2-10 遭遇
◆
室温が低すぎる。
先へ進むうちにしっかりと制服を着込んでいるはずなのに寒さを感じ始めた。指先がかじかむし、息もうっすらと白くなっていた。
通路はすぐに終着点に達した。一枚の扉と、壁に埋め込まれた古いタイプの個人認証装置。掌紋と音声認識で個人を識別するタイプの装置だった。
扉はもちろん、開かない。恐る恐る、個人認証装置のパネルの右手を押し付ける。すると自然と発光し、電子音声が流れた。
「所属と姓名を名乗ってください」
所属と姓名か。
「国防省兵器管理課先進兵器分析局第二分室所属、アメミヤ・ナギ」
すぐに返答は無かった。緊張したが、無理だろうと思っていた。鷹咲中佐の言葉を信じるなら、私の立場ではこの扉は開かない。引き返すことになるだろう。
そんな思いでパネルから手を離そうとした時だった。
「承認しました」
承認した?
首を傾げる間もなく、扉がゆっくりと開き始めたではないか。奥から白い靄が流れ出てきて、私の足元を包み込む。
信じられない。
また進むか、戻るかの選択だった。今度は、二度目だからというわけでもないだろうが、すんなりと足は動いた。
扉の奥はなお一層、薄暗かったが、光を放っているものがいくつもあるのでそれで全体像は見て取れた。
巨大な円筒が円形の部屋の壁際に等間隔で並んでいる。規模は小さいが、どこか古代の神殿を連想させる光景だ。じっと観察すると、その一つ一つに数字が割り振られている。一番まで七番まであった。
七つの円筒。
七つ。
「これが「アスカ」の本体?」
誰にともなく呟いてしまった。
「そうよ」
ただの素っ気ない返事は、電子音声ではない。
向き直りながら格闘の構えをとる。拳銃があれば銃口を向けていただろう。
円筒の一つの陰から、進み出てきた人物がいる。
肩のラインからして女性だが、目元をミラーシェードで覆っていて顔の作りはわからない。着ている服は体にぴったりと張り付くボディスーツらしかった。
科学者、技術者には見えないし、かといって侵入者を狩り出している国防省の仲間とも思えなかった。
なら答えはひとつ。
目の前にいる人物が侵入者なのだ。
私に出来ることは、相手を制圧すること。もしくは援軍が来るまで逃さないことだ。
そのために会話を続けようとしたが、相手の方から話し始めた。
「軍事知能群「アスカ」は七つのユニットから成り立っている。ここにある円筒のひとつひとつが演算装置であり、記憶装置でもある。七つがお互いを監視して、決定を下す時は人間の合議のような形をとる。システムとしてはユニークで強靭だけど、大きすぎるわね」
ペラペラとしゃべりながら、女の手が円筒の一つに触れる。それだけでも何かが起こりそうだったが、何も起こらなかった。ホッとする私がいる。
相手の顔がこちらに向き直り、口元に笑みが浮かぶ。
「私は会いに来た人がいるんだけど、あなたも来るかしら、レイン?」
レイン、だって?
「私の存在を何故、知っている?」
とっさに問いかけてしまったが、これではどちらが意図して会話をしているか、わからない。
女は軽やかな足取りで歩み始めた。拳銃の一丁でもあれば銃口を向けて制止できるのに、それができないのが恨めしい。女は身振りで私を呼ぶ。
「こっちよ。そんなに身構えていないで、肩の力を抜いてリラックスしたらどう?」
女は奥の扉へ向かっていく。少し離れてその背中を追う私の心情は言葉にしづらかった。忸怩たるものがある一方、好奇心もあった。
この先に何があるのか。
扉はひとりでに開き、女はそれをくぐっていく。私も続く。
その部屋は、先ほどの部屋よりは広いが、何も置かれていない。ただ、地面にぼんやりとした光でいくつもの円が描かれているだけだ。子供が遊びに使えそうだが、どんな意図があるのか。
私が不審がることなどほうっておいて、女は円の一つの前で足を止めると、その円に指で触れて何かを入力した。
するとどうだろう、光が一度消えたかと思うと、次には光がせり上がった。
円と同じサイズの円筒が、せり上がっているのである。
「レイン、あなたは初めて見るでしょうけど」
円筒は光を放っている。その光が今や部屋を照らしていた。女も私も、その光の中にある。
「これこそがあなたの元になった人物、雨宮凪よ」
円筒が動きを止めると、その透明な筒の中に全裸の女性が浮かんでいるのが見て取れた。筒に充填された液体の中で、かすかに体が揺れている。
雨宮凪。
私の原型となった人物。
私の脳情報の基礎であり、私の脳情報移植型代替身体の基礎となった人物。
「どうして……」
私は女を見た。女も私を見た。彼女は笑みを浮かべている。私はどんな表情をしていただろう。
「どうして、私をここへ連れてきた?」
問いかけに、それでいい、と女が笑みを深くする。
不吉な言葉が、その口元から流れ出る。
「あなたも知るべきだと思ってね。自分の真実を。自分が人間によって作られた存在だと」
そして、と女が言葉を続ける。
悪意そのものの声で。
「そして、あなたの姉妹がこの世界にいることを知るべきだと」
姉妹。
私は動けなかった。
女は不意に円筒の陰に飛び込み、私が愕然としている背後で複数の足音がした。
後のことは断片的にしか覚えてない。武装した男たちが飛び込んできて私を拘束した。乱暴にされた気もするが、そんなことさえ気にならなかった。次に意識がはっきりすると、営倉のようなところに入れられていて、そこへ鷹咲中佐がやってきたことを覚えている。
「レイン、俺の話を聞いていなかったのかい。迂闊だな、まったく」
そう言いながらも、中佐は笑っていた。悪意ではなく、いたずらをした子どもを叱るような顔だった。
そして私は病室のような部屋のベッドで目を覚まし、どこの病院かを確認する前に、医者がやってきて問診を始めた。退屈で平凡な質問の連続だった。ひとつひとつ、私ははっきりと答えた。
医者が部屋を出て行くと、私は一人きりになった。
どれくらいが過ぎたのか、部屋のドアがノックされ、一人の人物が入ってきた。
白い肌をした長身の男。青い瞳と、短い金髪。
カクリ。
「元気そうだな、レイン」
「あなたもね、カクリ」
それきり、二人ともが黙った。
「私は、どうなるの?」
やっと口を開いた私の言葉に、カクリは普段通り、表情に少しの感情も見せなかった。
「どうにもならない。すぐに次の任務はある。それまでに体調を整えておけ」
わかった、とだけ私は答えた。
カクリが窓際に進み、陽の光が透けていたレースのカーテンを勢いよく開いた。
強烈な日差しに、私には何も見えなくなった。
一面の純白。
意識の底の底まで、それが照らし出し。
何もかもが塗り潰された。
(続く)
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