1-11 気分

       ◆


 カクリと再会したのは、リハビリを半日で終わりにして、やっと輸送船の甲板に上がった時だった。彼がそこにいると船員が教えてくれたのだ。

 ここ半月、与えられた病室とトレーニングルームを行き来するのに終始していた私だった。トレーニングルームはちょっとしたスポーツジム以上の設備があり、プールも完備していた。機械式義体では泳ぐのは難しいが、脳情報移植型代替身体なら生身と大差ないので自然と泳げる。

 というわけで、ひたすら全身を鍛え直しながら、体の感覚を意識に馴染ませていた私だった。他の時間にも銃器の整備のやり方を思い出したりして、時間的余裕はなかったのだ。銃器の整備など知識があればできそうなものだが、指先に微妙な感覚を取り戻させるのに苦労した。

 やっと最低限の感覚を回復したので、この日からリハビリは半日で済むようになった。

 甲板に上がると、だだっ広い空間が広がっている。それもそのはずで、床にはヘリコプターの降着地点であるマークが大きく描かれている。ここに下りるとして、発進する時はどうするのかと思ったが、よく見れば甲板の一部が上下するようになっている。今はその離着陸する甲板が上がっている状態なわけで、なら、機体が帰ってくるのを待っているのかもしれなかった。

 カクリを探すと、甲板の隅に直に寝転びながら、紙の新聞を眺めていた。日差しを防ぐためか、サングラスなどをかけている。

「やあ、相棒。元気かな」

 声をかけてやっとカクリは新聞を下げたが、もちろん、私の接近には気づいていたはずだから、そういう演技なのは間違いない。

「そちらこそ、元気そうだな、レイン」

「体を新しくしたって聞いたけど、前と変わらないね」

「よくあるモデルにちょっと手を加えてあるだけだからな。お前こそ、一度死んだとは思えないな」

「生憎と不死身でね。いや、もしかしたら別人かもよ。そしてあんたも、カクリを名乗っているけど、カクリじゃないのかも」

 笑えないジョークだな、とカクリが上体を起こし、座る姿勢になったので私もすぐ横に腰を下ろした。

 海風が心地いい。潮の匂いはどこか血の生臭さを連想させるけど、本物の血の匂いとは違う。

 頭上を見ると、鳥が飛んでいる。かなり高い位置で、太陽の中に入ったり出たりをしている。こんなところを飛んでいて、何を食べて生きているんだろう。魚でも捕まえるのだろうか。それに、止まり木の一つもない海の真ん中で、どうやって休むのか。海面に降りるのかな。

「これが最近の新聞だ」

 横手から折りたたまれた新聞が手渡された。どこの新聞かと思えば、アルクス連邦の新聞だ。この仕事に就く前から語学には必死になって、世界各地の言語はそれなりに理解できる。アルクス連邦のそれも同様だ。

 見出しは、ルルスアン自由国で非人道的行為が横行、となっている。もっとも一面の見出しでもなければ、文字自体も小さい。記事自体はほんの少しだけだ。

 内容は、ルルスアン自由国で、生命倫理的に国際上の問題になる行為があった、というだけだ。具体的な言葉は出てこないし、記事の結びも「ルルスアン自由国の立場は悪くなるだろう」という他人事のような終わり方である。

「この非人道的行為を暴露したのは、私たちってことね?」

「そうだ。残念ながら、キャサは死んでしまったからな」

 そう、としかすぐには返事ができなかった。

「遺体はどうしたの? 捨ててきた?」

「いいや、回収した。ヘリに乗せるところまでは生きていたんだ。輸送中に死亡し、この輸送船に着いてから水葬ということになった。お前が新しい体で目覚める前のことだ」

 キャサはおそらく、ずっとあの荒野の国で生きてきただろう。

 推測に過ぎないのは、彼とはあまりに付き合いが短く、来歴を聞くような時間がなかったからだ。お互いのことを詳細に知らないのにもかかわらず、キャサは私たちを信頼した。切羽詰まっていたとしても、賭けだっただろう。

 命を落とすことを想定しないでは踏み切れない賭けだ。

 彼は賭けに負けたが、ある部分では勝ったかもしれない。もちろん死んでしまえば、何も意味を持たないという見方もできるが。

 彼は自分の故郷を捨てる決断をしたはずだが、自分がどこに葬られるかを想像しただろうか。どこの土地でもない、海の真ん中に沈んでいく自分を思い描いていただろうか。

 あるいはあの国を離れて、裏切り者となったとしても、最後にはまた故郷の土地を踏めると思っていたか。私にはそんな気がしてならないのは、理屈ではない。

 感傷だ。無意味な感傷。考えるだけ、無駄か。

 私は新聞をカクリに戻した。カクリはもう読もうとはせず、折りたたむと脇に抱えるようにした。変な仕草だ。元々の彼の癖なのかもしれない。

 私はカクリとは長い付き合いだが、全部を知っているわけではない。それはカクリも同じだろう。彼も私の全て、来歴を詳細に知っているわけではない。

 それなのにお互いに命を預けあっている。強靭な信頼が成立しているのは、お互いの技能がそうさせるわけではない。お互いの精神性を、尊重できるからではないか。キャサが私たちを信頼したのも、結局、そんな気分に過ぎなかったかもしれない。

 私とカクリの関係も、都合の良さと、まさしく気分か。

「次の仕事について、何か聞いている?」

 こちらから話題を振ると、「まだだ」と簡潔な返事があり、視線がこちらを向く。

「どこかの誰かが新しい肉体を仕上げれば、すぐに仕事はあるだろうな」

「私のおかげであなたは休暇ってわけだ。せいぜい、のんびりしなさいね」

「この船の上では退屈するばかりだ。狭苦しいしな。毎日、海を見ているしかない」

「落ちないように気をつけなさいね。機械式義体の重量だと一瞬で沈むわよ」

 気をつけよう、とカクリは大真面目に頷いていて、私は笑いこらえたのだった。

 またね、と立ち上がりながら口にすると、また、とカクリは応じた。まるで学生が休み時間の終わりに交わす挨拶のようだ。ま、似たようなものか。どうせまた明日も明後日も、もっともっとない時間を、この限られた空間で私たちは閉じ込められて過ごすのだ。

 甲板から船内に戻ろうとする時、不意に人工的な音が聞こえ、背後を振り返ると水平線の上に何かが浮かんでいた。大きめの点にしか見えなかったそれは輸送ヘリで、まっすぐにこの輸送船めがけて飛んでくる。

 エージェントが仕事を終えて帰ってきたのだろう。

 そんなことを思っている間に、甲板にどこからか大勢の人が出てくる。船員もいれば、医者もいる。ただ事ではないが、行き交う人々に緊張はあっても混乱はない。群体としての統一感がある。

 私はそっと船内に戻った。

 扉が閉まると同時に、耳をつんざくほどだったヘリコプターのローターの立てる轟音は遠くなった。

 しかし扉一枚を隔てたそこに、現実はあるのだ。

 輸送船という楽園だけで、世界は、現実は完結しているわけではない。

 私を待っている場所があることが、思い出された。

 私の使命がまだあることを、私は思い出した。

 そのためにこうして、生きているのではないか。

 死を克服してまで。



(続く)

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