第三章 私の定義

3-1 情報流出

      ◆


 倭国国防省の本部ビルの一角、兵器管理課先進兵器分析局第二分室の室長の仕事場へ、私とカクリは揃って出頭した。

 室長である鷹咲十次郎中佐はどこかと電話の最中だったが、身振りで私たちをその場に留めた。静かな口調でどこかの航空路線について確認しているようだ。これは長くなるかな、と思っていると、あっさりと鷹咲中佐が「来客だ、後で細部を詰めよう」と口にして電話を切った。さほど切迫していなかったようだ。

 高級そうな椅子の上でこちらに向き直り、人好きのする明るい笑みがその顔に浮かぶ。たまに思うのだが、悪魔が笑顔を浮かべるとこんな顔になるような気がする。少なくとも天使の笑みではないだろう。

「レイン、カクリ、仕事がある。ちょっとややこしいかもしれない」

「ややこしくない仕事は滅多にないですね」

 私の指摘に、そう言うな、と鷹咲中佐は情けなさそうな顔に変わる。

「面倒ごとを引き受けるのがうちの仕事だ。さて、本題に入ろう。ソファにでも座って今回のややこしい仕事についての説明を聞いてくれ。コーヒーはセルフサービスだ」

 さっそくカクリが部屋の隅へ向かった。そこには一般的なウォーターサーバーがあり、横に並ぶ小さなテーブルの上にはインスタントコーヒーの瓶が置かれている。大きな徳用サイズだった。このコーヒーは国防省で最も低コストなコーヒーなのは間違いない。

 遠慮する気にもなれなかったが、カクリが律儀に二人分を用意し、両手にカップを持って戻ってきた。機械式義体のカクリがコーヒーを飲むわけもなく、自分の分を用意したのはそういうポーズだ。まぁ、インスタントコーヒーが流しに捨てられるのは別に良心も痛まない。

 ソファに並んで腰を下ろし、私はマグカップを受け取り、デスクから動こうとしない鷹咲中佐を見た。

「お待たせしました。お話をお願いします」

「うん、いきなりで済まないが、パラダ王国に向かって欲しい」

 パラダ王国か。思考が一般的な情報を頭の中で整理した。国土のほとんどが密林の国家で、長いこと正規軍と非正規軍が戦闘を繰り広げ、内戦状態が続いているはずだ。この内戦は先進国の代理戦争の様相も呈している。エイグリス合衆国、アルクス連邦が裏に表に、支援している。

 そこへ倭国が首をつっこむ事情とはなんだろう。

 私の疑問はすぐに解消された。解消されたが、言葉を失う理由だった。

「実は、我が国から脳情報精査装置、脳情報転写装置、脳情報移植型代替身体の培養装置、それら一式の詳細な情報がパラダ王国に流出した」

 自分が何を聞かされたか、正直、分からなかった。

「中佐、その、聞き間違いでなければ、最先端の人体工学に関する基幹とも言える技術が、丸ごと流出したという意味のような気がするのですが、勘違いですか?」

「勘違いではない。これは重大な問題だ。まだマスコミには漏れていないが、国防省の幹部クラスはもちろん、国防大臣は破滅するのが確定している。ついでに内閣も総辞職するかもしれない」

 想像を絶するスキャンダルだった。

「いったいどこから漏れたのですか?」

 カクリは冷静だった。私は動揺しすぎて、彼の手元のマグカップを気にしていた。口をつけていない。当たり前だ。いやいや、そういうことを考えて逃避している場合でもない。

 問いを向けられた鷹咲中佐は大真面目に頷いた。

「国防省の研究者が私的な旅行を装って出国し、そのままパラダ王国で消息を絶ったところまでは追えている。さらに言えば、どうやら非正規軍と接触したらしい」

「つまり、情報が流出しただけで、実際の装置は持ち出されていないのですね?」

 淡々としたカクリの確認に、その通り、と鷹咲中佐が頷く。

「装置は一人や二人で運べるものではないよ。そして幸運なことに、パラダ王国の非正規軍の技術力では容易に設備を構築することは不可能だ。だからこそ、早急に手を打つ必要がある」

