第一章 荒野からの逃亡

1-1 荒野の国

     ◆


 砂混じりの強い風にカーテンが激しく揺れる。

 私は窓辺から口の中が砂でジャリジャリするのを感じながら、眼下の通りを見ていた。

 男たちは頭に地味な布を巻き、女たちは黒一色の衣で目元以外を覆うのが、この国における原則だ。特に女たちは宗教の教義によって肌の露出を許されない。肌を晒しているものもいるが圧倒的に少なく、そんな格好のものはほぼ例外なく、海外から来たものたちだろう。

 私もまた、ラフな服装で、こうして強い日差しに肌を焼かれている。この街に来てすでに半月以上が過ぎて肌の色は綺麗に浅黒くなっている。

 国土の大半が荒野であるルルスアン自由国、その街の一つラジャのメインストリートが一望できるが、様々なものが見て取れる。

 行き交う人々の中に銃器が見える。治安維持部隊である軍警察だ。しかし物々しい自動小銃に怯えるものはほとんどいない。日常なのだから、異質ではないということか。

 他にも、埃まみれのピックアップトラックが交差点に停まっており、その荷台には分隊支援火器などと呼ばれる機銃が無理矢理に据え付けられていた。その荷台にいる男は退屈そうな顔で周囲をのんびりと眺めている。まったく緊張感がないせいか、すぐそばを人が平然と行き交うのは異国人からすれば肝が冷える。

「レイン」

 室内からの声に、私は視線をそちらへ向けた。

 後ろ手に扉を閉めながら、肩幅が広く上背のある金髪碧眼の男がこちらを見ている。服装こそ現地人に近いが、肌の色が白すぎるし、どこかから漂う違和感に注意を引くところがあった。

「準備はできたぞ。この国に紛れ込めるパスだ」

 私の相棒、カクリがこちらに小さなカードを差し出してくる。窓際を離れて受け取ると報道関係者の証明カードだった。しかし縁取りのラインは青ではなく赤だ。

 このカードはこの街、もっと言えばこの国での自由を保障する代物なので、容易には手に入らない。しかも縁取りが青いカードは政府公認の報道関係者を示し、赤い縁取りのカードは暫定的な許可を与えられた報道関係者である。

 ルルスアン自由国が報道の力を軽視する国ではない、ということを端的に示す仕組みだ。報道次第で自分たちが正義の番人にも、悪党にも変わるということを知っているものがいるのは、この国にとっては救いだろう。他国からのメディア戦略で内政を狂わされた国は数知れずある。

 カードの表裏を確認し、とりあえずは二ヶ月は有効であることを確かめ、移動の自由が認められているのも確かめた。まずまずかな。

「カクリの分もあるの?」

 ある、と相棒が頷く。

「お前と同じ立場だよ。つまりおおよそ自由ということだ」

「上出来ね。どれくらい支払ったの?」

「可愛らしい額だよ。この国は貧しすぎる。ちょっとした賄賂でなんでもできるさ」

「オーケー。ちょっと表を見てこよう」

 私は証明カードを首から下げ、部屋のテーブルの上に置かれているホルスターとリボルバー式の拳銃を手に取る。脇の下に拳銃を吊り、隠すためにケープを羽織った。ルルスアン自由国の名産である織物のケープだ。この部屋を借りる前にお土産にでもと思って買ったが、意外に実用性があると判断して使うことにした。

 部屋を出る私の背後で、ドアの戸締りをして追いついてきたカクリが声をかけてくる。

「これからどうするつもりだ、レイン」

「うーん、一応、軍警察の様子を見る。部屋から見たところでは、装備はさほど潤沢ではない。それが事前に聞いた話の内容とは違う。どうやらこの街は安全地帯で、私が知りたいこと、見たいものはないようね」

「市街戦が日常だったなら、ここまでこの街も発展するまい」

「それもそうね。目当ての戦場は、ここではない、か」

 階段を下りきり、一階で小さな雑貨屋を営んでいる家主に挨拶をして表へ出た。

 日差しが強い。地面の照り返しも相まって、汗が噴き出すようだ。

 通りを進む私の背後にカクリがピタリと付いてくる。声を潜めて、話は続行。

「武装勢力の力はこの街には浸透していないのは、何故だろうか」

「それはもちろん、取引の場を荒らすような考えなしじゃない、ということでしょう」

「では、どこかに窓口はあると?」

「反政府組織とか名乗ったとしても、連中だって食事はしないといけないし、服だって着なくちゃいけない。武器は絶対に必要だし、補給がなければ継戦は望めない。この街、ラジャは交通の要衝で人も流れ込めばものも流れ込むから、ここは不可侵な場所なんじゃないかな」

 理屈の上ではな、とカクリが苦り切った声で応じる。

 例の交差点に差し掛かり、間近にピックアップトラックを観察してみた。銃器は一応、手入れがされているようだし、荷台には弾帯が無造作に垂れ下がっていた。運転席を見ると、中年男性が新聞を読んでいた。いかにも退屈している様子だ。

