宣戦布告の生贄姫


穴の開いた魔王城の城壁の横で、ベアトリスの一時的な命令が解けた。すると取り囲む大勢の魔国民たちは斧や剣を掲げて、怒りで顔を痙攣させた。



「何しやがった!どけ、人間!」


「どきませんわ」


「魔王様の命令はもう消えた。殺すぞ」


「加護の中で私に危害を加えることはできません」



ベアトリスが立ちふさがり続けると、一人の魔国民から斧が飛んでくる。だがベアトリスの前で弾かれた。ぷるんの体内では誰もベアトリスを傷つけることはできない。



「魔王様の敵を討て!!」


「魔王様に弔いを!」


「魔王様に安らぎを与えるんだ!」



ベアトリスを殺せないと悟った魔国民たちは、立ちふさがる彼女を素通りした。



「「「いくぞぉおお!!」」」


(一人がある意見を述べると、全員にすぐに伝播。それが最善かと考えるより、感情のみの同調力が高いのが知能の低い者たちの特徴ですわ)



魔族が調子に乗ったなら、言葉などもう通じない。だから、魔王だけが使える命令権がある。



「ぷるん様、身体を伝って私の声を魔王城内全員に伝えなさい」


「ぷるん!」



ぷるんの身体は加護として魔王城内の全員に密着している。ぷるんの身体を通して声を届けることは可能だ。ベアトリスは新たな発想でぷるんを使いこなし始める。



「私の話を聞きなさい」



命令権により再び全員の動きが止まり、その場に膝をつき首を垂れる。



「どうして動けないの」


「くぅ!!」



体の自由が利かない魔国民たちに、ベアトリスが堂々と、おごそかに約束を告げた。



「魔王様を喪った悲しみは私も同じですわ。ですが魔王様は弔いではなく、皆様の安全を望んでおられます。


あなた方がいくら私を嫌っていても、王妃はあなた方を守ります。約束いたしますわ」



興奮した魔国民に、やっとベアトリスの声が届いた。魔国民たちがベアトリスの約束を聞いて、しばし止まったその時。



魔王城の真ん前に、魔王城と同程度に巨大なカオスが飛来した。



大きな地響きが伝う。迫る明確な死を目前に硬直する魔国民たちは、奇妙に静まり返った。全員が脅威に凍りつく中、ベアトリスだけが叫んだ。



「ぷるん様!火球に備えなさい!」


「ぷるん!」



次の瞬間、カオスが火球を三連射で噴き出したが、ぷるんの身体が火球を辛くも溶かしきる。



(ぷるん様がいなければもう何百人焼き尽くされたか)



ベアトリスの足が血染めスカートの中で震えた。冷や汗が伝い、目に涙も溜まる。だが、ベアトリスは震える足で地面を踏みしめて命令を出し続ける。



「全員、魔王城の中へ避難しなさい!早く!魔王様も運んで!」



すっかり怖気づいて動けなかった魔国民たちが王妃の命令に意思を取り戻した。一斉に魔王城の中へ駆けていく。物言わぬジンを何人かの魔国民が城内へ運び込んだ。



カオスはぷるんをガシガシ噛んで、ぶ厚い加護の壁を無策にパワーのみで削る。無感情なカオスの瞳は不気味だ。無思想に奮う力は、純粋な悪である。



ベアトリスはたった一人で巨大なカオスを見上げた。



(この純然たる力の前に私はただちっぽけ。けれども、これだけは負けませんわ!)



ベアトリスは大きく息を吸い、背筋を伸ばして顎を引いた。



「よくお聞きなさい、このトカゲ!!」



足を肩幅に開き、腰に手を当て、カオスをビシッと指さす。



「私の方が断然可愛くて!ごめんあそばせ!」



ベアトリスは巨大な竜に向かって喧嘩の常套句をお見舞いした。立ち向かってくる奴にはどっちが可愛いか教えてやるのが、ベアトリスの戦闘スタイルだ。



「威勢のいい啖呵だ」



ベアトリスの宣戦布告が炸裂した後ろで声がした。血染めのスカートを翻し、手も真っ赤に染まったベアトリスが振り返る。



「サイラス様、よくご無事で。お帰りを待ち侘びておりましたわ」


「報告を」


「魔王様がお亡くなりに」


「……遅れたな」



頼れる師の帰還に、ベアトリスは思わず涙が零れそうだった。サイラスと共に帰ったエリアーナが、サイラスの肩に顔を埋めて呻いた。



「うぅ、魔王様うちのせいで。またうちのせいで」



泣きじゃくるエリアーナのうさ耳をサイラスが撫でる。



「「「ぎゃああ!!」」」



魔王城中庭の魔国民たちから、悲鳴が上がった。サイラスとエリアーナの帰還を喜ぶ間もなくカオスがまた三連射火球を繰り出したからだ。



カオスの攻撃は物理攻撃か、三連射火球のみ。馬鹿の一つ覚えである。しかし、究極の馬鹿は、惨いほど強い。



「エリアーナ、泣くのは後だ。仕事がある」



鼻水を垂らしたエリアーナは顔を上げた。サイラスがベアトリスを見つめる。



「カオスをもう一度封印するしかない」


「私も同意見ですわ。お二人が戻られたならば、私に考えがあります」



まっすぐに強いベアトリスの瞳に貫かれ、サイラスは策を授けようとした口を閉じた。



(ベアトリスは僕の一番新しい弟子だ。早いが、お前はもう巣立つ時だな)



弟子から手を離す瞬間を見誤らない。サイラスの賢者たるところだ。



「お前の考えを聞こう」


「エリアーナ様も、ご協力いただけますか?」



鼻水エリアーナはサイラスに背を撫でられて、頷いた。



「やったるわ。魔王様を殺した奴、うちが絶対封印したる」


「エリアーナ様がお味方になるなんて、頼もしい限りですわ」



ピンクのウサギ眼に激しい憎悪が芽吹く。力ある精鋭のみで魔王様の弔い合戦だ。ベアトリスは胸を張って、カオスを睨みつけた。




「ではこれより、人間と魔族の共同戦線と参りましょう。反撃ですわ!」


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