さよなら魔王様


魔王城から微かに目視できる場所で、最強の竜族カオスがついに着陸した。ジンがそれ以上カオスが魔王城に近づかないよう、その場に留めたのだ。



(あれがカオス……おそらく魔王城と同じくらい大きいですわ)



魔王城の中庭、石の上に立ったベアトリスはぎゅっと拳を握って息を飲んだ。



カオスは紅い竜だ。



魔王城と同じほど大きい体躯を持ち、身体中を紅い鱗が覆っている。醜く裂けた口からは巨大な牙が覗き、瞳孔が開いた金色の目が爛々と殺意に満ちていた。



(カオスは見えても、魔王様の姿を肉眼で確認するのは無理ですわ)



もっと戦いをよく見たい魔国民たちが、石の上に立ったベアトリスの下に押し寄せる。



「魔王様が勝つさ!」


「そうだそうだ!俺たちの魔王様が一番強い!」


「あんな古い竜に負けるはずないでしょ!」



魔王対最強の竜の殺し合いを楽しむ余裕さえある魔国民の楽観的な態度に、ベアトリスは目を丸くした。



(私は魔王様が勝てるのか怖くなってしまっているというのに)



魔国民が魔王に寄せる信頼は絶大だ。白くなるほど手を握り締めたベアトリスも、ジンの戦う方向を見つめた。遠目が効く魔国民の一人がポツリと呟く。



「あれ、ヤバくない?」


「ヤバ」


「何?」



カオスが牙を剥き口の中に大きな光が溜まる。遠目であっても、ベアトリスはその光の禍々しさに本能的にゾッとした。ベアトリスはとっさに叫ぶ。



「ぷるん様!魔王城を固く守りなさい!」

 


次の瞬間カオスの口から火の玉が三連射された。二つはその場で爆発四散したが、一つがまっすぐ魔王城に向かう。光の速さの出来事だ。



「ぷるーん!!」



魔王城に直撃するかと思われた火球はぷるんの身体にめり込み、魔王城に傷一つつけることなく溶けていった。



「ぷるん様、ありがとうございます」


「ぷるん!」



ベアトリスは胸に手を当てて安堵した。ぷるんのおかげで魔国民を守ることができた。



「死んだと思った」


「俺も」


「あれが加護?すげぇな」



さすがに加護の力を思い知った魔国民もパチパチ瞬きを増やして口々に言葉を零した。



「人間の加護だって魔王様が言ってたぜ」


「あの人間が私たちを守ったってこと?」



ベアトリスの操る加護の力を実感した魔国民たちは、お互いに顔を見合わせる。


あの凄まじい火の玉を蹴散らせるなんて、もしかしてあの人間は強いのではないか?という発想が生まれたのだ。



「あぁあ!魔王様が!!」


「ウソでしょう?!」



誰かの悲痛な声と共に、強烈な閃光がベアトリスの目をくらませた。大きな熱源と熱源が衝突したような轟音が耳を抉り、地面が震える。


暴風が吹き抜け、ぷるんの中に強烈な勢いで「何か」が飛び込んだ。魔王城の城壁に何かがぶつかる。



「ぷるん!」


(ぷるん様の加護を通り抜けた?!)



ベアトリスは周りにひしめく魔国民を押しのけて走り出した。ぷるんの身体を通り抜けることができるのは、ベアトリスが許可した数名だけだ。



ベアトリスが魔王城の入り口を抜けて、穴の開いた城壁にたどり着く。クレーターのように抉れた壁の前に、ジンが倒れていた。



「魔王様!」



ベアトリスはジンに駆け寄ってその体に触れる。手にべちょりと生温い感触がした。ベアトリスの両手の平が真っ赤に染まる。



「魔王様……?」



ベアトリスが震える赤い手でジンの身体を擦ると、血が溢れ出す。肩から腹部にかけてざっくりと深い切り傷で体が抉れている。



光の爆発が起きる寸前、ジンの致命傷を誰かの悲鳴が知らせていた。



仰向けに寝転ぶジンの周りに血だまりができ、地に膝をついたベアトリスのスカートが赤く染まる。



(アイニャと同じだわ)



あまりにもあっさりと、今まであった命が消える本当にあっけない瞬間。それが死だ。



ベアトリスは血を止めようと傷口を手の平で押さえるが、血の流れる速さに追いつかない。魔国にはこんな大怪我を治せる治癒術はない。



目を閉じたジンは一言も話さず、ピクリとも動かない。別れの言葉なんて言わせてくれない。それが容赦ない死なのだ。




「魔王様まで、逝ってしまうのですか」




ジンの傷口に縋りついて、ベアトリスは大粒の涙を流した。ボタボタ勢いよく流れ落ちる涙を堪えようがない。




「ベアトリスはまた、一人ですか」




おじい様を喪い、アイニャを喪い、今度はジンだ。



ベアトリスは一人で強がって生きてきた。だが、寄り添い愛し合う夫婦の心地よさを知ってしまえば、一人になるのは以前よりずっと恐ろしかった。



ぼろぼろ無限に落ちる涙がジンの深い傷口に落ちて、染み込んでは、繰り返し流れ落ちた。



(もう、一人になるくらいなら一緒に死んでしまいたいですわ……)



死による解放にベアトリスが落ちかけた時、背後に大勢の気配が現れた。



「魔王様が……死んだ?!」



ジンに縋りつき滝のように泣いていたベアトリスが、無防備な泣き顔を上げて振り返る。険しい顔をした魔国民がぞろぞろ集まっていた。



「ぜってぇ許さない」


「いくら強くても、野生型の横暴に私たちは屈しないわ」


「やるぞ」



多種多様な容姿の魔国民が物言わぬジンの周りに集まって、唇を噛んだ。魔国民が敬愛する魔王様の死を誰もが悼み、獰猛な怒りを孕む。ジンを慕う魔国民は一直線に復讐に踏み出した。



「魔王様の弔い合戦だぁああ!!!」


「「「うぉおおおお!!!」」」



一人が雄たけびを上げると、全員が腕を上げ賛同した。知能の低い魔国民は勝算もなく、ただ気持ちだけで突っ走る。魔王をも屠ったカオスと戦うなど、ただの自殺だ。



『私の国民たちを頼むよ。我が愛しの王妃』



奮起して自滅を目指す魔国民を前に、ベアトリスの頭が冷える。



(泣いている場合ではないですわ……)



おじい様は強く生きろと願い、ベアトリスは一人で強く生きてきた。アイニャは幸せにと願い、ベアトリスは前を向き魔王様と愛を結んだ。



魔王様は国民を守って欲しいと願った。



ぼろぼろ落ちる涙を振り切り、血に染まったスカートでベアトリスは立ち上がる。



(我が愛しの魔王様の願いを、叶えますわ)



魔国民の誰もがベアトリスを嫌っていても、この愚かで愛すべき国民たちを守り抜くと魔王様に誓った。



愛する人の願いを全力で叶える。そのためにどんな困難にも立ち向かう。何度でも立ち上がる。



(それが私の「可愛い」ですわ)



ベアトリスは、ぷるんの外へ出ようとする魔国民の前に両手を広げて立ちふさがった。血に染まったスカートが翻る。顎を引いて背筋を伸ばす。



指を一度パチンと鳴らし、ベアトリスは凛と声を響かせた。



「全員、止まりなさい」



怒りに狂った魔国民たちの動きが見事に止まり、一斉にその場に膝をついて、ベアトリスに頭を垂れる。魔王様から授かった命令権を発動したのだ。



「自殺は許しません。魔国の王妃の、命令ですわ」

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