生贄姫の涙
もう何度、死の香りがベアトリスの横を通り過ぎただろうか。重度の火傷を負ったエリアーナの喉がヒューヒューと、か細い命の音を立てる。
「エリアーナ様、死なないでください……」
エリアーナの焦げた右半身に触れて、ベアトリスの涙が噴き出した。
ベアトリスの涙が、エリアーナの眼が「あったはず」の場所にぼたぼたと零れ落ちた。
「いつもの元気な声を聞かせてください。お願い、逝かないで、お願いします」
ベアトリスがエリアーナに縋りついて大量に涙をこぼす。エリアーナの残っている方のピンク眼は焦点が合わず虚ろだ。だが、エリアーナの左手がピクピク震えて何か伝えようと動いた。
「エリアーナ……様?」
震える左手が胸あたりを触ろうとしている。意志を持った手に導かれて、涙が止まらないベアトリスは左胸に触れた。栓の抜けて勢いが止まらない涙がぽたぽたとエリアーナの焦げた身体を濡らす。
「エリアーナ様?なんですか?何か、伝えることがあるのですか?」
涙がとめどなく流れてエリアーナの惨い火傷に染みる。ベアトリスが触れた左胸は固かった。
「ペンダント?」
エリアーナの左胸ポケットには、金のペンダントが入っていた。消えたペンダントと先ほどのエリアーナの言葉が繋がった。
『アイニャが死んだのな、うちのせいやねん』
あの日、エリアーナが金のペンダントを盗んだ現場をアイニャは見ていたのだろう。
(アイニャが死んだ原因をつくったのはエリアーナ様……)
ベアトリスは真実を知って、エリアーナの焦げた右胸に顔を埋めて泣いた。
「許しません!こんな酷いこと絶対に許しませんよ!反省してアイニャに謝り続けて、これからずっと償ってもらいます!」
ベアトリスの涙が滝のように流れ続けた。
「だから……お願いだから、死なないで」
エリアーナの焼き爛れた右胸に泣き縋っていると、黒いぷるんがエリアーナの顔に着地していた。
「ぷるん!」
ぷるんがエリアーナの綺麗に残っている顔の上で跳ねてベアトリスを呼ぶ。
ベアトリスが顔を上げると、ぷるんがぴょんぴょん跳ねるエリアーナの顔に違和感があった。
「エリアーナ様の眼が……治ってる?!」
右眼は焼け潰れていたはずだ。なのに、エリアーナの右眼にいつの間にか形が戻っている。何が起こったというのか。
ベアトリスはこの奇跡を見逃すわけにはいかない。エリアーナを治す手立てが、何かあるのだ。
「何かしら、何があったの?!」
エリアーナが倒れてからの場面を何度ふり返っても、ベアトリスはぼろぼろ情けなく泣いただけだった。
「泣いた、だけ?」
涙が、エリアーナの潰れた右眼に落ちたはずだ。
「涙で、治った?!」
ベアトリスが涙をこぼした場所を観察すると、エリアーナの右半身にところどころ再生した赤い肌が見える部分がある。涙がポタポタと落ちた後のように見えた。
「私の涙に傷を癒す力がある?!」
「ぷるん!」
ベアトリスの肩にぷるんが戻り、飛び跳ねる。光明を見つけたベアトリスはすぐに両腕をまくった。
「エリアーナ様!私が必ず、お守りいたしますわ!」
ベアトリスは両手で両目蓋をひん剝いて乾かし始める。目が乾き痛もうと全くかまわない。潰れてもかまわない。できる限りの涙を早く生成したかった。
ベアトリスは生まれて初めて、
積極的に泣く努力を開始した。
「ぷるん様手伝ってください!私の目を決して閉じさせないで!目がおかしくなってもいいから泣かせ続けてください!私の目蓋を貼り付けて!」
「ぷるん!」
ベアトリスは美しさをかなぐり捨てて、目蓋をひん剥き血走った瞳の不細工顔をさらけ出す。
「早く早く!涙が足りないわ!」
どうしても閉じようとする目蓋をぷるんの身体で固定して、充血した瞳で強制的に生成した涙をエリアーナの傷に落とした。
「エリアーナ?!」
カオス討伐の死闘を生き残ったサイラスが中庭に現れた。珍妙な顔のベアトリスの隣で、ぐったりしたエリアーナにサイラスが駆け寄る。
「……僕の医術ではどうにもできない」
サイラスの目がエリアーナの全身を奔り、すぐに存命が難しいと判断が下る。知識がある分、サイラスの判断は早い。サイラスが膝から崩れ落ちてエリアーナの焼け爛れた肌に触れた。
「サイラス様!まだあきらめないでください!」
ベアトリスは、サイラスを大声で叱咤する。
「エリアーナ様を救う方法がありますわ!」
ぷるんを目蓋に貼り付けて、充血するベアトリスの顔は愚の骨頂だ。充血まんまる瞳にぎょろっと睨まれてサイラスは珍しく面食らった。
「この状態で何ができると」
「涙ですわ!生贄姫の涙には治癒の力があるのです!寿命が延びるのかはよくわかりませんが、とにかく傷が癒えます!サイラス様、もっと私を泣かせてください!
さあ私を思う存分に痛めつけてください!」
ものすごくいかがわしい注文がついて、サイラスは呆気に取られた。固まるサイラスの肩にトンと傷んだ手が置かれる。
「ベアトリスを泣かせる役目は私に任せてくれ。泣かせていいのは私だけだ」
堂々とマントを靡かせて、妻を泣かせたい癖の魔王様がやってきた。適任が過ぎる。
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