幕間録
記憶
「ラヴィ、その本どう?」
子供と、それを管理する職員しかいない、どこにでもあるような施設の一室、日が傾いた頃。 いつものように彼は長くてボサボサな髪を垂らして覗き込むように私に話しかけてくる。
「とっても面白いよ!特にこのダンジョン?って所のお話が好きだなぁ」
「だよねだよね!僕もそこ大好きなんだぁ」
「ね!ノイア、また何か面白いものない?」
私の言葉に彼はそのぼさぼさの茶髪の間から見える目を輝かせて
「ちょっと待ってね。今日はラヴィに見せたいとっておきがあるんだ」
そう言って掌サイズのペンダントを取り出した。
「なにそれ」
彼はそう尋ねる私を
「まあまあ、焦らない焦らない」
となだめる。
「……よし!」
準備ができた様子のノイアが何かを呟いた。
「ちょっとこのペンダント見ててね」
というノイアの指示に従い、ペンダントを見る。
そしてノイアがペンダントを開き――
――次の瞬間。ペンダントを中心として広がっていくように私が見ている世界が変わった。
気がつくとその場所で私は、風を裂くように大空を舞っていた。
ここはどこだろう。私は今、自分の部屋でノイアと話していたはずだ。
空気に触れる感覚はある。鼓膜が捉える揺れもいつもと変わらない。あっちに行こうという意識に従い、進むこともできた。だが何故か体を動かす感覚だけがあまり無い。どうしてなのだろう。
そんな疑問に答えを見出す前に、眼下に大穴が口を開けているのに気がついた。
無性に心惹かれ、地面に広がるその大穴へと飛び込んでゆく。
その穴の中には本の中で見た世界が広がっていた。
しばらく降下したところにまず広がっていたのは砂漠。
地面の下であるはずのそこにはどこからかこの場所を照らす光が大気によって青く染まり、あたかもそこに空があるようだった。
流砂が海流のように流れ、波は力強く、その音は全てを揺らす。
波を聞きながら飛ぶ、目を瞑ると心音のようで心地がいい。
不意に私の眼前に突き上がった巨大な岩山が空を貫いた。
いや違う。巨大な生き物が空高く飛び上がったのだ。
クジラのようなシルエットを持ち、灰色や土色の岩のような鱗を貼り付けた巨大生物。
ただひたすらに大きかった。体の大きさが何十メートルもあるというクジラなんか目じゃない、その何十倍も何百倍もある。
一つの山が形成され崩れるようなその姿に自然に対する畏怖を植え付けられた。
どォォォオ。
震える空気が衝撃波になって私を襲い、直後その発生源に空気と共に吸い込まれてゆく。
流れには抗えず、巨大生物を追うように。
そしてあの生物が飛び出した場所にできた大穴へと吸い込まれてゆく。――
気がつくと天を覆うほどの滝が私の視界を覆っていた。
その姿は海が起き上がったようで深い青とそこにかかる大きな橋のような七色が私に取り憑かんとするかのごとく美しかった。
ふと自分が崖の上に居るのだと気がついた。
滝までどれほどの距離があるのだろうか、眼前に障害物は一切無いのにもかかわらず音は聞こえずその姿は少し霞んでさえ見える。
それほどに離れていてなお見上げるほどの高さを誇っていた。
振り返り、見渡すと植物の大きさも尋常ではなかった。存在する植物は全て巨大であり、すぐ近くにあった大木の直径は十数メートルほど。
彼らからすれば私なんて人間から見た蟻ですら無いだろう。それほどに大きい。
「うっ」
気分が悪い。なぜだろう。近くの物が歪むような、少しずつ流れていくような感覚を覚えた。
平衡感覚も麻痺し、倒れそうになる体を大木へと預ける。
預けた体は少しずつ引っ張られていくように、倒れそうになった。
ここは一体何なのだろうか、空間全体に麻痺作用のある物質でも漂っているとでも言うのだろうか。
幸いというべきか意識が薄れていくようなことはなく、とにかく呼吸を落ち着かせようと額を壁のような樹皮に当て、気づく。
視覚から脳が受け取った情報は自分の体の異常を知らせる信号ではなかった。
この場所自体が本当に流れるように動き続けていたのだ。正確にはここの植物が全て成長し続けているだけ。
それでも彼らの大きすぎる体の成長は身の回りの植物ではほとんど見えないその記録の写真を並べたかのように見て取れた。
近づいて見てみるとよく見える。細胞が膨らんでは分裂を繰り返し、その動きは命の流れそのものであるかのように振る舞いだった。
視界の異常との戦いを終える。揺れを感じた。樹々を抜け、揺れの源を辿って行くと先程砂漠でみたものとはまた異なる巨大生物の親子らしきものが居た。
太い脚に長い首、体表を覆う宝石のような鱗。未知の巨大生物に見とれていると、彼らは立ち止まり体の大きな方が大木にムチのような動きで首を叩きつけ、へし折った。
轟音とともに大木が地面を叩く。
彼らは身を寄せ合うようにして倒れた木の葉を食べる。
その姿に若干の微笑ましさを感じながら目を瞑り、振り返った私の前にはまた別の景色が広がっていた。
