2-2 人間らしさ
◆
ウェーバーは軽い調子で話し始めた。そんなところは優秀な研究者というよりは学生を連想させる。
「皆さんに今夜、お集まりいただいたのは、脳情報関連技術に関する新規のアプローチをお披露目するためです。昨今、途上国を中心に発生している不完全な脳情報精査が問題視され、その責任の一端は不完全な技術に基づく装置と不完全な能力の技能者にあります」
フロアは静まり返っている。一方で、前置きはいい、という雰囲気でもある。
「さて、脳情報技術と、代替身体に関する技術は、一部の先進国に見られる人口減少問題をフォローする技術になるとされています。それはそれで恐ろしい発想ではありますが、脳情報を複製し、代替身体を与えることによっていくつかの職種を代替させる、ということになります。しかし現時点でそれは国際的に禁止され、また、倫理的にも許されるものではありません」
私は注意深くウェーバーの話を聞いていたが、いまいち、何を言っているのかわからない。現状を再確認するような話が何故、必要になるのか。
同じ疑問を持っているものもいるだろうが、さすがに野次を飛ばすような粗野な人間はここにはいない。みんな、おとなしく聞いていた。ウェーバーはもったいぶった話を続ける。
「ここからが本題です。我々は、途上国で違法に製造された、劣化した脳情報を焼き付けられた代替身体を保護し、これに新規のアプローチを試みることで、正確な脳情報を転写された代替身体に等しい能力を発揮させることに成功しました」
一瞬の深い静寂。
次にはざわめきが起こった。めいめいにそばにいるものと、参加者が言葉を交わしたからだ。私も思わずカクリの顔を見ていた。カクリはこんな時でも表情を毛筋も変えないが瞳の奥には驚きがあったように見えた。
ささやかなやり取りが続いているところへ、ウェーバーは話を続行する。堂々とした、自信にあふれた態度、口調だ。
「一部の研究で試験中の「脳機能パッチ」の新機軸ということになります。脳機能パッチは、脳情報移植型代替身体の最大の特徴である「空白脳」に脳情報を焼き付けるのと同じ原理で、意図した機能を付加的に焼き付ける技術ですが、機能衝突が危惧される技術です。脳機能パッチは不可逆的で、一度、空白脳に焼き付けてしまえば消すことはできません。その最大の弱点こそ克服できていませんが、我々の技術は劣化脳情報を補完することに成功したのです」
なるほど。思わず口元を手で撫でようとしてしまい、口紅をつけていることを思い出して手を引っ込める。
脳情報移植型代替身体とは、促成栽培されたクローン体、と言い換えることができる。誰かしらの遺伝子情報を手に入れ、最適化し、人造細胞から培養させていくのだ。だから、結果的に生まれるのは人間そのものなのだが、絶対に人間とは違うところがある。
それこそが、「空白脳」だった。
その脳には、自我、意識が存在しない。最適化という魔法の極致である。
その空白脳は、脳情報を転写するのに最適な状態で成長を続け、脳情報を書き込まれた時になって初めて、意識を持つ。脳情報という意識を、である。
とどのつまり、脳情報精査とは意識の情報化であり、脳情報移植型代替身体とは意識を持たずに生まれ、後に意図的に与えらえた人間、ということだ。
情報化された意識には肉体が必要で、ただの肉の塊に過ぎないものが意識の書き込みによって人間になる。
非倫理的などという表現では足りないほど、突飛な発想である。
ウェーバーが言っていることを整理しよう。
脳情報を取り出す技術が不完全な場合、脳情報から立ち上がる意識に不具合が生じる。これは技術的な欠陥で、不具合を抱えた脳情報を「劣化脳情報」と表現することが多い。
劣化脳情報を補完する仕組みとして研究される脳機能パッチは、脳に直接、情報を転写し、意識を補完する技術に他ならない。
脳機能パッチは脳情報精査に関する技術発展と同時に研究が進んだが、初期段階では生身の人間の脳へのアプローチとしても研究された。しかし本来的な成長をした人間の脳への脳機能パッチの転写は研究段階でほとんど成立しないという結論が出ている。
