0-3 機能

       ◆


 民間軍事会社「ガーディアン・アンド・パニッシャー」は先進国たるエイグリス合衆国の首都、カシューシンの郊外に最大の拠点を持っている。

 生活に必要な全てが揃い、訓練に必要な全てが揃っている一大拠点だ。

 私も破滅的な作戦から解放され、この基地に落ち着いていた。報告書づくりや聴取の連続で、本当の意味での休息を与えられたのは一ヶ月も経ってからだった。

 パラダ王国は王族が第三王子を除いて処刑され、事実上、王制は廃止された。今は暫定政権として軍が実権を握っている。国内に王族にまだ期待を持っている人々もいるようだが、第三王子が今、エイグリス合衆国で羽を伸ばしていると知れば、虚しさに気づくだろう。

 まぁ、それら全ては私からすれば関係ない世界の話だ。

 与えられた休暇を、私はカシューシン基地にある寮の一室で浪費していた。

 イヤホンを耳に突っ込み、古典小説を朗読する音声を聞きながら手元では拳銃を分解、整備している。コーヒーを入れたものの、すでに湯気は少しも上がっていない。

 少年兵を撃ち殺した銃は何事もなかったかの如く、機能を維持している。銃は良心の呵責など感じない。後悔の念も抱かなければ、苦悩もしない。ただの装置だからだ。

 しかし私は違う。

 私は人間で、全てを感じ、全てを強制的に焼き付けられてしまう心を持っている。

 今まで、数え切れない数の人間を傷つけ、殺してきた。今更、考えるまでもないことだ。これが仕事であり、少なくとも私は正義のために戦ってきた。

 正義は勝ちや負けとは関係ない。自分が信じる対象、それが正義なのだ。勝利すれば良いし、敗北したとしても後悔はない。

 そう、正義とは、ある種の免罪符なのだ。免罪符なのだが、効力は疑わしい。信じていられるうちは効果があるが、疑い始めると途端に怪しくなる。

 その呼び出しがあったのは、リボルバー式の拳銃を組み立て終わり、動作確認をしている時だった。弾倉は空で、引き金を引くとシングルアクションなので自然と弾倉が回りつつ引き金が上がり、落ちる。かちん、かちん、と音が聞こえていた。

 それを消すように、耳元で呼び出し音がなり、私はテーブルの上の端末に人事課が通話をかけてきていることに眉をひそめた。拳銃をテーブルに置き、ソファにもたれかかりながら通話を受ける。

「はい、こちらアマミヤ・ナギです」

『人事課ですが、ヴァービス課長がお呼びです。事務棟に出頭できますか』

 事前の話もないとは、緊急なことだろうか。事務棟までは十五分もあれば出向ける。

「出頭できます。今、寮にいるんです」

『了解しました。では二十分後、事務棟の五階、第三会議室へお越しください』

 通話が切れ、私は拳銃をしまい、道具も片付けると真っ先に手を洗った。水の冷たい感触に、ぬるりとしたものが混ざる錯覚。温もりだけが手にまとわりつき、水に流されていかない。

 着替えて寮を出た。真夏の日差しが厳しい。キャップを被ってきたのは正解だった。基地を構成する様々な建物の間を抜けていく。広い通りは自動車が行き来できるほどで、その通りは縦横に走っている。車より徒歩の方が都合がいいのは、細い道があるからでショートカットするのにもってこいだ。

 私は幾つかの倉庫の裏を抜け、訓練施設の横を抜け、車両の整備場の裏手を通って、そうして事務棟の裏口にたどり着いた。

 中に入る時には身分証を提示した。アマミヤ・ナギ。階級は軍曹。屋外の気候とはかけ離れた適温の空気で満たされている通路を進む。行き交う背広を着ている男女は、みな忙しそうだ。私が知っている戦場とは別の戦場があるのだろう。

 階段で五階まで上がり、息を整えながら第三会議室の扉の前に立つ。空室のプレートが下がっている。時間は指定された通りだ。念のために扉をノックし、反応がないのを確認してから中に入った。

 明かりは最初からついていたから、ここで間違いはないのだろう。勝手に席の一つに腰を下ろすと、狙い澄ましたように事務員が入ってきて、私に会釈した。

「アマミヤ軍曹ですね。コーヒーになさいますか? それとも別のもの?」

「コーヒーでお願いします。アイス、ブラックで」

 お待ちくださいね、と事務員は部屋を出て行く。

 その背中を見送っていると、入れ違いに肩幅の広い男性が入ってきたので、私は即座に起立して敬礼した。男性もさっと指先でこめかみをなぞるような敬礼をしてくる。

「座ってくれ、アマミヤくん。休暇中に呼び出してすまないな」

「いえ、問題ありません」

 ヴァービス課長とは何度か話をしたことがある。普段は階級章をつけていないので勘違いしがちだが、元は現場の人間で、階級は中佐である。噂では負傷したために現場を離れたというが、この人物がどこに負傷したかを具体的に話す者はいない。足取りにも身振りにも違和感がないのだ。

 席に着いたヴァービス課長はすぐに話し出そうとしなかった。どうやら事務員がコーヒーを持ってくるのを待っていたらしく、二杯のコーヒーが用意され、事務員が去って行ってから話が始まった。

