2-8 事情

      ◆


 先進兵器分析局第二分室にたどり着くと、同僚たちが非常時の体制として備品の短機関銃で武装して配置についていた。国防省の建物への銃器の持ち込みは禁止で、平常時から武装しているのは警備員程度だ。もしもの時には各部署に保管されている護衛用の武器での武装となる。

 もっとも、国防省にいる人間の大半は軍人で、銃器の扱いの経験は十分すぎるほど積んでいる。

「なんだ、そんなに緊張して」

 仲間の元へたどり着くなり、鷹咲中佐の軽口も戻ってきた。勘繰った見方をすれば、私と二人きりでいるのが不安だったのだろう。一方の第二分室のスペースにいた面々もボスが戻ってきたことで少しは安心した空気になった。

 秘書から短機関銃を受け取り、鷹咲中佐は素早く状態を確認すると、深く頷いた。

「諸君、どうやらことは大事ではないらしい。第三種警戒のままだからな。正気を失った暴徒が国防省に殴り込んできたようではない、ということだ。異郷の狂信者の集団が何かの報復で攻撃したようでもない。これは簡単な予測だが、あと五分もせずに警報は消えるさ」

 顔を突き合わせている全員が弛緩した雰囲気になったが、口を慎んでください、と大真面目な秘書が口を挟んだことで、空気は少し真剣なものに戻った。ちょうど良くなった、ということだ。

 アナウンスはしばらく続いたものの、鷹咲中佐の想像が現実になった。態勢を通常に戻すというアナウンスがあり、銃器が回収され、事務員たちが仕事の準備を始めた。軍人たちもそれぞれのブースへ散っていった。

「レイン、ちょっと来てくれ」

 私も自分のブースへ戻ろうとしたが、鷹咲中佐に呼び止められ、そのまま中佐のスペースへ移動した。先ほどの聴問会に関して何か話があるんだろうと思っていた。そもそも聴問会は変な形で終了してしまったから、それに関する話だろうとも思うのが自然だ。

 デスクを挟んで向かい合うと、鷹咲中佐は昔ながらのタバコを取り出し、箱から一本をはじき出した。それを指でつまみ、手元でくるくると回転させるが、それだけで何も言おうとしない。私としては中佐が話し出すのを待つしかない。

「今回の聴問会は国防省内部の駆け引きだ。気づいていたかな?」

「駆け引きですか? いいえ、気づきませんでした。ウィリアム・ウェーバーに関することですか?」

「まさか。あのような小物はどうでもいい」

 意外だった。ウェーバーはてっきり重要人物だと思っていた。筆舌に尽くしがたい過程を経て連れ帰ったが、まるで釣り合わない労力をかけてしまったようだ。

「ウェーバーには利用価値はない、ということでしょうか。それで第二分室が揺さぶりをかけられている?」

「いいや、その点は問題ない。ウェーバーにもそこそこの利用価値はある。あと数年っていうところだろう。彼が開発した脳機能パッチは同種のものをいくつもの国が表に裏に、開発を進めている。それをウェーバーは少しだけ出し抜いた、というところだよ。あと五年、十年経てば、ウェーバーの発見も技術も当たり前になる。もしかしたら、彼という才能そのものも時代遅れになるかもな」

 タバコを弄びながら、鷹咲中佐は真剣だった。

「科学技術の進歩はいつか、頭打ちになるだろう。しかしウェーバーの研究のそれは今ではない。それは脳情報に関する技術、脳情報移植型代替身体という技術が、まだ不完全だからにすぎない。例えは自動車はどうだろう。ガソリン自動車は電気自動車に取って代わられたが、それは機関部の入れ替えとそれに付随するささやかな改善に過ぎない。例えばデザインもそうだ。乗用車で二人乗り、四人乗り、せめて八人乗り程度が一般的で、そこから脱線するような一般車のデザインはほぼ存在しない。結局、脳情報移植型代替身体もそうなるだろうね。一般的な水準の端末が一般化し、普及し、その一般的水準から逸脱するものは消える。消えるときに、一部の研究者は探求する対象を失うんじゃないかな」

「中佐、何のお話ですか?」

「ウェーバーの価値は早晩、消えるということさ。そんな人物を命がけで助けるように仕向けたのを、申し訳ないと思っている、とも付け加えておこう」

 はあ、としか言えなかった。

 別にあの作戦について不満はない。非常な困難だったし死を覚悟した気もするが、任務は成功し、生きている。エージェントがこの程度のことを根に持つと中佐は真剣に考えているのか、そんな疑問が浮かんできた。

 この仕事はもっとドライなものだ。指揮する側も、支援するものも、現場に立つものも、みんなそれぞれに自分に出来る最善を尽くす。もしどこかで失敗しても、誰かを責めたりはしないだろう。例の老人の逃がし屋にしても、私はすでに許しつつあるほどだ。

 そんなことを鷹咲中佐に確認しようとしたが、それより先にデスクの上の有線電話は発信音を響かせ始めた。中佐が素早く受話器を拾い上げ、話し始めた。

 私はさりげなく下がろうとしたが、中佐が身振りでそれを引き止めた。居心地は悪いが、私はスペースに残り、鷹咲中佐が誰かと話をしているのを眺めていた。

 やりとりは意外に長く続いた。話の間、鷹咲は真剣な顔で壁を睨みつけ、淡々と言葉を返している。声を荒げることもなく、言葉を繰り返すこともない。

 受話器を戻した時、肩を回すような動作をしてから鷹咲中佐が私を見た。

「駆け引きの話だったな。興味はあるか?」

 どうやら話を元へ戻したようだ。

「聴問会の駆け引きですか? いいえ、特に興味はありません」

「それはどうかな。国防省の内部にスパイがいる、と言い出しても、興味はないかな?」

「スパイですか」

 おうむ返しにしてしまったが、はっきり言って、興味をかき立てられたとは言い難い。

 どこの国のどんな組織でも、スパイの存在を意識しないことはないだろう。倭国の国防省も、かなり厳密に、徹底的に出入りする人間を管理しているとはいえ、スパイが一人も紛れ込んでいないとはいえない。

「そのスパイがどうかしたのですか?」

「ついさっきの警報、あの理由がスパイ行為によるらしい、という通達が今、あったんだよ」

 両手を広げて肩をすくめる鷹咲中佐に、私はちょっと目を丸くしてしまった。

「それで、スパイは何をしたんです? 確保されたのですか?」

「確保はされていない。行方不明だ。容易には捜索も出来ないだろう」

「何故ですか? 草の根分けても探し出す、という姿勢で臨まないのですか?」

 火のついていないタバコをこちらに向け、ニヤっと鷹咲中佐が笑った。

「正体不明の人物が侵入した先はな、ゼロ・フロアらしい」

 私は言葉を失ってしまった。

 ゼロ・フロア。

 それは倭国国防省の中枢にして、不可侵な聖域だった。



(続く)

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