1-9 死地

        ◆


 カクリは走り続ける。キャサも付いてくる。私はカクリの背中に揺られている。

 揺れるたびに内臓がかき混ぜられるような痛みがひどい。

 死んだほうがマシ、という心地だ。

 周囲がいつの間にか明かりに照らされている。怒号が飛び交った次には、銃声が響き、私たちの周囲を銃弾がなぎ払い始めた。キャサがみっともない悲鳴をあげるのと対照的に、カクリは片手で端末を取り出し、何かを確認している。何かじゃない。ピックアップ地点の座標を再確認しているのだ。

 目立つ目印はない。どこまでも赤い砂礫に覆われた荒野だ。最悪なことに遮蔽物もなかった。

 それでも観測衛星、偵察衛星の力を借りれば指定していた場所はわかる。カクリがやや乱暴に私を地面に下ろし、拳銃を構えて背後に向けた。

「伏せてじっとしていろ」

 それは私に向けた言葉でもあり、追いかけてきたキャサに向けた言葉でもある。幸運なことに三人ともがしこたま銃撃を受けたにもかかわらず、この時点では無傷だった。

 カクリが拳銃で応射を始める。銃声がいやに大きく聞こえるのとリズムよくカクリの手元で光が瞬くのが、何か現実の光景ではないように見えた。

 今やゲリラ兵たちは私たち三人をおおよそ半円で囲み、自動小銃、拳銃さえも使って制圧射撃を加えていた。

 まずい、と思った次にはカクリの体は突き飛ばされるように転倒した。

 撃たれたらしい。カクリは倒れたまま動こうとしない。

 この展開にキャサが悲鳴をあげ、震えながら地面を這って逃げ出そうとした。這っているのは立ち上がれない、腰が抜けているかららしい。

 とにかく、かなり状況は悪い。

 私は倒れたまま、できるだけ頭を低くしていた。

 ゲリラ兵たちが何か大声で言い交わし、銃撃は止んだ。続くのは地面を踏む無数の足音だ。間合いを詰めて制圧する気か。私たちをこの場で殺すつもりだと思っていたが、何か、確認することがあるのだろうか。

 キャサがまだ悲鳴をあげている。が、「動くな」と現地の言葉で低い声がして、それに銃声が続くとキャサは動くのをやめた。喘鳴と歯が鳴る音が私にも聞こえてくる。

 みっともない奴。

 私のすぐそばに見知らぬゲリラ兵が立ち、蹴飛ばすようにしてうつ伏せになっていた私を仰向けにした。視線がぶつかり合う。

「検査したデータはどこにある」

 検査? データ?

 カクリがチェックした死者の軍団を構成する代替身体のことか?

 下手なことは言えない。しくじると次の瞬間には頭に銃弾をぶち込まれてもおかしくない。

「相棒が、持っている」

 私はそう言ってなんとか顎をしゃくって、比較的近くに倒れているカクリを示す。

「本当か?」

「本当」

 男はお約束の自動小銃を持っていたが、その銃口が持ち上がる。

 肝が冷えたが、私に銃口は向かなかった。

 ただ、別の最悪な展開がやってきた。

 銃声、焦げ臭い匂い、絶叫。

 キャサが撃たれた。

「もう一度、聞こう。正直に話せばあの男を治療する。嘘なら、全員が死ぬ」

 下手な揺さぶりだった。キャサが撃たれて私が狼狽する、取り乱すことを狙ったようだが、キャサの生死よりも私自身、そしてカクリの生死が極めて不安定な以上、キャサのことを真剣に考える余地はない。

 その冷静さが悪魔の使いのようなゲリラ兵にも伝わったようだ。無言の私をじっと見据えてから、まだ倒れているカクリの方へ離れていく。

 先ほど私にしたのと同じようにうつ伏せのカクリが仰向けにひっくり返される。

 事態は唐突だった。

 まるで死んでいるように動かなかったカクリが跳ね起き、男に組みついたかと思うと、一瞬の早業で首を捻って頚椎を粉砕すると、滑らかな動作で自動小銃を奪い取る。

 ゲリラ兵が何事かを叫んでいるうちにカクリは自動小銃で反撃を始めている。自然、ゲリラ兵たちの銃撃はカクリに集中した。

 体が小刻みに震えるが、カクリは射撃をやめない。服がズタズタになり、その下の防弾素材性の表皮も切り裂かれていく。表皮の下には軟性素材を使った防弾構造があるとしても、ライフル弾の猛烈な銃撃にいつまでも耐えらるわけがない。

 がくりと、カクリの膝が崩れかける。しかしすぐそばに倒れているゲリラ兵の死体から予備の弾薬を奪い、さらに銃撃を続ける。

 ゲリラ兵の一部が私に近づこうとしているのが見えたのは、偶然だった。

 クソッタレめ。

 脱出するときに受け取ったリボルバー式の拳銃を手に取り、仰向けからうつ伏せに転がると、なんとか射撃の体勢を作る

 こういう時こそ基礎が大事だ。両手で銃を保持し、教官が教えたままの基本的な射撃姿勢にした。

 これで敵に当たらなければ、教官から叱責と罰として長距離走を科されるのは確実だ。

 引き金を引く。思ったよりも重いのは、私の体に力が入っていないせいだろう。

 発砲。ゲリラ兵が悲鳴とともに倒れるが、死んではいない。胸の真ん中を狙ったはずが、肩に当たったようだ。

 結局、弾を撃ち尽くしたところで残念ながらゲリラ兵の数はたいして減らず、逆に怒りを煽っただけだった。懲罰確定だ。

 ピンピンしているゲリラ兵三人が揃ってこちらに銃口を向けたのが夜の闇の中で見えた時、さすがに私は終わりを覚悟した。

 何かが目の前に割り込んでくるまでは。

 何かではない。

 カクリだ。

 私の前で壁のように仁王立ちすると、自動小銃で正確な射撃を始めた。敵も黙っているわけではない。銃弾が彼の体を打ち据え、カクリは痙攣するように震えていた。

 もしここで感動的な言葉でも私が口にすることができたら、カクリはカクリでクールな返答をしたかもしれない。

 その余裕は結局、なかった。

 カクリの銃が弾切れになり、彼は私の方に向き直ると、抱きすくめるようにして動きを止めた。彼の体はボロボロで、よくわからない液体がそこらじゅうから流れていた。機械式義体も頑丈とはいえ限度というものはある。

 いきなりそのカクリの体から力が抜け、私の体にもたれるようにして倒れこんだ。

 そして次には、ゲリラ兵の銃弾が私の左腕を直撃し、細い腕は肘の上辺りからちぎれてどこかへすっ飛んで行ってしまった。

 もちろん私は衝撃で地面に投げ出され、激しい痛みに呼吸さえできなくなっていた。

 この分だとすぐに失血によるショック症状が来るだろう。いよいよ終わりということだ。

 いつの間にか銃声は止んでいた。

 私は霞む目で夜空を見ていた。

 いやに暗い。

 そこに不意に光が現れたような気がしたのは、錯覚だっただろうか。

 光のようなものは激しく滲み、輪郭を失って、幾重にも重なって見えた。

 呼吸が急に楽になったのは、どうしてだろう。

 息を吸ったような気がしたが、息は吸えなかった。

 もう何もかもを手放せる。

 そんな気がした次には、私の世界は闇に閉ざされた。



(続く)

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