「現地では正規軍の協力を得られるのですか?」

「受けられるように手はずは整えておく。時間が勝負だ。パラダ王国に留まらず、他の国に情報が流れることに対する危惧が今の国防省で最もホットな話題ということだね」

「最優先の任務ということですね」

「そうだ。ありとあらゆる支援が行われるよ。なんなら、非正規軍の拠点を空爆してもいい」

「倭国の空軍がですか?」

「エイグリス合衆国と共同になるかもしれないが、もちろん情報の漏洩に関する全ては伏せられる。この一件には軍事力はもちろん、政治力もすべて動員される予定だ」

 そうですか、とカクリは応じているが、私は呆気にとられて何も言えないままだった。

 パラダ王国は途上国の一つだが、主権のある国際的に認められた国家だ。内戦状態でも、他国が我が物顔で好き勝手することは許されない。

 その不文律を無視してまで情報の漏洩を防ごうというのだ。鷹咲中佐は閣僚や内閣の責任問題に触れたが、常識的に考えればこうして計画している計画そのものが、政治家の立場などではなく倭国の国家としての立場に影響を与えかねない。

 そのギャンブル的な選択肢がとられるのも、漏洩した情報の内容によるのだろう。

 脳情報精査も、脳情報移植型代替身体も、研究目的でのみ存在を許される技術だ。しかし実際にはいくつかの場面で実際的に運用されている。もし研究という形を逸脱した運用が露見すれば、その時もまた国家として大きなダメージを受ける。

 どちらに転ぶにせよ、極めて巧妙に立ち回らない限り、倭国は危機的状況に陥る。

 その作戦を自分と相棒が受け持つとは、信じられなかった。

「安心しろ、レイン。他にもいくつも部隊が動く。お前たちに全てを背負わせることはない」

「それは、確かに楽になる話ですが……、全体的な整合性は取れるのですか?」

「整合性か。レイン、お前とカクリを絶対に守れるとは言えない。他の部隊が任務を成功させるためにお前たち二人が危険に陥ることもあるかもしれない。その点は実際にその瞬間にならなければ、なんとも言えないんだ。最悪、お前たちを見捨てるかもしれない。逆に言えば、お前たちのために他の部隊を犠牲にすることもあるということだ。理解してくれ」

 理解しています、と答えたが、我ながら弱い声だった。

 今までにも様々な場所で様々な任務を遂行してきたが、今回ほど出だしから不安定な任務も珍しい。歓迎できる事態ではないが、国家的危機においては国家に属するもの、それも非公式の工作員として国家に管理される身としては、許容するしかない。

 国家に命を預けていることを今ほど実感したこともない。

「レイン、カクリ、今はどんな質問にも答えよう。好きに訊いてくれ」

 これが最後かもしれないから、と鷹咲中佐は口にしそうだったが、実際には言わなかった。しかし言ったも同然だ。

 どんな質問にも答える? 馬鹿らしい。

「私とカクリが生きて帰れる可能性は、何パーセントですか?」

 思い切って皮肉と嫌味からなる質問をぶつけてみたが、鷹咲中佐は動じなかった。

 いつも通りの明るい笑みを作ったまま、まさに天気の話でもするように答えた。

「何パーセントであろうと、生きて戻ることを願っているよ」

 農家が雨が降るのを祈るのと同程度の重さの返答ようだった。雨が降らずとも、他に代替手段はある、というような。

 それも仕方ないかもしれない。発言はなかったが、私を運用している第二分室の責任者が目の前にいる鷹咲中佐なのだ。私とは、脳情報精査やら脳情報移植型代替身体やらを実際的に運用している動かぬ証拠ということになる。

 場合によっては鷹咲中佐のキャリアどころか、人生が非常にむなしいものになる可能性があった。

 そう、よく考えれば、第二分室は私という存在を消したいはずだ。それを国外に、しかも重要な、この問題の核心と言ってもいい場所へ私を送り出す意味とはなんだろう。

 私も消すつもりだろうか。何かに利用して、そのまま切り捨てる?

 最悪な展開だった。しかも空想、妄想とも言えないような。

「では、詳細は六時間後には通達される。作戦の成功を祈る」

 まったく祈っていないような、軽い調子で我らがボスは話を終わりにした。

 もはやこうなっては、任務を成功させるしかない。

 任務の成功とは具体的にどういう結末かは、想像もつかなかったが。



(続く)

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