「アマミヤくん、君は倭国の出身だったね」

「ええ、そうです。それが何か?」

「履歴書では、十五歳で国を離れたことになっているが、倭国の言葉は喋れるかね、読み書きは?」

「忘れてはいないはずですが、完璧かどうかは疑問です。日常的に使っているわけではありませんから」

 オーケー、とヴァービス課長が頷く。

 私からすれば何も納得いかない。何の話が始まっているのだろう。

「課長、私には何が起こっているか、わからないのですが……」

「アマミヤくん、倭国から腕の立つ兵士を一人欲しい、という話があるんだ」

「腕の立つ兵士、ですか。教導隊か何かにですか? それとも実戦の現場ですか?」

 やっぱり私にはよくわからなかった。なのにヴァービス課長は何度も頷いている。

「教導隊じゃない。実戦に出るわけでもない。依頼主は倭国の国防省、兵器管理課だ」

「兵器管理課? 兵站の管理を行う部署ではないですか?」

「そう、兵站の管理が主な任務だ。しかし三つの分室がある。そこの一つで君が求められている」

 ピンとくるものはあった。

「なるほど、エージェント、非公式の工作員ということですね」

 その通りだ、とヴァービス課長が頷く。

 エージェントという表現が示すところは多岐に渡る。単に工作員と言い換えてもいいが、スパイ、諜報員のようなことも行う。場合によっては電脳世界における活動を行うものもエージェントと呼ばれることがある。

 私を雇おうとしているのは、工作員の元締めらしい。

「何故、私なのですか?」

 当然の疑問のつもりだったが、ヴァービス課長は首を左右に振った。

「それは極秘だ。しかし、受けると決まれば、知らされるだろう」

「事前の情報はなしで受けるか受けないかを決めろ、ということでしょうか」

「報酬は法外だ。それに見合った内容の任務になる」

 ありそうなことだ。一部の人間は金さえ用意すればどんなことでも実現できると考える傾向にある。人間の心、意志さえも金で好きなようにできると考えるのだ。

 馬鹿馬鹿しい。

 意味不明な仕事を受ける理由は少しもない。仮にそれが自分が生まれ、自分が捨てた国に関することでも。

「アマミヤくん、一つだけ、先に打ち明けてもいいと言われていることがある」

 断ろうとした私がその言葉を飲み込んだのは、ヴァービス課長が意外に強い口調で発言したからだ。

「実はね、きみの脳情報が欲しい、というのだ」

 言葉の意味を理解した時、私は無意識に口を開けていたのに気付き、慌てて表情を取り繕った。

「脳情報、ですか?」

「そうだ。倭国国防省は、脳情報移植型代替身体の研究開発の一環として、きみを求めている。国内にはいない戦闘のノウハウを持つ人材としてね。あの国は長いこと、実戦の場を持っていないから外部から招くしかない」

「しかし、何故、私なんですか?」

「それは言えない。今、言えることは一つだけ。きみの脳情報を先方は欲しがっている。それ以外には何も言えない。そういう契約だ。きみは断ることもできる。それで何かが生じるわけではない。今まで通りに生活もできる」

 ヴァービス課長がコーヒーの入ったグラスを手に取った。いつの間にかグラスは水滴にまみれていて、グラスの中にあったはずの氷はほとんど溶けていた。

 私は自分のグラスを見ながら考えていた。

 脳情報を提供して、それでどうなるか。それで終わりだろうか。

 終わりなわけがない。私の脳情報を元に、作り物の肉体に入った私が生まれることになるだろう。

 それは、その人間は「私」と呼べるのか。そもそも人間と呼べるのか。

 専門ではないが、違和感があり、嫌悪感のようなものもある。

 それにしても、何故、私なのか。一介の傭兵に過ぎない私に目をつけた理由がわからない。何を基準に選んだのだろう。兵士が欲しいのなら、私より優れた兵士は数え切れないほどいる。経験があるものもだ。倭国出身に限定しているのか。

 その上、脳情報が欲しいとは。

「アマミヤくん、すぐに決めろとは言わん。会社としてもきみに時間を与えるつもりだ。いつまでも考えていいとは言えないが、少しは余裕がある」

 ええ、としか答えられなかった。

 それからヴァービス課長は私にこれといって意味もなさそうな世間話をして、仕事があるから、ときっちりコーヒーを飲み干してから部屋を出て行った。

 私はといえば、口をつけてないコーヒーのグラスを眺めて、しばらく椅子に座っていた。

 もうグラスからは水滴すら乾いてなくなっている。

 何気なくグラスに触れてみると、ガラスの冷たく固い感触があり、その向こうに何か、妙な温度が感じられた。

 手を引っ込めながら、私はもう一度、考えてみた。

 自分と同じ人間がもう一人生まれること。作り物の体に入った私が生まれること。

 そのもう一人の私は、私とは違う未来を生きるのだろう。

 それはもう別人だ。私であって、私ではない存在。

 ため息をついて、今度こそグラスを手に取ることに成功して、コーヒーを一口、含んだ。

 妙な苦味が口の中に広がり、いつまでも残りそうだった。


       ◆


 私は倭国へ戻った。



(続く)

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