0-2 死者の呼び声

       ◆


 銃声の数は増えている。音の種類はほとんど一つで、つまり、非正規軍の民兵側が一方的に有利ということだろう。

 環境情報共有端末のおかげでルークの居場所はわかってきた。データリンクに混ざるノイズも薄れていた。

 ルークの他に、すぐそばにジェーダ・ツー、ジェーダ・スリーがいる。それ以外の同行者は不明。敵を牽制に出たというジェーダ・ファイブ、ジェーダ・セブンは距離があるが、位置把握している。

 私はそのジェーダ・ファイブとセブンと連携を取っていた。そろそろ配置につくだろう。

 こんな状況でも、誰も味方を見捨てようとは思わないのだ。

『こちら、ジェーダ・ファイブ、聞こえるか、ジェーダ・フォー』

 耳元に貼り付けた通信装置からかすかな音。しかし聞き逃すことはない。

「聞こえている。位置についた?」

『今、所定の座標に到着した。見晴らしはいい』

『こちらジェーダ・セブン。準備完了だ』

 通信が割り込んでくるが、これで問題はない。状況は整った。

「始めましょう。幸運を祈る」

 幸運を、と二人の声がする。

 私は手にしていた奪ったばかりの自動小銃を構え、すぐそばに替えのマガジンを並べる。

 ストックを肩に押し付け、呼吸を整える。

 やや傾斜のある不整地の下に、銃火の瞬きが見えている。スコープを覗き込めば、それが粗末な服と、服装と不釣り合いの豪勢な武装の男たちだとわかる。彼らは木の幹を遮蔽にしながらしきりに一箇所へ銃火を集中しているが、そのせいでこちらに気づいていない。

 最新の兵器も、使い方を知らなければ価値がない。

 私は息を止めて、引き金を引いた。

 銃声。しかし弾丸は外れる。初弾はそんなものだ。しかしこれで銃の癖はおおよそわかった。

 もう一度、引き金を引けば、スコープの中で男の一人が転倒した。

 次だ。

 また引き金を引き、一人を倒す。二人が倒れたことで、連中も自分たちが思わぬ方向から攻撃を受けていることに気づいたようだ。しかし遅い。すぐに私の銃撃で三人目、四人目が転倒している。

 もちろん、それだけではない。まったくの別方向からの攻撃でさらに数人が倒れている。斜面を利用しながら、乏しい火力ながら十字砲火が成立していた。

 しかし私たちの威勢がいいのは最初だけ。樹木が遮蔽物として役に立たないとしても、この森林地帯の不規則な地面に伏せられてしまえば、こちらの射線を逃れる場所には事欠かない。

 もし弾薬が無制限にあれば、ひたすら撃ちまくって連中の頭を押さえておくこともできただろうが、生憎、私の手元にはマガジンで四本分の弾しかない。フルオートも三点射もできず、単発で撃っていく。

 この間にルークたちが現場を離れることができればいいが、どうだろう。

『こちら、ルーク。どこの馬鹿か知らんが、よくやった』

 通信が入ってくる。

『もう少し足止めしておいてくれ。それで安全圏まで出られる』

『こちらジェーダ・ファイブ。ボーナスは弾んでもらえるんでしょうな』

『生きて帰ったらいくらでもせびればいい。無駄話はここまでだ。一人も死ぬな。以上』

 通信が切れる。

 私はひたすら敵を牽制し、ついに弾薬が底をついた。本隊を離れる時に自分の自動小銃を邪魔だからと置いていったが、こうなるとそれが悔やまれる。弾がないのでは仕方がない、銃を放り出して仲間に後退を伝える。

「こちら、ジェーダ・フォー。これより」

 そこまで言ったところで、背後に人の気配が立った。

 振り返りながら右手で消音器付きの拳銃、左手ではリボルバー式の拳銃を引き抜く。

 相手は、まだ子どもだった。しかし自動小銃を下げている。体が小さいので、自動小銃がいやに大きく見えた。

 私の指が引き金の上で、一〇〇分の一秒より短い時間、逡巡する。

 しかし引き金は引かれ、少年兵は二発の弾丸を受けて倒れ込んだ。

 本能的にこみ上げてくる吐き気を無視して、私は少年兵から銃を奪った。ついでにマガジンも持っている分だけ手に入れる。あまり時間はない。少年兵が一人きりでこんなところをうろついている理由がない。

