2-4 追撃
◆
少し寄り道をした関係で、指示された場所に辿り着いたのは想定されていたタイミングのギリギリだった。
ヴァルヴァの街の中心地にある、ホテル街だった。どうしてこんなところに、と思わなくもないが、男というのはこういう場所に連れ込まれやすい。
「表で待っていて、手遅れにならないかな」
一軒のホテルの向かいの路肩に車を止めたカクリに冗談を口にしてみるが、そっけない返事しかなかった。
「まさか全ての部屋を検めるのか?」
それはそれで最悪だった。
しばらくは何事もなかったが、ふらっと玄関から出てきた二人組がいる。
一人は女性で、見るからに娼婦だった。もう一人は、ウィリアム・ウェーバーその人だ。
「ハニートラップではなかったみたいね」
私は素早く車を降りて、周囲を確認しながら正面からウェーバーに近づいていった。そのウェーバーは弛緩した顔でしきりに女性に何か話しかけていて、私に気付かない。むしろ娼婦の方がこちらに気づき、訝しげな顔つきに変わった。
やっとウェーバーが私に気付く。最初は不審そうに、次に狼狽えたようだ。
「な、何の用だね、み、み、見張っていたのか!」
「見張ってなどいません。ウェーバーさん、同行していただきたいのですが」
「同行? きみは警察か?」
まったく、素直になって欲しいいものだ。今の私みたいな形の警官などいるわけがない。
「あちらの車に乗っていただけますか。詳しい事情は道中で説明しますので」
「まさか軍人か? 私を拉致するのか?」
バカめ。拉致するならもっとうまくやる。背後から忍び寄って殴り倒し、頭に袋をかぶせて車へ押し込む。それで済むだろうということくらい私だって想像できる。
そうしてやりたい。
説明しようとしたのは、善意からの行動だったし、協力を求めたという部分もある。
それが祟った、ということになるだろう。
かすかに空気が抜けるような音がしたかと思うと、いきなりウェーバーの隣で話を聞いていた娼婦が倒れこんだ。
「どうしたんだね……」
ウェーバーがそう声をかけた時には、娼婦の動かない体の下には血だまりができている。彼がそれを理解するより早く、私は腕を引いてウェーバーを車の方へ引きずっていた。
消音器で発砲音を消した銃撃が、次々と私たちをかすめていく。ウェーバーが意味不明なことを喚いているせいで、発砲音の位置を全て把握するのに苦労する。三箇所から撃たれているようだ。
私の肩に一発が命中する。衝撃に転倒しかけるが、耐えた。弾丸は戦闘服の薄い軟性素材に食い込んでいるだけだ。
車の方ではカクリが運転席から降り、手にした自動小銃でどこかを狙っていた。こちらも消音器が装着されているが、やや大きな音がしている。私とウェーバーが車に飛び込んだ時には、銃撃は車両に集中してそこここが弾丸で削られ、抉れていた。
カクリが運転席へ戻り、即座にアクセルを踏み込む。防弾仕様の車は着弾の火花を置き去りにするように猛スピードで現場を離れた。
後部座席では、ウェーバーが頭を抱えて震えていた。私はそんな彼を放っておいて、用意しておいた短機関銃を手に取り、予備の弾倉を確保していた。後部座席の半分は銃器で埋まっていて、窮屈この上ない。
「ウェーバーさん、落ち着いてください」
呻いている研究者に声をかけながら、私は車の背後を確認した。追跡してくる車両はない。時間のせいか、一台の車もなかった。好都合といえば好都合、不都合といえば不都合だ。追跡者があればすぐわかるが、逆にこちらの車も目立ちすぎる。夜の街を法定速度を無視して走っているとなれば尚更だ。
研究者は返事をしない。ガチガチと口元を震わせているだけだ。
「ウェーバーさん。あなたを安全なところへ連れて行きます。気を確かに持ってください」
あ、とか、う、としか言えない男にこれ以上、何を言っても無駄だろう。
カクリが赤信号の交差点に突っ込み、速度を緩めずに車を右折させる。他に走っている車がいたら事故も起こっただろうが、その心配は必要なかった。さらに先へ進む。
ヴァルヴァの郊外に民間の飛行場があり、そこで航空機が待機している、というのが私たちに与えられた情報だった。そこまで無事に逃げるのがこのゲームの勝利条件になる。敵の規模は不明。ついでにヴァルヴァの警察には事情が通告されていないので、彼らにも対処しないといけない。
交差点を今度は左折。やや長い橋を渡っていく。ヴァルヴァの中心地の明かりが背後に見えた。
