2-7 歓迎
◆
ヴァルヴァから異常事態を引き起こしながら脱出してから半月が過ぎて、やっと私たちは倭国に戻ることができた。
ウェーバーの治療に意外に時間がかかったのと、ヴァランベルグ皇国が警察だけではなく軍隊まで動員して私たちを追跡したからだった。
それになんらおかしいところはない。自国の首都で、正体不明の何者かが常識はずれの大事件を起こし、その上でどこかから現れた最新鋭の戦闘ヘリがそれを救出したのだ。後の報道では少なくない数の負傷者が出て、死者までいた。
ことは犯罪というよりは、国家としての安全保障へ発展していた。様々な国家や武装勢力が入り乱れる、この世の果てのような紛争地帯での出来事ではないのだ。先進国で、しかも首都で起こった今回の事件は、国家としてのヴァランベルグ皇国の体面、メンツに重大な傷を付けていた。
責任転嫁かもしれないが、あの老人のやり口が問題のように思えてならなかった。他にどんな手段が選べたかは判然としないが、もっとスマートに、知的にできたのではないか。
そのことを本人に直接に指摘できないのは、痛恨の極みと言っていい。
ウェーバーが完全に気を失い、極めて危険な状態になるのを見越したように、戦闘ヘリはどこかの飛行場へ降りた。そこでは平凡なワゴン車が待機しており、それに乗せられた私とカクリ、ウェーバーはまったく土地勘のない場所で病院まで運ばれるがままに移動した。
それきり、老人とは会えていないのだ。老人は飛行場に残り、そのまま消えた。戦闘ヘリもどこかへ消えた。これはウェーバーの容体が落ち着いてすぐに方々へ確認したが、足取りは追えなかった。失敗すると国中をあげて追跡中の私たちの所在に気付かれそうで、深追いもできないまま、倭国へ戻ったのだった。
第三国からの帰りの輸送機、これは正規の倭国の国防省が所有する輸送機の中でそれとなくカクリに確認したがカクリも詳細は知らなかった。事前に用意されていた協力者の中で、唯一、あの警官隊の追跡から逃れる手段の持ち主だった、ということだ。
名前を訊ねたが、いくつもある、という不愉快な返事しかなかった。私やカクリもいくつも名前を持つ身だ。つまりあの逃がし屋の老人は気が違っていたわけではない。あのデタラメも全てが計算だったのだろう。好意的に考えれば。
ともかく、倭国へ戻った私は移動の最中に仕上げておいた報告書を国防省兵器管理課先進兵器分析局の、我らがボス、第二分室室長へ提出したが、翌日には呼び出しを受け、しかも軍服を着てくるようにとボスの秘書に念を押された。
倭国国防省の建物で働くものは、制服を着ているものと背広を着ているものに分かれる。その上で、制服を着る立場ながら背広や場合によっては私服のものもいる。私は制服を着られるが、普段は背広だ。
そんな私に制服を着てこいというのは、公の場に出ることを意味する。
第二分室に与えられた区画、国防省本部ビルの一角に出頭した私に同僚はどちらかといえば同情的だった。中には「派手にやったな」と声をかけてくるものもいた。私は「派手にしたかったわけじゃない」と答えておいたが、信じてもらえたかは怪しい感触だった。
室長のために区切られたスペースにノックをしてから踏み込むと、我らがボス、鷹咲十次郎中佐は大げさな身振りで歓迎してくれた。笑顔も完璧だったが、もちろんそれも嫌味のうちだ。
「レイン、よく無事で戻ったな! しかも最高の報告書を添えて!」
本来的には軍人的規律に則って直立し、敬礼するべきだった。しかしいつからか、先進兵器分析局第二分室からはそのような堅苦しさは無くなってる。この時も鷹咲中佐は私が反応しないのを咎めなかった。
それどころか嬉しそうに席を立つと、私に歩み寄って肩を抱くようにして「さっそく出かけよう」と言い出した。肩を抱くなどセクハラ行為だが、私は咎めないでおいた。これくらいの苦痛には耐えるべきだ、室長の私の任務の後始末はシンプルなセクハラよりも苦痛だっただろう。しかしいつか室長を告発する材料の一つにはなった。