 しかし、少年兵は私の背中を撃たなかった。何故か。

『こちらルーク、どうした、ジェーダ・フォー』

 通信が入ったことで、自分が呼びかけを途中で中断していたことに気づいた。

「なんでもない。こちらは撤収する。他に敵部隊が潜んでいる可能性がある、注意したほうがいい」

『了解、ジェーダ・フォー。合流地点で会おう』

「了解」視線が倒れている小さな影に釘付けになる。しかし何が言えるだろう。「通信終了」

 私は一人でその場を離れた。まだ銃撃戦は続いている。自動小銃のグリップにある不自然な温もりは錯覚だろうか。そこに温もりがあるはずだという思い込みか。

 斜面を駆け上がり、峰の上に出る。木々の向こう、空が見えた。少しずつ白んでいる。夜明けが近いのだ。それなのにこの戦場を脱出するめどはたっていない。

 斜面を駆け下りていく。砂利に足を取られそうになるのを堪える。周囲に注意を配るが、人の気配はない。私が通った場所だけは草が踏みつけられ、藪が破れているのですぐに発見できるだろう。つまり、夜が明けてしまえば見逃す方が難しい痕跡がそこにあるということだ。

 運がいいことに小川に出た。水深はほとんどないに等しい。思い切ってその小川の中を走っていく。環境情報共有端末が合流地点から離れているとしつこく伝えてくる。しかし小川を移動したことで、追跡は少しだけ難しくなるだろう。そう願いたい。

 途中で草むらに飛び込み、さらに先へ。

 そのうちに夜が明けた。合流地点はすぐそこだ。

 不意に側面で下草が音を立てたので、私は近くにある木の陰に飛び込んだ。動きを止め、息を詰める。

「ジェーダ・フォー。俺だ」

 そんな声がして、私は今度こそ脱力した。ゆっくりと立ち上がり、木の陰から身をさらす。

 こちらへ近づいてくるのは同僚のジェーダ・セブン、本名はブランドンという傭兵だった。

「意外に元気そうだな、ナギ」

 私の名前を呼ぶ彼に、そう見える? などと応じながら、念のために周囲を確認する。そんな様子に失笑しながら、みんなすぐそこにいる、とジェーダ・セブンが先に立って歩き始める。

 実際に、仲間たちはそこにいた。

 パラダ王国の第三王子と、その親衛隊の生き残りだった。そして民間軍事会社のメンバー。しかし指揮官のルークと、ジェーダ・ツー、ジェーダ・ファイブの姿しかない。私に気付くと第三王子側の連中はやや険悪な空気を見せる。私が別行動を選んで銃撃戦の現場を回避したとでも思っているのだろう。ルークたちはもちろん、歓迎の姿勢だ。

「助かったよ、ナギ。お前たちの援護がなければ少し困ったことになっていた」

「賭けでしたけどね。これはお土産です」

 敵の民兵から奪った携行食代わりの菓子の包みをルーク、本名をリドリーという男に放り投げておく。彼は片手でそれを受け取るとしげしげとパッケージを確認している。私も聞きたいことを聞くことにした。

「ジェーダ・スリーがいないようですが」

「奴は殿軍をやって、戻ってこない。生死不明だ」

 リドリーは菓子のパッケージを、まるで何かの仇のように引き裂きながら答えた。

「貴重な戦力を失ったな。仕方あるまい。あと少しで戦場ともおさらばだ」

 すぐそばにいたジェーダ・ツー、ハルという名の男が笑いまじりに「そのセリフ、前も聞きましたよ」とまぜっ返す。

 事実、つい三日前、私たちは民間軍事会社の手配でピックアップしてくれる輸送ヘリの降下地点へたどり着いていた。しかし民兵がどこからともなく湧いてきて、あっと言う間に降下地点は敵に制圧されてしまい、輸送ヘリに乗り込むことは諦めざるをえなかった。