振り返った私は気がつくとまた先程とは全く違う場所に立っていたのだ。
まず目に入ったのは温かな木漏れ日の光だった。
見渡すと一面に青々とした森が広がっていた。背丈は私達の2〜3倍ほどだろうか。
「ふぅー」
温かな光と木々の匂いを浴びた私は安心感に身を預け、深く息を吐く。
ぱきぱきめきめきがらがら
そんな私に落ち着く暇など無いと言うように木々が引き裂かれ、なぎ倒されるような音が近づいてくる。
日の光を纏う棘と甲殻が私に迫っていた――
その装甲が私の体を貫くことはなかったものの、木々が砕け散るほどの衝撃。そのごく一部であっても私の体を弾くのには十分だった。
息絶え絶えに自身が居た場所を見ると全長500メートルもあろうかという身の毛のよだつほど大きなムカデに似た生物が全てをなぎ倒しながら通っている。
そんな光景に息を飲む私をいきなりごうという地震のような大地の嘶きと共に影が覆った。
「何!?」
空を見る。そこには逆さの大地があった。
私は今、落ちているのだろうかと考えるもそういうわけでもなさそうだ。意味がわからない。
混乱する頭をなだめ必死に体をねじりながら周りを見渡す。すると今度は垂直に切り立った大地が現れる光景が目に写った。そこでようやく気がつく。
紙を折るように大地が動き、箱のようなものを形成しているのだと。
「嘘でしょ……」
大地の端が縫い合わされていき、光の侵入を拒んでゆく。そしてつながり、ただ真っ暗な空間へと変わった。
ぽつ ぽつ と光が灯る。
また先程とは違う場所にいるようだ。
「わぁ……」
幻想的な淡い光。
目をこらしてみるとその主はきのこや苔のように見える。
その光に照らされてこの場所の姿が露わになる。
洞窟。
ふわふわとした床面や壁面から輝く何かが露出していた。
足元をよく見ると菌類や苔類のようなものが床面と壁面を埋め尽くしているのだと気がつく。
そこから露出しているなにかはどうやら結晶のようである。
菌類も苔類も結晶も大きさは全て拳大から人の何十倍のものまで。
あるものは淡く冷たい光を、またあるものは淡く温かな放っていた。
天井には菌類や苔類が生えているようには見えなかったが、様々な結晶が淡い光を受け取り、夜空のような光景を作り出していた。
淡い光が舞う。さながら妖精のように。
その光がやってきた方向を辿って行くと入道雲ほど大きく桜のような何かがそびえ立っていた。
淡く明滅するそれは花びらを散らすように妖精のような光を放していく。
しばらく妖精のようなそれを見ていると私の横を高さ4メートルはあろうかという鳥のような生物が私の背丈ほどもある足で歩き、通り過ぎて行った。
とっさに身を隠す。
鼓動は早まり、一瞬息がうまくできなかった。
そんなに見とれてしまっていたのかな。
気がついた。あの生き物から音がしない。
傍にあった結晶を手の甲で叩くと音は鳴る。
先程の鳥のような生き物を探そうと覗き込むももうその姿はどこにもなかった。
かの生物に怯えながらも少しの間歩き回っていた私はふと妙に気になった結晶を覗き込んだ。
中は青く、氷のようで、顔を離そうとすると周りの景色がどこかへと吸い込まれていき――
自分が部屋で椅子に座っていることに気がつく。
圧巻のその景色、余韻、その光景は私の目に深く深く刻まれていた。
初めて見るもの、得も言われぬ興奮。言葉では言い表せないほどの感動。
「ラヴィ、すごかったでしょ!?」
余韻の中。ただ呆然としているとノイアが話しかけてきた。
凄かった。
言葉にできないくらい圧倒された。本の中でしか見れないと思っていた世界が広がっていたのだ。
感動の濁流に飲まれながらも言葉を振り絞る。
「っ本っ当に凄かった!」
そう言うと彼は目を細め、輝くような表情で口を開き溢れるような喜びを示す。
「いやぁ、よかったぁ~」
私は気になってやまなかったことを口にした。
「さっきのは何だったの?」
尋ねると彼は先程のペンダントを取り出した。
「今のはね、このペンダントで周りの光を操作したんだ。それ使ってダンジョンの幻覚を見せてたって感じ。ここをこうやってやると――」
裏側のゼンマイを差し替えながら教えてくれる。
冒険の疑似体験の他にもノイアが知っている不思議な生き物を見せてくれた。
何百メートルという体長を持つヘビのような巨大生物から肉眼では見えない大きさの四角い箱の様な生き物まで。
驚いた。
本の中に入ったような、まるで自分が旅をしているようなあの体験を作り出すことが出来る道具を作れるだなんて。
「ノイア、とっても楽しかった!ありがとう!」
「どういたしまして!」
感謝の言葉を伝えると彼は満面の笑みで応えてくれた。
ダンジョンに行こう〜この世で最も不思議な奴隷生活〜 どこかのたいちょー @hiiragihiiragi
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