第二章 人間の定義

2-1 潜入

       ◆


 ヴァランベルグ皇国は先進国の一つであり、首都ヴァルヴァは学術都市として名が知られている。

 大学や研究施設が集中し、人口に占める学生の割合が群を抜いている。住民の平均年齢が三十代、独特の活気があり文化も多岐にわたる。

 そんな街に紛れ込むのはたやすいが、その点で不安がないとしても、任務自体は容易ではなさそうだった。

「なんでこんな服装をしなくちゃいけないのかね」

 思わずぼやきながら、私は姿見の前で自分が身につけているクラシックなワンピースの様子をチェックした。地味な紺色の薄い布にレースの飾りが精緻な文様で華やかさを演出している。

「ドレスコードなんだ、文句を言うな」

 相棒たるカクリは普段通りだが、彼はただ背広を着ればいいだけなのだから、楽なものだ。ネクタイや腕時計で工夫する気もないらしい。ネクタイはただの縞模様、腕時計は倭国では名の通っている頑丈さ一点張りのデジタル時計だった。いや、これはこれでドレスコードに抵触するのではないか。いやいや、しないか。変な奴、と思われるだけだ。

「行くぞ、レイン。迎えのタクシーが来ている」

 私とカクリはアパートの一室を借りて、すでにここで一週間を過ごしている。ここまでの七日間は自分たちの存在を察知したり、探っているものがいないか確認するためにあり、同時に倭国から研修としてヴァルヴァへやってきたという建前に、いかにもな真実味を持たせる工夫である。もっとも、立場の真実味はおまけのようなものだ。どれだけ探っても、私たちは国家が力を行使して立場を演出しているので、同程度の力がなければ暴けない。

 ともかく全ては今日、これからのためだった。

 テーブルの上に用意しておいた小さなバッグを手に取り、中身を確認する。奥に隠してあるのは六連発のリボルバー式の拳銃だ。これが今回の唯一の武装になる。紛争地帯とはわけが違うし、ヴァランベルク皇国は銃社会ではない。もしそこらで拳銃を見せびらかせば、あっという間に警察が飛んでくるだろう。この国で銃で武装しているのは二つの立場だけ。警察と軍だ。

 しかし全く無防備でいるわけにもいかない。私とカクリの立場がそれを許さない。どこからどのような妨害があるかはわからないし、あるいは命を狙われるかもしれなかった。

 命を狙われるというシチュエーションで、六発の銃弾がどれだけ意味を持つかは謎だけれど。

 ともかくバッグを手に、私はカクリに続いて部屋を出た。カクリは鞄の類を持っていない。まぁ、今の世の中、携帯端末さえあれば大概のことはできる。

 ヴァルヴァのはずれにあるアパートからタクシーに乗って移動すること十五分、車は中心街のホテルのひとつの前で停車した。降りた私たちをホテルマンが待ち構えている。

「招待状を拝見します」

 私はバッグの中から一通のカードを取り出して示した。カクリは私の付き添いということで、カードには連名になっている。ホテルマンは頷くとカードを私に返し、念が入ったことに身分証明書の提示をもとめてきた。今度は携帯端末から簡易パスポートを示す。ホテルマンは今度こそ私たちを建物の中へ通した。

 創業八十年という老舗のホテルだが、建物が古いのは外観だけで、内部は現代的に改装されている。しかしあまり見物している余裕もない。すぐに別のホテルマンがやってくると、ご案内します、と先に立って歩き出した。私たちが何も言わなくてもいいのはこのホテルが今夜、借り切られているからだろう。

 今夜はここで、ヴァルヴァ脳技術研究所が主宰するパーティーが開かれる。そこで新技術がお披露目されるというので、私とカクリがやってきたわけだ。

 興味本位で来たわけではない。仕事としてきたのだ。

 倭国の国防省先進兵器分析局は、ヴァルヴァ脳技術研究所が開発した技術に興味を持っている。研究所は軍事転用を否定しているが、どんな技術でも条件が揃えば軍事技術として運用されるものだ。ヴァルヴァ脳技術研究所の技術について知っておくことは、もしかしたら起こるかもしれない展開に対応する余地を作ることになる。

 要は私とカクリの役目は、ヴァルヴァ脳技術研究所の新技術が脅威になりうるかどうか、その判断をするための情報収集である。諜報とも言えないのは、こうやって堂々と正面から乗り込んでいることでもわかる。それでも招待状は本物でも、書かれた名前は偽名だし、簡易パスポートも偽造だ。

 招待状が本物なのは、内通者が存在するからである。今回の新技術の軍事転用への危惧も、その内通者の通報によるところが大きい。私は実際に対面していないし名前も聞かされていないが、思い切ったことをするものだ。

 産業スパイというものは意外に多く存在する。ただ、技術を売ってより高い地位や高待遇、金銭を手に入れるものはいても、未来の犯罪を防ごうという意志を持つものがどれだけいるかは謎だ。

