掌編小説・『和食』

夢美瑠瑠

(これは、今日の「和食の日」に因んでアメブロに投稿したものです)



 今時に珍しい、純文学プロパーの私小説作家である、古木寒巌こぼく・かんがん氏は、寒風の吹きすさぶ霜月の下旬に、いつものように細君と朝餉の食膳を囲んでいた。

 魚沼コシヒカリの銀シャリに、旬のサンマのぬた、納豆、ワカメと茄子の味噌汁、という献立だった。寒巌氏には、五臓六腑に沁みわたる程にうまい、”和食の精華”のような献立、と大げさな感慨を漏らすほどに美味しく感じる朝食だったのだった… 


 晴れていて、空はくっきりと透き通っている感じだった。寒巌氏は心中に、”蒼い澄み渡った朝、そういう表現が似合うな”、と文学者らしい感慨を抱いているのであった。

 そうして”多少陳腐かな?そうでもないかな?「青」と「蒼」と「みずいろ」のどれがいいかな?…みずいろだとシルヴィ・ヴァルタンみたいかな?…”などと、余人からするとくだらない、埒もない、噴飯物の?思念は延々と続くのだった…


 彼は若いころには、川端康成を彷彿させる「新興芸術派」の流れを汲んでいる作風とされていて、古典的な日本語の美を追求するポエティックな短編が身上だった。

 評論家などからは「マイナーポエット」とかいう誉め言葉か悪口かわからない呼び方をされたりもしたが、中年以降はシュールレアリズムな綺想に富んだ作風を身に付けて、それで「ベターセラー」をいくつか世に出して、その余波で老年の今でもさして不自由なく数寄な文学の道で口を糊していられている。まあ幸福な、私小説作家の晩年だった。


 「あなた、また銀杏の落ち葉がどっさり溜まっているから…暇なときに掃き出しておいてね」

 「自分でやればいいじゃないか」

 「腰が痛いのよ。お風呂掃除をしていて滑っちゃって、ぎっくりというほどじゃないけど」

 「気をつけろよ。もうじき喜寿だからな。悲寿になったら笑えないジョークだ」


 …細君は笑いもせずに箸を進めている。

 

 細君はこのシリーズに初登場だが、名前は恭子といって、実はなかなかの美人なのだ。

 色白で、顔立ちが整っていて、黄楊つげの櫛を挿している銀髪が美しい、上品な老女である。

 

 若いころには雑誌のモデルをしていて、請われてその雑誌のグラビアに自分でポエムのような添え書きをしたことがあって、そのポエムとグラビアの美貌の雰囲気があまりに素敵にマッチしていて、若き日の寒巌氏が「one eye love 」した。で、編「輯」者に紹介してもらって、「fall in love 」に陥って、二人は結ばれたのである。


 寒巌氏の見立てにたがわず、恭子は美貌でスタイルがいいのみならずに非常に聡明で、自分の役割や文学者の妻というものがいかにあるべきか等を、或いは読書で、或いは色々な人に真摯にアドヴァイスを請うたりして、広く深く勉強しようとする、そういう女だった。

 寒巌氏の書いたものには必ず目を通して、「ほんっと素人考えで悪いんだけど…」と前置きしつつ、その実誰よりも的確な批評を、過不足なくしてくれるのだった。

 一番に妻が褒めてくれた「眼の中の宙空」という中編が豈図らんや、谷崎賞を受賞して、彼の代表作になっていた。



 …で、その美貌な賢妻の内助の功で、その後の寒巌氏はまあ文学者としては順風満帆というか、大した挫折もせずに文名を高めつつ、他にもいろいろな文学賞を受賞したりもして、「イマドキには珍しい私小説作家」と、一般雑誌で特集を組んでもらったりもしたことがあったりしたのである。


 それもこれも、この行き届いた細君のおかげ…自分のような風采のあがらない、朴念仁で、頑固一徹で、昔気質の文学者がそのままシーラカンスか何かのように生き残っているだけの「生きた化石」のような男が、今まで曲がりなりにもいっぱしの文化人面して生きてこられたのは陰に日向に懸命に支えてくれたこの妻の労苦、血と涙と汗の賜物なのだ。恭子の「恭」という字、かたじけない、とかうやうやしい、とか訓読みするが、この字を見るたびに寒巌氏は何か言い知れない、この世ならぬ幸福感を覚えるような、彼にとっては細君はそういうかけがえのない存在だった。


 「もうすぐお正月だねえ。正月準備か…ぼちぼちお節料理も用意しないとね。」

 「今日はねえ、『和食の日』なんだって。和食と言えばお節料理だけど…お前はなにが好きだっけ?」

 「お節の中で?」

 「うん」

 「私はねえ…俗っぽいって嗤われるけど、昔から数の子が好きなのよ。コリコリしてて、ちょっと香ばしくてね。唯一お節の中で美味しいと思うわ」

 「数の子か…あれも縁起物で、子孫繁栄って意味だってね。われわれも天皇ご夫妻みたいに若いころはずいぶん子供が欲しくて様々に努力したけど、結局子宝には恵まれなかったなあ」

 「そうね…でもこういうご時世で、子供がいればいたで将来の心配をしなきゃならないでしょ?無責任に作って、その後に子供がどれだけ苦労するかなんてことは思案の他なのがどうせ世間一般の通弊だろうだけどね?」

 「まあな。おれの子供なんてのはどうせ社会不適応者になるだろうし」


 二人とも笑った。


 「もう、なんだかこの国も先行きが危ないんじゃないの?『平家物語』はまあ、滅びの美学、を描いた偉大な叙事詩だろうけど、明治の人とかにはそういうネガティヴな感じが不愉快だったかもしれない…普通の感覚の人にはだから「滅び」なんて邪魔っ気で厄介な雑音よね。「耳なし芳一」の耳が捥ぎ取られるっていうのはラフカディオハーンさんのなんかうっとおしさの表現じゃないかなんて思うのよ。過去の亡霊の声なんて聴きたくないっていう…」

 「うん、おれも坂本龍馬みたいに死ぬ時も前向きでいようとは思うよ」 

 「そう!もしかしたらあなただってノーベル文学賞なんて朗報があるかも…最近はおかしなニュースも多いし」

 「まさか」


 夫婦は笑い合い、そうしていつもの団欒の風景が平穏に展開していくのだった。

 

 これこそが、こうしたなんでもない日常こそが、人間の幸福なのであるだろう…



<了>


 

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掌編小説・『和食』 夢美瑠瑠 @joeyasushi

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