1-2 戦場案内人

       ◆


 荒野には強い風が吹き寄せ、砂つぶがフロントガラスを打ってあっという間に曇らせていく。

 もし生身で外に出るとすれば、ゴーグルをつけ、口元を覆っていなければ大変なことになるだろう。車内にいても私の額にはゴーグルがあり、首元にはゴワゴワした布地のスカーフがある。

 服装も報道関係者的ではなく、作業着のようなカーキ色の上下に変えている。それでも首からは証明カードが下がっているのはやや不自然かもしれない。腰にはリボルバー式拳銃があり、ここでは隠す必要はない。

「本当に来るのかねぇ」

 古すぎる四輪駆動のワゴン車の運転席で、ウォーリーを名乗る協力者がぼやいている。車は彼が手配してくれたし、運転も買って出てくれた。彼の本来の仕事は運送屋だがすでに本業の仕事はないも同然で、今の収入源は報道関係者のツアーを個人で企画運営する、ということになる。

 ワゴン車はちょっとした丘陵の上に停車しており、見える範囲にあるのは赤茶けた地面と、より取り見取りの同色の岩、それだけだ。

「こんなところじゃなくて、たった今もどんぱちをしているところがあるんだが、そこの方がいいじゃないかね」

 ちょっと訛りのある発音のエイグリス公用語でウォーリーが言う。若い頃に留学経験があるというが、戦場ツアーの役に立つとは当時の彼には想像できなかっただろう。

 私はフロントガラス越しの不鮮明な視野を頬杖をついて眺めながら答える。

「どんぱちはそれはそれで面白いけど、あまり面白くはないかな。ありふれていて」

「お嬢さんは変わっているな。平和な国の連中は銃がぶっ放されて、爆薬が炸裂して、人体が吹っ飛ぶところを見たいものじゃないのか? 映画が現実になると嬉しいんじゃないか? 他にも、狂信者どもの殺人フィルムを見て悲鳴をあげながら、実は興奮するもんだと思っていたがね」

「それは趣味の悪い人間か、イカれ野郎だよ。私は好きじゃない。ウォーリー、一つだけ言っておくけど、私はドキュメント作家でもないし、映画を撮りに来たわけじゃない。報道のために来たの」

「地獄の戦場に報道する価値がないとは言えんだろう」

「私以外の連中が寄ってたかって報道するでしょうね」

「報道のため、と言いながら、結局は手柄の為だ。違うかな、お嬢さん」

 私は、かもね、と答えておいた。適当に会話をしたとは言え、墓穴を掘った感は否めない。

 本来の仕事は、ルルスアン自由国で行なわれている内戦において使用されている兵器の実態調査だ。報道関係者という身分は偽物だし、そもそもパスポートなどの身分証も偽装だ。

「そろそろだ」

 後ろの座席でじっとして黙っていたカクリが不意に声を発する。訝しげにウォーリーが肩越しに振り返ってから、おもむろに車のワイパーを動かしてフロントガラスをきれいにした。しかし完全には行かず、円を描くように汚れが残る。

「何も見えないぜ」

 ウォーリーが鼻を鳴らし、シートに体重を預ける。しなったシートが危険な軋み方をする。

 私はまだ頬杖をついたまま、前方を眺めていた。

 風が車を叩くぱらぱらという音しか聞こえない。

 本国とやり取りをして、ルルスアン自由国の政府軍がこの辺りを通りかかると調べはついていた。定期的にここを通るわけではなく、いくつもあるルートのうちで最も確率が高いのが現在の地点だった。

 政府軍の行軍ルートは常に変化するが、部隊が行き来できる経路は限られるし、不規則に選択しているようにも見えるが、実際には癖がある。高性能の人工知能はその癖を読み取り、正確に先を読んでくるものだ。

 私はその人工知能の託宣を信じてここにいるわけで、おそらく当たるだろうと思っているが、外れたとしてもまた次がある。

 しばらく待ったが変化はなかった。ウォーリーが「タバコを吸っていいか?」と聞いてきたので、お好きに、と答える。彼はエイグリスでメジャーなタバコの箱を取り出すと、ライターで火をつけた。車内に煙と甘い匂いが漂う。