二人で室長のスペースを出て、すぐ隣のブースにいる室長の秘書に同情の目で見られたのは無視して、そのまま廊下へ出た。そこまで来て、鷹咲中佐は私がこれからどこへ向かうのかをやっと教えてくれた。
「レイン、非公開の聴問会が開かれる。幾人かの国会議員と官僚が参加する。もちろん国防省からもだ」
「例の新機軸の脳機能パッチですか?」
「そうだ。他に何がある? きみが連れ帰った研究者は盛大に歓迎されているよ」
上機嫌に冗談めかしている鷹咲中佐ほどウィリアム・ウェバーはいい気分でもないだろう。
あの研究者はまだ正式な亡命の見通しも立たず、それなのに倭国のありとあらゆるところから聴取を受けている。スパイかどうか疑われてさえいるようだ。ありえないことだが、なんでも起こりうるのが私たちの世界だった。そう、河川敷に所属不明の戦闘ヘリが出現することがあるように。
「ともかくだ、レイン。きみは正直に答えればいい。特に問題はないんだ。報告書の内容は私が一晩で精査し、問題なしのハンコを押してからしかるべきところへ提出してある。こうなれば終わったも同然だ」
鷹咲中佐の稚気がこの時ほど物を言う場面もなかっただろう。
仮に全てが終わっているのなら聴問会などないはずだった。中佐の気休めなのだ。それも私からすれば、正直に答えてどうなるのかわからない展開だった。
「中佐、気をつけるべきことは何かありますか?」
真剣にならざるをえない私の問いかけにも、人の良さそうな笑顔を変化させることなく鷹咲中佐は応じた。
「きみは疑り深いな、レイン。正直に答えればいい。正直にだ。それで問題はないんだ」
他人を容易に信じない自分に不愉快なものを感じて、私は「了解しました」の一言でこの問題を先送りにした。鷹咲中佐は信じられる。もしもの時も上手くやってくれるだろう。
「ところで」
それでも私は一つの重大な問題について確認した。
「カクリはどこにいるのですか? 彼は出席しないのですか?」
「彼は別の仕事だ」
中佐はなんでもないように答えた。
「それにレイン、こういう場面はきみの方が向いてる」
「それはどうでしょうか」
「もしカクリなら、それはどうでしょうか、などと応じない。彼なら、向いてません、と身も蓋もない返答をするだろう。そういう返答は聴問会には向かない。そう思うだろう?」
……まったく返答のしようがなかった。
結局、私だけが聴問会とやらに出席した。緊張はほとんどしなかった。投げやりな思いで私は会議室に入り、出席者の顔ぶれに臆することもなかった。それはそれで、鷹咲中佐に誘導された心理かもしれなかった。カクリを呼ばないだけでできる、簡単な誘導だ。
聴問会では出席者からの質問に私が素直な返事をして、かなり険悪な空気になる場面があった。その最高潮がヴァルベルグ皇国の警察との揉め事に関してのやりとりだったが、想定外の形でこの着地点がなさそうな議論は終了した。
天井のスピーカーから警報音が鳴り始めたのだ。
訓練ではなく、本物の警報だった。
非正規の侵入者がある、という音声が放送される前に、聴問会の会場である会議室ではその場の全員が動き出していた。政治家や官僚は護衛されながら避難させられ、軍人たちはそれぞれの非常事態の持ち場へ向かった。
私は鷹咲中佐と共に部屋を出た。別命あるまで、私たちは第二分室の区画での待機になる。今頃、事務員たちは情報の保全に動いているはずで、危険が迫れば避難だ。所属する軍人は臨機応変に対応することになるだろう。
警報はすぐに鳴り止み、アナウンスは第三種警戒を呼びかけていた。つまり各持ち場での待機である。警備室は大わらわだろうが、どうやら大規模なテロや襲撃ではないらしい。いたずらでもないだろうが、何が起こったかはすぐには把握できない。
この時ばかりは鷹咲中佐も軽口を飛ばさずに、無言だ。
それが逆に不気味ではあった。
私も何も言わずに、ただ先へ急いだ。
アナウンスは続いている。
(続く)
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