王妃様vs命

ありがとう王妃様


魔王城の中庭に立ったベアトリスは、背後から石の壁に隠れて様子をうかがう魔国民たちをふり返る。



「地下に!全員、地下に避難しなさい!」



ベアトリスの命令を聞いた魔国民たちは即座に動き出した。



「ぷるぅ!」


「キエェエエエッ!」



カオスが激しい声を上げて火の玉を口に溜め始めた。ついにぷるんの身体が「真っ黒」に変化した。



「消滅してしまうわ!ぷるん様!私の元へ戻りなさい!」



ぷるんの身体が命令に反応して縮まる。ぷるんの体内から解放されたカオスの口が巨大な光と熱を孕んでいる。



「ぷーーー」



縮こまり、真っ黒になったぷるんは自ら弾け飛んでベアトリスの元へ空から降ってきた。カオスの口から無情にも発射された三連射の業火の玉を防ぐ壁はもう何もない。



「キャァア!」



衝撃波と熱が、中庭に一人立っていたベアトリスに猛烈に吹きつける。吹き飛ばされたベアトリスは石の壁に身体を打ちつけた。



「うぐッ!」



三連射火球の一つが魔王城の監視塔を薙ぎ払った。魔術陣から抜け出そうと、上へ上へともがくカオスも冷静ではない。


狙わぬままに放った火球は方向を逸れ、魔王城に当たったのは一発だけ。あとの二発は運よく空中で爆発した。



(一回目の賭けには、辛くも勝ちましたわね……)



カオスの下半身は魔術陣に沈んでいる。火球は上へ逸れると予想したベアトリスは魔国民を地下へ逃がした。地下への被害が少ないことに賭けたのだ。



(初手は私の読み勝ちですわ……ですが、次はどこに当たるか)



壁に身体を叩きつけられたベアトリスの額からは血が流れ、砂ぼこりの中で痛む身体をなんとか持ち上げて座り込んだ。



「ぷるん」



真っ黒になったぷるんが、座り込むベアトリスの肩で心配そうに体を揺らした。



「大丈夫ですわ。ぷるん様も魔国民のお一人です。消滅なんてさせませんわ」



黒くなったぷるんに、ベアトリスは目がチカチカしながらも優しく微笑んだ。ベアトリスは顔を伝う血をブラウスの袖で拭って、瓦礫と化した監視塔を見つめる。



「魔王城が破壊される前に、魔国民を外へ。でも、無秩序に逃げるのはダメ。できるだけ、被害が少ない方法は」



ベアトリスはふらふらしながらまた立ち上がる。最愛の魔王様を失った悲しみに暮れる贅沢な時間を、戦いは一瞬たりとも与えてくれなかった。



「なあ、あのぷるんぷるんで、俺たちを守ってたんだよな」


「あのぷるぷる強ぇよな!カッケー!」



中庭に面する魔王城内の影から、魔国民たちが覗いていた。ベアトリスの命令により塔が粉砕する前には命からがら逃げたものたちだ。



「でもあのぷるぷるを操ってたのは人間でしょ?」


「強い使い魔を操るのテイマーっつうんだよ。すげーの」


「じゃあ人間が一番強いじゃん」


「「「それな」」」



加護を操りカオスの攻撃を凌ぎ、国民を守るために指揮をとり、薄い体で血に濡れても最前線に立ち続ける。そんな姿を見て、誰が弱いなどと言えようか。



「でもどうして」


「私たちを守るのかしら?」


「ら?」



血を流すベアトリスは立っているのもやっとだ。人間がそこまでして魔国民を守る理由がわからなかった。



「そんなの!王妃様だからでしょ!」



首を傾げる魔国民の大人たちの間から、羊のツノを頭に生やし、人間の顔をした男の子がハツラツな声で言った。



「強い王妃様だから、僕らを守ってくれるんでしょ?」



子どもの純粋な言葉に、魔国民たちは心打たれる。大人たちはよろよろ立つベアトリスを見つめた。



「あの人間は私たちの誰よりも」


「勇敢にカオスと戦ってるわ」


「わ」



魔国民は強さに敬意を示す生き物だ。大人たちは顔を見合わせて頷いた。



「王妃様」


「え?」



誰を呼んでいるのか、ベアトリスは一瞬わからなかった。ふらつく視界で声の方に顔を向けると、隣に羊のツノを生やし人間の顔をした子どもが立っていた。



「痛い?大丈夫?」



一人で痛みに耐えるベアトリスの背に小さな手が添う。ベアトリスが振り向くと、不揃いな姿をした何人もの魔国民たちが心配そうに視線を送っている。



ドクロ族の夫婦に、羊のツノを持った家族、キツネ顔の男性、ドレスを纏ったイノシシ令嬢三人組。多種多様な取り揃えだ。



「え?何ですの?皆さん早く地下に逃げ……」



羊のツノを生やした男の子がベアトリスの腕をひっぱる。ベアトリスを座らせると、男の子の父親が額に布をあてた。



「王妃様、これサイラス様が怪我をしたときにくれるお薬です」


「ここは危ないですわ。急いで逃げないと」


「わかってます!でも、まず手当て!」



男の子の母親がベアトリスの額に薬を塗り込む。ベアトリスは魔国民に親切にされて呆然とした。



(そうでしたわ、もう彼らと私を隔てていた加護はないのですね)



生贄姫の加護として活躍したぷるんはすっかり黒い塊だ。ベアトリスは今、襲われたらひとたまりもない無防備さである。



だが、隔たりを失くしたベアトリスに魔国民は優しく触れた。母親が応急処置として包帯を巻くと、男の子は笑った。



「王妃様、いっぱい守ってくれてありがとう!」



男の子の声に続いて、後ろで見守っていた異形の魔国民たちがベアトリスに次々に声をかける。



「王妃様が俺らの中で一番強ぇよ」


「私たちは強い王妃様に従うの」



有象無象で誰一人として同じ容姿をしていない彼らはベアトリスを「王妃」と呼んだ。



「王妃様」


「守ってくれてありがとう」


「ありがと!」



かつて言い争ったイノシシ嬢三人組まで、礼を述べてくれた。



「皆さん……私を、王妃と呼んでくださるのですか」



魔国民は強さに敬意を示す。



彼らの知能は確かに低い。だが、カオスの無為な強さには共感せず、正しく奮う力のあり方を見極める。



ベアトリスは国民を守る強い意志と、守るための強い力を示した。たとえ相手が人間でも、彼らは凛とした強さに敬意を返すのだ。



(魔王様、魔国民たちはとても素直で優しいのですね)



しなやかに変わることを恐れない彼らを知って、ベアトリスはジンが魔国民を守りたい気持ちがわかった。どんなに嫌われても涙はでないのに、優しくされるとベアトリスは声が震えた。



「ありがとうございます、皆さん」


「どうして王妃様がありがとう?」


「ありがとうは僕らだよ?」


「「「それな」」」



羊のツノを持った男の子が首を傾げ、大人たちもそろって首をきょとんと傾げた。



「皆様、お可愛らしいですわ!」



ベアトリスは初めてアホ可愛いの概念を感じて微笑むと、もう逃げようもなく眼前に火球が迫っていた。



「ぁあ!逃げて!」



ベアトリスが馬鹿の一つ覚えのくせに!と腹の中で呪っても、



もう逃げられなかった。



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