 引き上げよう、と私は言おうとした。

 その時、体が微かな振動を感じた。車が揺れている。違う、地面が揺れているのだ。

 タバコをくわえたまま、ウォーリーが双眼鏡を取り出して遠くを眺め始める。双眼鏡は特別なものではなかった。下手に高性能な双眼鏡を持っていると、街の出入りの検問で没収されてしまうのは間違いない。

 私は私で額からゴーグルを目元へ下げ、助手席から見える範囲をチェックしていた。

 振動は強くなってきた。すぐそばだ。

 それは不意に現れた。砂埃を割って出てきたのは車列だった。

「政府軍だ」

 私は呟きながら、私たちのワゴン車が停車している丘を回り込むように進んでいく、様々な車両の群れを観察した。

 先頭を行くのは無人戦車だった。他には自走砲も移動していくが、こちらもやはり無人の仕様。地対地ミサイルの発射装置が牽引されていくのも見えたが、こちらは人間が運転する車が牽引しているようだ。兵員輸送車は二台、確認できた。最後尾もやはり無人戦車。

「小規模な部隊だな。こいつはどうも、政府軍がどこかを叩くんじゃないか」

 ウォーリーが助手席の方へ身を乗り出し、双眼鏡で食い入るように隊列を見ている。息遣いも聞こえそうな至近距離からタバコの匂いが濃密に漂う。

「どこかを叩くって、部隊を配置している段階ってこと?」

「それ以外にない。この規模ならおそらく陽動のための部隊だろう」ウォーリーも熱くなってきたらしい。「別にもっと大きな部隊がいて、それが本命だ。小規模部隊が仕掛けて、反政府勢力が反撃するなり逃げるなりすれば、そこへ本隊が突入して大打撃、ということなんじゃないかな」

「陽動作戦として理想的といえば理想的ね」

 隊列は私たちに気づいていないように見えたが、隊列のそこここを走っていたオフロードバイクの二台が斜面を駆け上がってきた。乗っているのは戦闘服の男だが、戦闘服と言っても最先端のそれとは違う。ただの防弾ジャケットと体の各部を守るプレートだけのこと。

 男はバイクを乗り捨てると、肩から吊っていた短機関銃をこちらへ向けて、ルルスアン自由国の公用語で「両手を上げて出てこい!」と怒鳴った。ウォーリーが「言う通りにしろよ」と耳打ちしてすぐに車を出て行く。私とカクリも続く。

 兵士は胡散臭そうに私たちを見ると「身分証を見せろ」と短く言った。銃口は動かないが、都合がいいことにウォーリーに向けられている。政府軍からすれば私やカクリのようなあからさまな外国人が反政府勢力に関与する事態よりも、ウォーリーのような現地人が反政府勢力に与する方が現実的だからだろう。

 ウォーリーが身分証を見せ、次に私とカクリも証明カードを提示した。兵士は腰にあった小さな無線機でどこかと連絡を取り合う。現地の言葉の上に早口すぎて聞き取りづらいが、問題はないということを伝えているようだ。相手は上官だろう。

 やり取りはすぐに終わり、「失せろ」という低い声とともに短機関銃の銃口が振られる。私たちは車に戻り、さっさとウォーリーがエンジンを始動させる。ややグズったがエンジンは始動し、あっという間に丘陵を降りて行く。もちろん、隊列とは逆方向にだ。

「今回のツアーは追加料金を取るぜ、お嬢さん」

 不整地の地面に激しく上下に揺さぶられる中、ウォーリーが恨めしげに言う。

「下手に正規軍に目をつけられると、俺の仕事がなくなっちまう」

「追加料金なら払うわよ。おいくら?」

 そんなことを言い返しながら、私は頭の中でたった今、見たばかりの隊列について考えていた。

 無人兵器が多かった。それはルルスアン自由国が開発した兵器ではない。この荒野と地下資源しかない国で、あのような先端技術は夢のまた夢だ。とどのつまり、毎度おなじみのどこかが軍事支援している。