 こうなるとその内通者は、倭国に生命の安全を求めるかもしれないなどと私は想像するが、そこまで大げさになる新技術とはなんなのかは、想像の範囲外だ。

 これからのお披露目会で私とカクリがどう判断するかで、内通者の処遇は変わるだろう。もしくは別のチームの内定や調査もあるかもしれないが、他に誰がどう動いているかは作戦の保秘のために知らされていない。

 ホテルマンの案内で、私とカクリはホールの一つに入った。急に喧騒が周囲に満ちて、空気が変わる。

 着飾った男性、女性が、そこここに輪を作って談笑している。テーブルには豪勢なオードブルが並び、給仕たちが飲み物が注がれたグラスをいくつもお盆に乗せて行き交っていた。

 実に華やかな、上流階級の会合らしい演出だ。あまり関係ないだろうが、照明はクラシックなシャンデリアのデザインだった。手の込んだデザインで、気にし始めると注視しそうになるほど凝っている。あるいは創業当時のデザインを継承したのだろうか。

 シャンデリアに気を取られている私の腕を引いて、カクリが注意を戻させる。彼はさっさと給仕からグラスを二つ受け取り、片方をこちらへ差し出してくる。ぶっきらぼうな動きではない、丁寧な所作だ。私も似たように動きを整えて、グラスを受け取る。

 どうも、下手な行動をとると悪目立ちしそうだ。学生の街のイメージがあるが、文化の街としての優雅さもある。階級社会ではないとしても上流階級の文化は今も健在、ということらしい。

 私はカクリとゆっくりと歩を進めつつ、オードブルの様子を眺めていた。アパートの部屋で着替える前に軽食を食べておいたが、料理を目の当たりにすると自然と空腹を感じてしまう。その点、生体パーツの維持のために水分と栄養剤しか本来は必要としない機械式義体のカクリが羨ましい気もするし、食事と無縁になるのは虚しいだろうな、とも思う。

 私はさりげなくカクリの腕を引いて足を止めさせ、テーブルからサンドイッチをひとつ手に取った。野菜とサーモンの燻製と何かのソース。パンは全粒粉らしい。口にするといかにもこだわりの味という味だった。

「意外に人が多いね」

 カクリにしか聞こえない声量で伝える。カクリは胸を張るようにして、まっすぐに立ってどこを見るともなく視線を外している。

「脳技術研究所と繋がりのある大学、それと企業から出席しているものが多いと聞いている。脳情報精査と脳情報移植型代替身体の技術は、一般ではまだ普及せず、夢の技術とされている。それこそ不老不死を現実のものとする技術だと見なされているほどだ」

「でも、カイエルン国際条約、俗に言う脳情報保護法で研究目的以外の脳情報精査は国際的に禁止されている」

「脳情報精査はまだ技術的に発展途上だからな。後進国での杜撰な装置を使っての脳情報精査で生み出された劣化脳情報が大きな理由となり、国際的に規制されているが、今やそれは技術開発の足かせ以外の何物でもない」

「ヴァランベルグ皇国の技術水準なら、精密な脳情報精査は可能でしょうね。その辺りが今回の新開発の技術に繋がるのかも」

 そんなやり取りをしている私たちの実際を知れば、この場にいるものは驚倒しただろう。

 私の肉体こそが脳情報移植型代替身体であり、私の脳に焼き付けられているのは、脳情報精査を経て生み出された脳情報なのだ。

 気づくものはほとんどいないが、私という存在は国際法上では完全に違法だった。もし露見すれば、倭国は弁明が難しい立場になる。研究目的を逸脱した脳情報精査とその運用、脳情報移植型身体の運用も、シラを切るのは困難だ。

 しかしまさか、そんな危険な立場のものを現場のエージョントに使うとは、誰も思いつかないだろう。言ってみれば、狂気の沙汰。

 私とカクリは無難な会話をしつつ、時間を過ごした。声をかけてくるものもいたが、興味本位のようで、適当なやり取りが終わると離れていく。それは私とカクリの身分が倭国の大学院の研究者という接近しても価値がなさそうな立場だからかもしれない。

 退屈だが、私にはまだ料理を口にして酒を飲むという楽しみがある。カクリこそ、本当に退屈だっただろう。いや、苦痛そのものかも。

 どれくらいが過ぎたか、不意に音楽が流れ始めて、フロア全体の会話が消えていった。

 これまでは無人だったステージに、一人の人物が上がっていった。自然と拍手が起こる。私もカクリも拍手した。その人物は事前に情報を得て知っている。

 ヴァルヴァ脳技術研究所の専任主任という立場にある男性。

 ウィリアム・ウェーバー氏。

 三十代の新進の研究者は微笑みながら一同を見回すと、拍手が鳴り止むのを待った。

 静寂がやってきて、空気が変わる。

 どうやらこれから、新技術とやらがお披露目されるらしい。私も集中した。

 ウェーバー氏は軽く咳払いをして、おもむろにマイクを口元に寄せた。



(続く)

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