違う。こちらに猛スピードで突っ込んでくる乗用車が二台、見えた。こちらもスピードを出しているが、相手は無謀と言ってもいい速度だ。
「カクリ、来たよ」
「見えている」
どうやらカクリはバックミラーかサイドミラーで把握していたようだ。
「これで頭でも守っていなさい」
予備の防弾ベストをウェーバーに放り投げ、私はウインドウを全開にすると身を乗り出した。嫌な記憶が蘇る。前に似たような姿勢をして、車が事故って死にかけた。二度とごめんだが、カクリの運転技術を頼るしかない。
追跡してくる車両はあっという間に近くなった。私の短機関銃が万全の態勢で出迎える。
引き金を引くと銃声が一つらなりになり、二十発の弾丸が車両の一つに集中する。運転席の正面のガラスが粉砕され、挙動が乱れるが、まだ追ってくる。
素早くマガジンを交換、再び斉射する。今度は蛇行したかと思うと、そのままガードレールに突っ込んで動かなくなった。橋から落ちなかったのが奇跡に見えた。逆を言えば、こちらが相手の立場になった時には奇跡が起きなければ川に落ちるということだ。
しかしまさか、スピードを緩めるわけにはいかない。もう一台がすぐに追いついてくる。
今度は相手も正面切って突っ込むことはしなかった。巧みなテクニックで右へ左へ車を振って、私の射撃を許さない。それでいて距離を詰めてくるのは、まったく巧妙だった。
ついに相手の車両のフロント部分と、私たちの車のリア部分が接触する。激しい衝撃。車内からウェーバーの悲鳴が聞こえた。
私は三本目のマガジンを空にしたが、成果といえば追跡車両のヘッドライトの片方を粉砕し、サイドミラーをすっ飛ばしたくらいだった。
相手の車の助手席から私が持っているのとはモデルが違うが、短機関銃が突き出され、こちらを雑に照準する。体を車内引っ込めて、背後でガラスが弾丸の雨で粉砕されるのを音だけで聞く。相手は強装弾を使っているようだ。
橋はそろそろ終わりらしい。市街地であまり派手にはやりたくない。
かといって、手加減もできないか。
エイグリス合衆国で使われている高性能の自動小銃を手に取り、後部のガラスが割れてできた空間から銃口を突き出す。相手もこちらを見ているだろうが、構わずに発砲。
反撃が来て、頬を高熱が掠める。
構わずに引き金を引き続け、両手で銃を制御する。
ついに追手の運転手が倒れたのか、車は蛇行したかと思うと急にハンドルを切り、思い切りよく横転した。
他に追っ手がないのを確認してから、頬が血まみれなのに気づく。弾丸が浅く抉ったようだ。手当の前に自動小銃から空の弾倉を外し、新しいものに取り替える。
「カクリ、無事だよね?」
「とりあえずはな」
言いながらカクリは蜘蛛の巣状のひびの入った正面のガラスを手で払い除けていた。私の頬を掠めた弾丸がそこに当たったようだ。
血が流れ続ける頬を手の甲で拭いながら、身を屈めて呻いているウェーバーに声をかけた。
「どこにも怪我はありませんね? 大丈夫ですね?」
ああ、と答えたようだが、発音はあやふやだ。無理矢理に彼の全身を弄って確認したが、負傷はなさそうだ。
何故だ、と不意にウェーバーが姿勢も変えずに言葉にした。
「何故だ、何故、何故、私が狙われるのだ……、何故、私が……」
私は答えないでおいた。
悪魔に魂を売ったからだ、と言ってやりたかった。彼の研究とは、そういう性質のものなのだ。
自覚していなかったとは、呆れるばかりだ。
ついに橋を渡りきり、交差点を曲がる。
その時、正面に見えたのは、赤と青のランプの明滅だ。
どういうわけか、警察車両が街路を封鎖していた。カクリが突破を試みたようだが、容易ではないと急ブレーキを踏み、さらにハンドルを切って車の向きを百八十度、変える。
元来た交差点へ引き返すことになったが、その交差点にも警察車両が次々と飛び込んできていた。
サイレンを鳴らさずに行動するとは、警察らしくもないな。
「レイン、少し荒れるぞ」
カクリがそんな風に断って、さらにアクセルを踏み込んでいく。
私は私で、いざという時のために自動小銃を抱え直したのだった。
ただ一人、研究者だけが自分の身に降りかかった悲劇の理由を、誰にともなく問いただしていた。
私にもカクリにも、そんな暇はない。
行動しなければ、困ったことになるのだから。
それも、行動し続けなければいけなかった。
考える間もなく。
(続く)
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