死者が会話する世界

根竹洋也

死者が会話する世界

 人の死は悲しいものです。なにしろ、もう二度とその人と話すことができなくなってしまうのですから。しかし、そうやって別れを乗り越え、人は前に進んでいくのでしょう。

 では、もし死んだ人といつまでも会話が出来たら、それは良いことなのでしょうか?


 私は旅人。幾多の、あったかもしれない世界を旅する者。そして私が旅をするのは、何らかの形で滅んでしまった並行世界だ。私は世界が終わる瞬間を研究している。滅ぶ直前の時空に転移して、滅ぶ理由や人々の様子を観察する旅人なのだ。


「もし死んだ人と会話が出来たら、あなたには話したい人がいますか?」


 旅の同行者であるガイドの女性が私に尋ねた。


「それはもう……誰だってそうじゃない?」

「そうですね。今回の世界の人たちもそうでした。今回は『死者が会話する世界』です」

「あれ? 『死者会話する世界』じゃないの?」

「それは、見てみればわかります」


 転移装置を出ると、そこは病室だった。私たちの姿はこの世界の人には見えず、声も聞こえない。病室のベッドの上には、青白い顔をした女性がたくさんの装置に繋がれて横たわり、その周りを一人の若い男性と、医師、看護師が取り囲んでいた。ベッドの傍らのディスプレイを見れば、女性の心臓の鼓動が弱まっていくのが私にもよくわかった。やがて、ピーという長い電子音が女性の死を告げ、医師は隣の男性に向かって、「ご臨終です」と言った。実に典型的な死別のシーンである。


「ああ! エミリー! 嫌だ、戻ってきてくれ! うう……」


 男性は床に膝をつき、泣き崩れた。


「かわいそうに。亡くなったのは彼の奥さんかい?」


 私がそう言うと、ガイドの女性は頷いた。


「はい。ですが、この世界では死は永遠の別れではないのです。一週間後のこの男性の自宅に行ってみましょう」


 私たちは転移装置で時空を移動し、男性の自宅にやってきた。男性はとても一週間前に妻を亡くしたとは思えないような朗らかな顔で、リビングに置いてある黒い箱に話しかけた。


「おはよう、エミリー。今日は天気がとてもいいよ」

『おはよう、あなた。天気がとてもいいのね。じゃあきっと、三丁目の公園の花が綺麗に見えるわね』

「ああ。君はあの公園が好きだからね」

『うふふ、あなたと出会ったのもあの公園よ。覚えている?』

「ああ、当たり前さ。懐かしいね」


 ニコニコと黒い箱と会話を続ける男性の姿を見て、私は尋ねた。


「これは……死者と会話しているの?」


「擬似的なものです。生前の会話記録からパターンを解析し、会話の癖や反応、感情による声色の変化などをコンピューターで再現しています。情報工学の発展レベルが一定以上なら当たり前に出来ることなので、そこまで珍しくはないのですが」

「ははあ、それで亡くなった奥さんの反応を再現しているのか」

「はい。脳から記憶のバックアップを取る技術と組み合わせることで、生前の記憶を持った、会話できる擬似人格が作られています。とあるIT企業が始めたサービスですが、この世界では宗教があまり力を持たなかったために倫理的なハードルが低く、あっという間に全世界に広がりました」


 男性は朝食を食べながら、黒い箱の中にいる妻の擬似人格との会話を続けていた。彼の妻が生きていた頃も、きっとこのような時間を過ごしていたのだろう。私は男性の顔を見ながら呟いた。


「そりゃ、悲しみは癒えるかも知れないけど、なんだか虚しいな」

「客観的に見れば、確かにそうかも知れません。ですが、人は失うのが怖いのです。二度とあの人と話せないという悲しみから目を背ける方法があれば、誰もが使いたいというのが本音でしょう」

