五、恒和国の人は早口?
ドワイト商館長は暢気に笑っていたけど、先のことを考えると、私は頭が痛いわ。
関外町から出るための手形が発行されたら、
じれったさを抱えつつ自室に向かう廊下で、ふと足を止めた。
窓の外には鮮やかな緑が広がっていて、所々に色とりどりの花が咲いている。薬草園ね。この商館で扱う薬草の他にも、確か、商館の食堂で使う野菜も育てていると聞いてる。
薬を生成できる薬師は私の他にもいるけど、一応、薬草園の把握はしておいた方が良いわね。ちょっと寄っていこうかしら。
「あら、エミリー? と、先輩方?」
見知った姿を見つけ、さらに、彼女達と見慣れぬ武士が一緒にいることに気付いた。
薬師の二人は薬草の手入れをしているみたい。エミリーは、たぶん館内を散策していたのだろうけど、何だか困っているように見える。
急いで中庭に向かうと、困り顔のエイミーが私に気付いて顔をぱっと輝かせた。直後、涙を浮かべ、私に両手を伸ばすようにして駆けてきた。
「マグノリア様!」
「どうしたの、エミリー?」
「そ、それが……彼らが何を言っているのか、さっぱりでして」
「通訳の人は?」
「今、呼びに行っています。でも、それすら伝わらなくて」
どうやら、二人の薬師は恒和国の言葉が分からないらしい。見れば、二人の武士も困った顔をしている。
通訳を呼びに行っていることくらいなら、私でも伝えられるかもしれないわね。
一度深く呼吸をして、足を踏み出した。
「あの、すみません」
「おお! 言葉の話せるものがおったか! すまぬが──」
声をかけると、年上と思われる武士が大きく安堵した様子で私に向き直った。かと思えば、ペラペラと早口で何かを話し始めた。
ちょっと待って。恒和の人たちって早口なの? それとも、この人がやたら早口なのだろうか。
「ま、待って! 聞き取れないです!」
慌てて、武士の早口を止めようとして、私は無意識にエウロパ諸国の共通語を混ぜて返したようだ。
目の前で口をぽかんと開いたまま、彼は細い目を見開いて、横に立つ若い武士を振り返る。
「この
「高羽殿の話が早口すぎるようです」
ゆっくりと話す彼は、私をちらりと見た。どうやら私の言葉を理解してくれたみたい。
私よりもずいぶん若く見えるけど、そのいで立ちは間違いなく武士のものだろう。腰に、刀を差しているし。着物もずいぶん品質が良いし、年上の彼よりも家格か上なのかもしれないわね。
それにしても、二人ともとても艶やかな黒髪で、瞳も黒曜石のようだわ。恒和国の人って、本当に黒髪で黒い瞳なのね。
二人を見比べていると、年上の武士が首筋をしきりに擦った。
「ゆっくり話せば伝わるか?」
「あー……私が分かる言葉は、少しです」
「
「ありがとうございます。あー……困っているのは、何ですか?」
「ここに大層効く軟膏があると聞いて参った」
断片的に聞き取れたけど、どうやら、この武士は薬を求めているようね。それだったら、通訳を待たずに商館医がいる診療所まで案内した方が早いかもしれないわ。
「医者のいるところは──」
方角を指差して、場所が違うと説明しようとすると、武士は「ぷれんてす薬師を探している」と言った。
「その者の薬が大層効くと聞いてな。しかし、医者にそのような名の者はいないと言われたので、困っておった」
「あー……えっと、多分それ、私です」
もしかして、昨日の軟膏の話を聞いたのだろうか。
この商館にいる薬師でプレンティス家の者は、当然、私だけだ。似たような家名の者はいないはず。とすれば、
自分を指差して、ぎこちない笑みを口元に浮かべると、武士は目が飛び出るんじゃないかってくらいに見開いた。
「藤倉殿! 腕の良い薬師は女子だと聞いていたが、どう見てもこれは
「落ち着いてください、
早口でまくし立てる武士を、若い武士が宥めようとしてる。
それにしても、あまりの早口で、ほとんど聞き取れなかったわ。えっと、ふじ何とかって若い武士を呼んだことと、おなご──女の子って意味だったかしら──それと、騙す、騙される? そんな言葉を聞いた気がする。
あぁ、先輩からは、日常会話くらい大丈夫だろうって言われたのに、これでは全く話にならないわね。聞き取れないのは致命的だわ。
私が小さくため息をつくと、武士は口を閉ざしてこちらを振り返った。同時に、庭の植木に停まっていた小鳥がぴちちっと鳴いて飛び立った。
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