2-5 包囲

     ◆


 警察車両はほとんど道を埋めていたが、カクリはブレーキなど踏まない。

 私はといえば、後部座席に転がされていた対戦車ロケット弾の発射装置を引っ張り出し、後部ドアのガラスを全開にして身を乗り出している。

 死にそうな気がするが、気にする必要はない。死にそうになるのは毎度のことだ。

 警官たちはあるものは拳銃で、あるものは自動小銃でこちらを捉えている。

 停まれ! と誰かが叫んだかもしれないが、その声はロケット弾が点火された轟音にかき消された。

 白煙を引いたのも一瞬、ロケット弾が警察車両の真ん中で爆発し、何もかもが陰影に変わり、その影も刹那の光の爆発に消し飛び、次には爆風が来て、ありとあらゆるもののかけらが吹き寄せてきた。

 私は目をつむって顔を背けたが、何かが胸に直撃し、息が詰まった。

 それどころじゃない。衝撃で体が引きずり出され、車から落ちそうになった。何かが私が着ている上着の裾を引っ張らなければ、実際、転落しただろう。

 もっとも上着もあまりの衝撃に一瞬で裂けた。

 ロケット弾を発射したばかりの筒にグリップと引き金をつけただけにしか見えない発車装置を捨て、なんとか片手でドアの縁を掴むことができた。渾身の力で姿勢を戻し、車内に戻る。

 この時になって私たちの乗った車両が、警察車両だったものを吹っ飛ばしながら包囲を突破しているのに気付いた。それと、私の命を救ったコートを掴んだ手が、ウェーバーの手であることも知った。

「どうも……」

 ありがとう、までは言えなかった。激しく咳き込み、胸が痛むことが理解できた。手で触れてみると何かが刺さっている。金属の板で色からして爆発した警察車両の一部だろう。

 何かがあるとすぐ死にそうになるのは、私の何が影響しているのだろう。

 真っ青な顔のウェーバーに身振りで身を伏せているように指示して、私は胸に突き立っている板を掴み、引き抜いた。少しだけ血が出たがどうってことはない。戦闘服を着ていなかったら金属板は天然の刃となって胸を貫通して、それこそ致命傷になっただろうが。

「大丈夫か、レイン」

 運転席から淡々とした声が向けられる。

「二度ほど死にかけたけど、なんとか死ななかったらしい。車はまだ走れそう?」

「一般的な車両ならとっくに立ち往生をしている。しかし似た運命を辿りそうだな」

「どこに問題がある?」

「防弾性を持たせているはずのタイヤが一本、やられている」

 言われてみれば、不規則な揺れが定期的に体を揺らしていた。

「どれくらい保つ?」

「飛行場までは保たないが、良いとも悪いとも言えないニュースがある。飛行場は先にヴァルヴァ警察の特殊部隊に押さえられた。航空機を下すことはおろか、敷地にも入れない。つまり、目的は別の場所に変更になった」

「いつの間に?」

「お前が死にかかっている間に、だ」

 私はどうやらかなり長い間、生と死の狭間にいたらしい。そんなバカなことがあるか。

「レイン、私を責めるな。私は悪くない」

「わかっている。で、どこに向かっている?」

「河川敷だ」

 ……実に簡潔な表現だったが、理解できるものは限られただろう。

 河川敷に航空機を下す? 垂直離着陸機でも用意されたのだろうか。少なくとも輸送機は絶対に河川敷には降りれないし、小型機でも無理だだろう。

 空気を少しでも良くしようとしたカクリの冗談だと思いたいが、バックミラーに映る彼は普段通りだった。感情をうかがわせない表情。全くの普段通りで、つまり、河川敷というのは本気らしい。

「で、その河川敷は近いの?」

「ついさっき橋で渡った川の下流だ。車のナビゲーションは一キロと表示している。目と鼻の先だな」

「それって、とりもなおさず、警察の皆さんがうようよいるんじゃない?」

「空港で待ち構えているところに飛び込むか、相手の手薄なところへ飛び込むか、どちらがいい?」

 比べられるか。

 しかし他に選択肢はなく、運転しているのはカクリだった。私がカクリの立場でも、同じ展開を選ぶしかなかったのはわかる。わかるが、指示を出してくる相手を罵倒するくらいはしただろう。カクリはそんなことはしそうにない。実にクールなのだ。

 私はシートに腰を落ち着け、手元の武器を確認した。短機関銃は一丁で、予備のマガジンが三つ見える。自動小銃も一丁。こちらは予備のマガジンが二本だけ。あとは手榴弾が足元でゴロゴロしているのと、使い位置がなさそうなショットガンが一丁、寝かされていた。

 これが何かのアクション映画なら、ここにある武器だけで警察の包囲網を突破するんだろうけど、実現性は〇パーセントだ。

 カクリがハンドルを切り、車は急角度でカーブを曲がっていく。通りの左右には建物は並ぶが前方に開けて空が見える部分がある。川らしい。警察は今やサイレンを鳴らしまくって、そこらじゅうにその気配がするが、まさか自分たちが追跡している相手が引き返しているとは思っていないようだ。

「話は聞いていたと思うけど、気分は落ち着いた?」

 隣の席のウェーバーに声をかけてみると、彼はもう呻いても嘆いても錯乱してもおらず、ただはっきりと頷いた。自分がどうしてこんな境遇に陥っているかを解き明かす前に、生き延びることが必要だと気付いたか。いい傾向だ。