 彼らがタバコの一本も吸わないのは、この国の根幹である宗教が喫煙を禁止しているからだ。もっとも公衆の面前で吸わないだけでタバコは存在する。教義とはある部分では厳密に、ある部分では自由に解釈されるものなのだ。

 大通りをさらに進み、終点までたどり着く。市街地が唐突に途切れたかと思うと、本来は形を持たなはずの境界線に物質を与えたかのように、高い金網がそそり立っていて扉も設けられている。ここにも軍警察の男たちがいるが、他とは緊張感が違う。

 昼間は常に検問が張られ、夜は閉鎖されて歩哨が常に見張ることになる場所だからだ。

 ラジャを囲む金網には扉が全部で八ヶ所あり、全てがここと似たようなものだ。自由国などと名乗りながら、首都のルスアも含めて軍警察の支配が及ぶ範囲は厳密に管理されている。

 今、検問を受けているのは小さなトラックだったが、荷台に男たちが乗り込んで仔細に調べている。これでは大道具を持ち込むことは不可能だろう。

 私はそれとなく検問の様子を見物し、さりげなく肩から下げていたカメラを持ち上げてレンズを向ける。適当にシャッターを切っていると、軍警察の一人が気付いて睨みつけてくる。身分証をかざすと、彼は身振りで「どこか行け」と伝えてくる。手を振って挨拶をしてからその場を離れる。

「この様子だと、武器の受け渡しは街の外ね」

 脇道に入りながら、私はカクリに言葉を向けつつ、カメラで撮った写真を確認する。

 軍警察はとりあえず装備を共通させているようだ。桜花人民共和国で製造されている自動小銃。元々はアルクス連邦で製造されていた自動小銃で、それを桜花人民共和国が複製、発展させた型である。

 他の装備は防弾ジャケットくらいだが、やはり桜花人民共和国の製品らしい。私の携帯端末とカメラが無線で接続され、情報を即座に検索してメーカーまで割り出している。

 カクリが肩越しに私の手元を覗き込んでいた。

「桜花人民共和国が正規軍を支援しているのか?」

「かもね。あるいはアルクス連邦も一枚噛んでいるかも。あの二国は同盟を結んでいるも同じだから。あ、ちょっと待ってて、水を買ってくる」

 私は会話を中断して、通りかかった小さなスタンドで、水の入った瓶を二本、買う。値段は驚くほど安いが、この国では直接に水道の水を飲むのは危険だった。現地民はともかく、旅行者が水道水を口にするとその旅行は悲惨なことになる。

 一本をカクリに投げて渡し、私は私で封を切って一口、二口と水を飲んだ。また汗が流れ始める。手首のあたりで額をぬぐい、先へ進みながら会話を続行。

「この街では情報収集しかできなさそうね。実際は現場へ行かないとダメ、か」

「身分は証明されたし、別の街の様子を見に行くという体で街を出られるはずだ」

「車両を調達しないとね。あとは非常食と水、ってところかな。下手に武装すると検問で没収されるだろうし」

「しかし、本当にこの国で内戦が起こっているのか?」

 おかしなことをカクリが言い始めたので、笑いそうになってしまった。

「暑さでボケてきたの?」

 振り返ると、むっとした顔でカクリはこちらを見ている。

「そんなエラーが起こるわけがない。俺は平常通りだ。この街を見たときの一般的な印象を口にしただけのことで、おかしくもあるまい」

「ま、一般的な印象という点では私も同意だけどね。それでも、この国どころか、この世界で争いが全く絶えた瞬間なんて、一秒でもあったと思う?」

「検証不可能だが、なさそうだな」

「そういうこと」

 私は瓶の中の水を飲み干して、そのために顔を上げたことで顔に降り注ぐ強い光に目を細めた。

 顔を下げると、カクリがまだ不機嫌そうな顔をしていた。

「そんな顔していないで、水でも飲んだら?」

「今は必要ない」

 あ、そう、とだけ答えておいて、また先へ歩き始める。

「とにかく、戦場をこの目で見てみましょう。仕事だからね、こんなところでブラブラしているだけじゃいられない」

 どこかの子どもが四人組で、大声で叫びながら私たちの横を駆け抜けていく。あまりにも大きいその声が通りに幾重にも反響して、頭の中にも振動が伝わってくるようだった。

 子どもは世界中のどこでもそんなものだ。大人とは生きる世界が違い、大人とは世界観が違う。まだ知るべくことを知らないで済む、猶予期間を生きているのが子どもだった。

 例えば、彼らは私とカクリが見なければいけないものを、見る必要はない。

 それがこの社会の善意のようにも思えるが、錯覚だろうか。

 答えをくれるものはいない。

 私はもう、子どもではないから、見なくてはいけない。

 見るべきものを。



(続く)

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