっきり言って難しい」
「受け入れろ。生きているんだからな」
何気なく自分の両手を見て、次に体の様子を見る。何でこんな子どもの肉体に入らなければいけないのか。ついでに、どこまでが自分の本来的な思考や知的行動で、どこからが脳機能パッチの支援なのか、わからない。
私が絶望の淵へ落ち込んでいるのにも関わらず、「食事にしろ」とカクリが声をかけてくる。他人事だと思って……。
「どこかでもっとまともな設備があればな……」
無意識に呟いた私に、カクリが平然と答えてきた内容は、私をさらに鬱々とさせるものだった。
「お前の肉体はほとんど死んでいたよ。瀕死の状態で脳情報を精査するのはどこでも至難な上に至難だっただろう」
最悪だ……。自分の元の肉体がどうなったのかは、訊ねないでおこう。
私はやっと食器に手を伸ばし、匙も掴んだ。手は普通に動く。腕も普通に動く。重湯のようなものを口へ含むと、味も感じる。不思議と安堵するような気持ちにもなる。
腕を動かせるのは、自分の力なのか。味を感じるのは、自分の感覚なのか。そして満足感のようなものは、自然発生したものなのか。
考えても仕方がない。
仕方ないが、考えないわけにもいかない。
器を空にすると、ちょうどカクリが開け放していた扉のところをくぐって誰かが入ってきた。カクリが振り返り、しかし無言。私はといえば、逆光になっているので相手の顔を確認できなかった。
「元気そうだな」
低い声はどこかで聞いた覚えがあるが、思い出せない。記憶の混乱のような気もしたが、何かおかしい。
相手は私のすぐそばで膝を折ると、丈の短いズボンのポケットからタバコとライターを取り出す。遠慮も何もなく、口にくわえたタバコに火がつけられた。
「どこかに不調はあるか」
初老の男で、不敵な笑みを浮かべている。上着は着ていないので、タンクトップ一枚のために痩せた体がうかがえた。頼りないようで、しかし堂々としているせいか、力強い印象を受ける。
どちらにせよ、この男は医者ではないだろう。
「元気でもありませんが、身体的な不調はおそらくありません。ただ記憶がかなり怪しいです。断片的で、散漫というか」
「そうかい。今の言葉で、言語については問題ないとわかったよ。記憶は前の肉体の脳情報記録装置が馴染むのに時間がかかるが、それよりもバージョンが違う。ここでは二つ古いバージョンの端子しか用意できないんだ。これはソフトウェアでは完全には補正できない」
老人の言葉をゆっくりと理解し、できるだけ取り乱さないようにした。
「ここはいったい、どこなのですか? 脳情報移植型代替身体を用意でき、脳情報を精査できることもわかりましたが、脳情報記録装置も扱うのですか? 先進国でも極秘、極めて限られた立場の人間が、厳重な保守義務の元で扱う技術のはずです」
口が回るようになったな、と老人はタバコをくわえているせいで聞き取りづらい声で言う。
「ここは秘密裏の実験場だ。ここには極秘も守秘義務もない。どうせ迎えが来るまでは二人ともここに滞在するんだ。自由になんでも見て回るといい。衣食住が保証される、ある種のバカンスだな」
話の内容が理解できないのは、私の脳情報に致命的な損傷があるからだろうか。
「水でも飲むかね。外の空気でも吸うかね」
老人の言葉に、ええ、と頷いて私はなんとか立ち上がった。全裸ではないのに安心したが、背丈が低すぎて違和感がすごい。カクリの胸のあたりに私の頭頂部が来る。
裸足でペタペタと歩いて行き、扉をくぐるところで用意されたサンダルに気づいた。
ただ、サンダルを履く動作は、先送りにされた。
目の前に広がる光景は、典型的な集落だった。建物が五、六軒、密集しているが、全てが木造で高床式だった。現代的と言えないが、そういうシチュエーション、そういうデザインの保養地と見れば見れないこともない。
私が動けなくなったのは、そんな集落の向こう、樹木が生い茂る一帯の中にいくつもの風力発電の風車が立っていることだ。
時代が混ざり合い、食い違った光景。
私は何も言えず、ただその光景を見ていた。
私が今、感じているものは、私の本来的な部分が生じさせたものだと信じたい。
感動さえも作り物だとは、思いたくなかった。
(続く)
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