というのも、脳機能パッチを本来的な人間に使おうにも、成長とともに様々な経験が複雑に脳に記録されている。その構造のために不規則なノイズが発生し、ノイズは個々人によってまるで違うこともあり、脳機能パッチとノイズとの間で予想不能な機能衝突を起こすことになった。
初期には人間を完成させるなどと謳われ、次には人間を超えた人間、超人を生み出す、とまでされた脳機能パッチだったが、本来的な人間には転用不可能な技術とされている。
もっとも、その技術は脳情報移植型代替身体とその空白脳の研究開発によって、潰えることは免れた。免れたが、主流とは言えない技術になっていた。
ウィリアム・ウェーバーが言うことが真実だとすると、彼の開発した脳機能パッチは、劣化脳情報の不完全さをフォローすることで終わりそうもなかった。
本来、脳情報と脳機能パッチはセットで運用される。脳機能パッチの側から脳情報にマッチングさせていき、さらには脳情報移植型代替身体に転写するときにも微調整が施される。後から脳機能パッチを既存の脳情報へマッチングさせることもあるが、それは高度な技術を求められる。
もし、ウェーバーが言った通り、どこからか持ってきた劣化脳情報を焼き付けられた不幸な代替身体に、後から脳機能パッチを当てて人間的機能を持たせたとすれば、驚異的というほかない。
劣化脳情報を解析し直し、その上で適合する脳機能パッチを作ったのか。そんなワンオフとも思えないが……。
ざわめきが静まった頃、ウェーバーが核心を口にし始めた。
しかしだいぶ婉曲したやり方で。
「みなさんはすでに、我々が開発した脳機能パッチを当てられた、劣化脳情報の持ち主と対面しています。お気づきでしょうか」
短い沈黙の後、参加者が周囲に目を向け始める。私もそうしたかったがグッとこらえて、思考だけを巡らせた。
客に混ざっているのだろうか。そんなことをする意味はないはずだ。
ウェーバー自身が偽物? ありえないし、やはり意味はない。
ホテルマンか。いや、あれはおそらく本物。
そうなると答えははっきりしている。私はさりげなく、今は壁際へ下がっている給仕へ目を向けた。年齢も性別もバラバラで、こうして見ても十人なりの彼らに共通点を見つけるのは難しい。服装だけは同じでも別人なのだ。
私の視線の向きに気付いた数人もそちらを見るが、誰も確信が持てるようではなかった。
そうです、とウェーバーが話し出したので、一斉に視線がステージに集中する。
そこで彼は身振りで、給仕たちを示していた。
「彼らは保護された代替身体で、中に入っているのは劣化脳情報です。脳機能パッチで、こうして人間と大差ない行動、行為、所作を実現しているのです。私のつまらないお話が終わったら、どうか、丁寧に彼らの話を聞いてあげてください。機密以外については、彼らは正直にお話しするでしょう」
参加者たちの視線が給仕たちに集中するのを確認したようで、後のウェーバーの挨拶は簡単なものだった。挨拶が終わって、あとは歓談のお時間になったが、参加者のほとんどは給仕たちを取り囲み、他はウェーバーの元に集まるか、知り合い同士で集まっている。私とカクリは少し離れたところで様子を伺ってから、一旦、帰ることにした。給仕たちに話を聞くのは難しそうだったし、話を聞いたところで事実を聞き出せるかはわからない。ウェーバーが話した内容についても、検討する時間が必要だ。
「ちょっと待って」
さっさとフロアを出ようとするカクリを呼び止める。振り返った彼を待たせておいて、私は手持ち無沙汰の、本物の人間の給仕に声をかけた。
「料理を持ち帰りたいんだけど、パックとか、あります?」
給仕は暇だったからでもないだろうが、実に丁寧な態度で一礼すると、タッパーを三つほど持ってきてくれた。さすがにタッパー三つも料理を詰める気は無かったが、給仕なりに気を利かせたのかもしれない。間違っても、人間もどきの給仕の人気に対抗したわけではないだろう。
私は素早くタッパー一つだけに料理を詰めて、立ち尽くしていたカクリの元へ戻った。
カクリは何も言わなかった。ただ、恥ずかしい、という感情が無表情の奥にあるような感覚はあった。
正直なところ、タッパー二つくらいは確保したかったけど、そこを一つで我慢したのを褒めて欲しい。
無理な要望か……。
(続く)
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