 大概の問題はそういう問題だ。生きるか死ぬかで、正しいとか間違っているとかの議論の前に、生きている必要がある。

 ついに視界に川面が広がったが、車は橋を渡らずに堤防の上に設けられた道へ突っ込んでいく。一車線で、どうやら逆走しているようだが、夜明け前に走っている車がないのが幸いだった。もし昼間だったら無謀の極みだ。

 河川敷という話だが、河はどこまでも続いていると感じられるほど長い。

 目印があるのか、と思った時、それが見えた。カクリが言葉にして「あれだ」と口にした。

「なんと、まぁ」

 私はそれ以上、何も言えなかった。

 車が走っている堤防と、広い川の間にある河川敷に、確かに目印があった。

 原始的な目印だ。火が燃えている。ドラム缶か何かで火を焚いているらしい。日中なら立ち上る煙でもいい目印になったはずだ。

 行くぞ、と言った次には、カクリが車を堤防の斜面に飛び込ませている。わずかな浮遊感の後、車両はタイヤを一本、完全に犠牲にしながら急斜面を駆け下り、地面を抉って溝を刻みながら停車した。

 その常軌を逸した動きをした車内では、カクリこそ覚悟できていただろうが、私とウェーバーは危険な銃器とごちゃごちゃにシェイクされ、それが終わった時には不自然な姿勢でシートに伸びていた。

「ちょっとは加減しなさいよ……」

 思わずぼやきながら、私は姿勢を取り直して銃器を回収した。短機関銃は強打したらしい頭を押さえているウェーバーに押し付け、私は自動小銃を手にする。

「急ごう、レイン。警察も気づいたようだ」

 カクリはもうドアを開けて外へ出ている。彼の手には私が持っているのと同じ自動小銃があった。三人きりで警察の集団と対峙とは、涙が出そうだ。しかも逃げ場はないと来た。降参したいが、それは最後の最後だ。

 私は歪んで開こうとしないドアを無理やりに蹴り開け、外へ転がり出た。ウェーバーに手を貸す。

「大丈夫? 歩ける?」

「ああ、たぶん。頭が痛む。クラクラするが、歩けると思う」

「上等、上等。ここを逃げ出せば、医者を手配するから」

 二人で車の外に出た時、警察車両が橋を列をなして渡ってくるのが見て取れた。

 カクリを先頭に火が燃やされている方へ走った。

 確かにドラム缶だと見て取れた時、その揺らめく光の中に一人の人物が立っているともわかった。わかったがその人物がどこにでもいそうな老人だと気付くのには時間がかかった。もしかして河川敷で草刈りでもしてその草を燃やしているのでは、と思ったりもした。

 老人はタバコを吸っていて、口元で時折、赤い点が浮かぶ。

 その老人がこちらに手を軽く振ってみせた時、私は安堵していいのか、それともそれが早計なのか、判断がつきかねた。しかし老人の方では確信があったようだし、我が相棒たるカクリも確信があったようだ。

「あんたたちが警察に追われているのか?」

 老人の言葉にカクリが答える。

「そうだ。あんたが逃してくれるのか?」

「そうだ」

 まったく、確信を持つもの同士のコミュニケーションほど、理解に苦しむものはない。他に何か、確認したり、やり取りする言葉があるだろう。

 私がその点を指摘できなかったのは、すでに堤防の上に警察車両が並び始めており、数え切れない完全武装の警官がわらわらと集まっていたからだ。

 この老人が上手くやってくれないと、私たちはおしまいだ。

「航空機はいつ来る?」

 カクリの問いかけに、老人の口元から紫煙が吐き出されるのが不自然なほどはっきり見えた。

「そろそろ来る」

 そろそろ?

 さすがのカクリも黙ったが、彼が老人の真意を正そうとした時には、周囲には寝ているものを一人残らず叩きおこすような爆音で、武器を捨てて投降するように求める拡声器越しの警官の声が響き渡っていた。

 頭上を振り仰ぐと、どこかで見た空の記憶が刺激された。

 いつかもこうやって空から何かが舞い降りてくるのを待っていた気がする。

 そしてその時も今と同じような窮地だった気がするが、よく思い出せない。

 また警官が声を張り上げている。

「どうすればいい?」

 思わず私は老人に問いかけていた。まだ名乗ってすらいない老人は面倒くさそうにタバコを捨てると、こっちへ来い、と私を手招いた。

 そばに寄ってみて、初めてわかった。老人の背中に二連装のショットガンがある。

 しかし、そのショットガンで警官の集団を追い散らすという展開は、どんな創作でもありえない確信がある。

 こっちだ、と老人が私を促したのは、川とは逆方向、堤防の方だ。警官たちの方へ行けという。

 さすがの私も計算した。ウェーバーは戦闘のプロとは程遠い。そのウェーバーを守るのなら、私よりカクリの方が適任だろう。機械の体だし。

 老人の謎の行動を拒否することもできた。そうしなかったのは、夜の中で光る老人の双眸に場違いなほどのギラつきがあったからで、結局、私はその狂気じみた気迫に身を任せる気になっただけだった。

 正気で切り抜けられる場面ではない。たぶん。

 少しだけウェーバーとかクリから距離を取ると、私の背後に回った老人がおもむろにショットガンを引き抜いた。

 私はただ、老人をなすがままにした。

 ショットガンの銃口を背中に押し付けられても、だ。



(続く)

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