 というわけで、私たちはこの三日、森の中を彷徨い歩いているのだった。

 ハルの冗談に菓子を咀嚼しているリドリーが眉間にしわを寄せ、今度は本当だ、と応じる。

「この先に平地がある。そこなら輸送ヘリも降りられる」

「嫌な予感がするんですが」ハルが幾分、真剣な顔と口調に変わった。「ただの平地じゃなさそうですね。まさか土木工事するわけですか?」

「察しがいいな、ジェーダ・ツー。その通りだ。大したことじゃない。少しばかり木を切り倒せばいいんだ」

 最悪ですね、とジェーダ・ツーが呟くが、私も同感だった。大仕事になりそうだった。

 ジェーダ・ファイブ、セブンもそばへやってきて、ひとしきりルークの計画に文句を言ってから、しかし他に方法もないので効率的な樹木の伐採の手順について議論し始めた。

 それも長いことではない。のんびりと休憩している時間はないのだ。

「諸君、先へ進もう」

 ルークは菓子の包みをポケットに雑に突っ込んで、立ち上がった。

 ジェーダ・スリーはまだ戻ってきていない。行方不明だが、つまりは戦死ということだ。

 私たちは武装の状態を確認した。私は少年兵から奪ってきた自動小銃を抱え直した。私が残した自前の自動小銃はすでに失われていたから。

 握るグリップに生暖かさはもうない。そこには武器らしい冷たさがあり、今は私の手の熱がそこに移っている。

 そのかすかな熱は、先の生暖かさとは違う。何故だろう。本能的な感慨に、答えなんて、あるわけがない。

 ただ、人の手と触れ合うことが自然なことなのに、あの少年兵の手との間に自動小銃を挟んだ途端、まるで人間の温度が相容れないもののような気になる。実に不思議なものだ。

 木々の生い茂る斜面を隊列を組んで下りながら、不意にジェーダ・スリーの声がした気がして、背後を振り返っていた。しかしもちろん、ジェーダ・スリーがいるわけもない。

 前に向き直っても何かが首筋を撫でてくる感覚がある。

 戦場に残された仲間が呼んでいるのだ。

 おいて行くなと。

 ここにいるぞと。

 その声の中に、私は子どもの声を聞いた気がして、総毛立つ思いがした。

 死者が常につきまとってくる。名前も知らない、声も聞いたこともない死者が、呼びかけてくる。

 その日のうちに、私たちは目的の平地に辿り着いた。確かに平地だ。そして比較的、生えている木も少ない。そう、比較的、だ。何気なく木の本数を数えようとしてしまい、慌てて自制した。数えたら気持ちが挫けそうだ。

 通信兵を兼ねるジェーダ・ツーが支援部隊と連絡を取り始めた時には、私たちはその平地に生えている木を切り倒す作業に取り掛かっていた。道具が絶対的に不足していたが、回避する術はない。

 本来的な使い方ではないがなけなしの爆薬を使い、本来の用途ではない刃物を駆使し、木立の中に数時間のうちには充分なスペースができていた。丸太をどかす最後の仕事も全員が力を合わせてやり遂げた。

 それにしても、非正規軍の兵隊がやってこなかったのは奇跡だった、

 全員が疲労のあまり言葉もなくなり、日が暮れかかった空を眺めている頃になって、遠くから低い音が聞こえ始めた。幻聴のように意識にのぼったそれはあっという間に本物の爆音に変わった。

 天を覆う深い青の宵の口の空に、真っ黒い影が出現している。

 輸送ヘリが降りてきたのは、天使の降臨を思わせた。

 真っ暗な天の下、漆黒に塗りつぶされた森林地帯の上を仲間たちを満載したヘリコプターは飛んでいく。

 何もかもを置き去りにして。

 仲間も、罪も。



(続く)

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