 しかし、無人兵器、か。この国に技術はないとしても、人はいるのだ。当然、それなりの訓練が必要だが、実際に手足を動かす訓練を施すのと無人兵器の運用の訓練をするのとは、同列には扱えない。

 いくら高性能の無人兵器があっても運用できなければ戦力にはならない。なら、ルルスアン自由国の政府軍には相応の技術者が加わっていることになる。桜花人民共和国にせよ、アルクス連邦にせよ、実に気前のいい話だ。

 この内戦は、宗教の宗派対立が大きな位置を占めるとされているが、それはルルスアン自由国としての観測で国際的には別種の意味ある。地下資源の利権争いだ。桜花人民共和国もアルクス連邦も、ルルスアン自由国の治安維持は建前で本当は地下資源が気になっている。

 それはエイグリス合衆国も同様で、彼らは彼らで反政府勢力へ裏から支援を行い、政府を転覆させたのちに、堂々とルルスアン自由国へ借りを返させようとしている。

 そういう代理戦争的な背景は、私にはどうでもいい。

 仕事は兵器、それも無人兵器に関する調査だ。

 運転席ではまだぐちぐちとウォーリーが文句を垂れ流していた。カクリが後部座席から二言三言、返事をしているようだった。

「ウォーリー、あなた、反政府勢力と接点はある?」

 無理矢理に割り込むとウォーリーが舌打ちして、鋭い視線をこちらへ向けてくる。

「俺を誰だと思っていやがる。このくそったれな国の戦場案内人だぞ。金さえ払ってくれれば、どこへでも連れて行くさ」

「じゃあ、反政府勢力の規模が大きめなところへ取り次いで欲しい」

「良いのか? 一度踏み込めばまともな世界に戻ってくるのは容易じゃないぜ」

 まったく、優しい奴じゃないか。

「どうとでもなるわよ。すぐに手配できる?」

「何日か、時間が欲しいな。しかしお嬢さんは運が良い。連中はお嬢さんを歓迎するだろう」

「あら、どうして?」

 ニヤッと笑いながら、ウォーリーがハンドルから離した手で親指を背後へ向ける。

「さっきの政府軍の情報をリークしてやれば、信用してもらえるだろう。なにせ、反政府勢力を名乗る連中は政府軍の動向に悩まされている。どちらがゲリラ戦を展開しているか、わからないような有り様でな」

「じゃ、急いで連絡してあげて。私はいつでも動けるから、連絡を待つ」

 オーケーだ、と言ったときにはウォーリーは片手で端末を取り出し、どこかに連絡を取り始めた。その間もハンドルを片手で操作し、ワゴン車は舗装などされていない、かろうじて道のように見えなくもない場所を走り続けている。

 私はといえば、これからどうするかを考えていた。

 今度は本当に戦場の様子を見ないといけない。政府軍の装備を少しは把握したが、それがどのような質で運用されているかは実戦の場でないとわからない。特に無人兵器の運用に関しては。

 戦場に出ることに躊躇いはない。何度も繰り返してきたことだ。

 ウォーリーが「神のご加護を」などと口にして通話を終え、こちらを横目に見る。

「正統解放戦線を名乗る連中とつなぎをつけてやった。今日はこのままラジャへ戻るが、明日にでも連中のスカウトマンがやってくるだろう。俺の方から売り込んでおいたから、お嬢さんとそっこの彼がヘタを打たなければ大歓迎のはずだ」

「ありがとう、助かった」

「しかしな……」

 ウォーリーが言い淀む。短い付き合いだが、初めて見せる態度だ。

「どうしたの?」

「本当に抜け出せなくなるかもしれないぜ。つまり、二度と戻れない、ってことだ」

 気にしないで、と私は応じておいた。

 覚悟はできている。

 それに、いつも最後には逃げることになるのだ。



(続く)

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