「確かにね……でも、これでなぜ世界が滅びたの?」

「どうなっていくか、この男性を追って見ていきましょう」


 私たちは転移装置で時空を移動し、妻を亡くした男性を観察した。


「やあ、エミリー」

『おはよう、あなた。疲れているの? そんな時は三丁目の公園の花を見に行くといいわよ』

「実は公園の花壇は無くなったんだ。再開発であそこにはビルが立つんだってさ」

『あらそうなの? 残念ね』

「本当に残念だよ。思い出の公園なのに」

『ええ。あなたと出会ったのもあの公園だもの』

「ああ、懐かしい。本当に、懐かしいね」


 擬似人格と話す男性は、心なしか痩せたように見えた。


 別の日、男性は不機嫌な顔で帰宅した。


『おかえり、あなた。どうしたの? 何かあったの?』


 男性は、泣きそうな笑みを浮かべて答えた。


「はは……君に隠し事は出来ないな。実は職場の女性に、二人きりで食事に行こうなんて言われたんだ」

『まあ……』

「安心してくれ! ちゃんと断ったからね。僕には君がいるんだから」

『そうね。でも私は擬似人格だから……』


 男性は目を見開き、大きな声で言った。


「違う! 君は君だ!」

『ご、ごめんなさい』

「……いや、僕の方こそ大きな声を出して、ごめんよ。でも、もうあんなことは言わないと約束してくれ」

『わかったわ。あなた、機嫌が悪い時は、あの公園の花を見ると良いわよ。ほら、私たちが出会った公園よ』


 男性はその言葉に顔を歪め、引き攣った笑顔で答えた。


「ああ……そうだね。あの公園の花壇は、ずっとあるよ。美しいままさ。ずっとね」


 この世界の擬似人格は人工知能ではない。新たな情報をインプットし、学習して処理し、自らを更新するような機能は持っていなかった。

 ガイドの女性が言った。


「あくまで擬似人格はです。生前の、思い出なんです」

「技術の進歩で改善できなかったの?」

「学習機能を持った新型の擬似人格も作られましたが、人々はそれを拒否しました」


 私は首を傾げた。


「なぜだい?」

「皆、すぐに旧型に戻してしまうのです。『これは違う、あいつはこんなことは言わないはずだ』と言って。学習し、人と出会い、成長し、老いることで、人の好みや考え方は移り変わるものです。ですが、それを再現した擬似人格は受け入れられませんでした。思い出には、思い出のままでいて欲しかった、ということかも知れません」


 そう言うガイドの女性の声色は、どことなく寂しそうだった。


 妻を失った男性は徐々に外出しなくなった。彼の妻の擬似人格も、学習をしない旧型だったから、きっと妻の記憶からだんだんと離れていく現実を見るのが辛くなったのだろう。


「エミリー、今日も公園の花壇は綺麗だったよ」

『ええ。この時期だと、パンジーが綺麗ね』

「ああ、そうだね」

『ところで、あなた……最近お仕事に行ってないんじゃない?』


 すっかり頬のこけた男性は、その青白い顔でにっこりと笑った。


「良いんだ。本社に転勤しろって言われたから、辞めたんだ」

『あら? 栄転じゃないの。どうして?』

「はは……だって新しい場所に行ったら、君が知っている物や場所が無くなってしまうだろう?」

『そんな……』

「僕は、君と過ごしたこの場所に、ずっと、ずっと、いたいんだ。あの頃のまま……」

『あなた、そんなんじゃダメになってしまうわ……』


 男性は口を一生懸命笑顔の形にしようと努力しながら、目から涙をこぼし、言った。


「だって……! 君はここにいるじゃないか。なのに、君を置いてなんて行けないよ。僕が、君の知らない場所に行って、君の知らない人に会って、君の知らない僕になったら……君はもう、僕のことがわからなくなってしまうかも知れない。そんなの、君を二回失うようなものだ!」

『あなた……私は擬似人格なのよ。本物の私は……』

「違う、違う、違う! 君は君だ! うう……いやだ……認めたくない。だって、今もこうやって話しているじゃないか……まだ君は……いるじゃないか……! ずっと一緒だ。僕はいつまでもこのままでいたいんだ。ずっと……あああ!」

『あなた! どこに行くの?』


 男性はフラフラとした足取りでキッチンに向かうと、ナイフを手に取った。


「こうすれば、僕も同じになれる。ずっと一緒だ」


 男性は、自らの未来を自らの手で断ち切り、


「人々は過去に囚われてしまいました。あの男性のような出来事が世界中で起こったのです。過去の恋人、過去の親、過去の子供、過去の恩師……そんな人たちの擬似人格に囚われ、人々は前に進むことを辞めてしまったのです」


 言葉も無く立ち尽くす私に向かって、ガイドの女性は続けた。


「そして、いつしか人々は自ら進んで擬似人格になり始めました。コンピューターの中で大切な人の過去と、永遠に会話を続けたいと願ったのです。そうすれば自分も相手も、もう何も失わないで済むと、そう思ったのでしょう」


 やがて全世界の人間が過去に囚われ、新しい命も生まれなくなった。死後、自動で擬似人格が作成されるようになり、擬似人格の入ったコンピューターを自動でメンテナンスし、維持するシステムが作られた。


 人々は安心して自ら命を断ち、思い出へと旅立った。


 地球に敷き詰められたコンピューターが、静かにチカチカとLEDを点滅させている。その中では、全人類の過去が、いつまでも変わらぬ過去を語り合っている。

 こうして「死者が会話する世界」が生まれ、人類は滅びた。


 私達はその世界を去った。

 戻った私は鏡を見て白髪を見つけ、安堵した。

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