1-7 死者の正体
◆
なんとか自力で立ってクラクラしながら、死体袋の一つを開けてみる。
声にならない声が漏れてしまった。
死体袋の中には死体があるが、ただの死体ではない。銃撃でぐちゃぐちゃになっている、というのでもない。
死体は、腐り始めていた。たった今も、どんどんと腐敗していく。
気温は高いし兵員輸送車の中は蒸し暑いが、そんなことは理由にならない。
「意図的に腐敗を早める人工酵素だな」
口元を覆いもせずにカクリが指摘する。彼は嗅覚を自在にコントロールできるだろうが、私にはそんな機能はない。口元を覆っているが、今にも嘔吐しそうだった。
「後は任せる」
それだけ伝えるとカクリが頷き、腰のポーチから測定装置を取り出し、死体のそばに屈み込んだ。ちょっとだけ距離をとってその様子を眺めながら、私には検査の結果はわかっていた。
他には秘密にしている兵士。
決してよそには知られたくない兵士。
カクリが次々と死体袋を暴き、検体を採取して測定装置に読み取らせていく。ますます腐臭はひどくなり、この世の地獄だ。新鮮な空気が吸いたい、肺の中の空気をそっくり入れ替えたい、そう心底から思った。
心遣いとも言えないが、カクリは検体をとった死体袋を閉じて行ったが、一度、見てしまったものは目に焼き付いているように消えない。
最後の死体袋を閉めたカクリが戻ってくる。手では測定装置を操作しており、身振りで私を外へ出した。兵員輸送車のハッチを閉められるだけ閉めておき、やっと少しはマシな空気が吸えると思ったらが、ゲリラ兵の生き残りがキャサを介抱しているのが見えた。どこかにあったらしい救急キットが視界に入る。あれが私にも是非とも欲しい。
そんな内心を察したわけでもないだろうが、カクリが痛み止めの注射器を持ってきてくれた。特に何を言うでもなく、カクリはさっさと私の二の腕にそれを注射して話を始めた。
「検体の測定結果は、あの死体が脳情報移植型代替身体であることを示している。数値の誤差を加味しても、間違いなく代替身体だ。脳の状況がどうだったのかはここでは調べようがないし、証拠隠滅用の人工的な分解酵素は脳を真っ先に破壊しただろう」
「案の定、というところだね」
少しずつ痛みが遠のいていくのにホッとしながら、私は何度か左腕を振ってみた。痛みの割に骨に異常はないらしい。
カクリが測定装置の記録を複製ながら、話を続けた。
「政府軍はどこかで代替身体を促成栽培しているんだろう。それに適当な脳情報を焼き付けて、即席の兵士にする。身体機能は本来の人間より高いし、脳情報が統一されていれば運用しやすいだろう。銃器の扱いや戦術などに関する知識、あるいは価値観や判断基準までを、形の上では共有できるはずだ。もっとも、個体差は如何ともしがたいのは間違いない。しかし問題、それも重大な問題がいくつかある」
「一つは代替身体に肉体を腐敗させるような人工酵素を組み込んでいることだけど、それよりも、脳情報をこの国の技術水準で精密に解析するのが不可能、ってことが重大か。機材をどこかの国が提供したのかも」
「だとしても、国際的には研究目的では黙認されても脳情報の複製は違法とされている」
「それを私に言うかな」
思わずそう反論すると、事実だ、とカクリは動じない。
「一部の国家で、脳情報が精密に解析され、それが複製されているのは事実だ。違法だが、研究といえば研究だ。その解釈で問題ないだろう」
「そうしておこうか。少なくとも、我らの国は兵士を量産したりはしない」
なんとか価値観を共有できたようだ。
「これでとりあえずは、最低限の仕事はできたかな。あとは、さっさと逃げ出すだけだ」
周囲を行き来するゲリラ兵を気にしつつカクリにそう言ったところで、狙いすましたようにゲリラ兵の一人がこちらへ近づいてきた。上背があるが痩せていて、長い髭は白が勝っている。
彼は私たちの前に来て、軽く頷いた。
「援護してくれたこと、感謝する。勇敢な行動が我々を破滅から救ってくれた」
「それなら」私はまだ寝かされているままのキャサの方を指差す。「車を運転した彼に感謝したほうがいい。私と相棒を危うく殺しかけたけど、そのおかげであなたたちが生きているらしいから」
そうだな、と彼は笑ったようだった。目元は少しも笑っていないが。何故だろう。
疑問を解消する間もなく、撤退について指示があり、私とカクリも一緒にこの地獄を離脱できそうだった。兵員輸送車をどうするのだろうと思っていたが、白い髭の男は「持って帰る価値はない。放っておけ」と部下に指示していた。
私としては放っておきたくはなかったが、兵員輸送車は損傷が激しくて走れそうもないし、ゲリラ兵の方には動かない大型車両を牽引する機能のある車両はなさそうだ。
私にできたことは、兵員輸送車の中に残されている死体袋を焼却したい、と願い出ることだった。最初は難色を示した男も、最後には折れて、私は少量のオイルを分けてもらい兵員輸送車に火を放った。
真っ黒い煙が吹き出し、天へ昇っていく。
ゲリラ兵に促され、私とカクリは乗り心地が最悪なトラックの荷台に乗り、現場を離れた。
黒い煙は強い風が吹いているのにまっすぐに伸びていて、長い間、視界に留まり続けた。
すぐに夜がやってきて、朝になろうかという頃、数台のトラックは安全なのだろう拠点に辿り着いた。
辿り着いたようだったが、私としてはそれどころではない。
腹部が激しく痛んで何度か少量の血を吐いた上に、発熱して猛烈な倦怠感が私を襲っていたからだ。動けないほどの重症で、医術の心得のあるゲリラ兵というのがよくわからない薬を飲ませてくれたが効果はなかった。
朦朧とした意識で、カクリが私を背負ってトラックを降りたのはわかったが、自分がどこにいるかはわからなかった。ものすごく遠くで人の声がするけれども、もう何を言っているかは聞き取れない。
眠りというには息苦しく、気絶というには間延びした、不自然な感覚がやってきて全てが闇に染まった。
このまま死ぬか、と思ったが、死を恐れているかといえば判然としない。
誰もが一度は死ぬ。
だが、死なないものもある。
私の一部は、死なないのだ。
(続く)
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