生贄姫vsお留守番
お留守番です生贄姫
魔王城の中層、中庭に立ったジンが隣に立つベアトリスの腰に手を回して抱き寄せる。夕暮れが迫っていた。
「サイラスから報告が届いた。封印を解かれたのは竜族のカオスだ」
予想通りの結果に、ベアトリスは静かに頷いた。最悪の予想はきっちり当たってしまった。
野生型最強の竜族カオスは言葉を理解せず、戦闘本能にのみ従う脳筋の極みだ。
だがその力は異常なのでアホにはできない。思想のないただのパワーオブパワーは、世界を簡単に混沌に陥れる。
「エリアーナは無事だよ」
「ご無事で何よりですわ」
ジンの腰には見慣れない剣が備わっていた。竜剣という古来から竜を殺すためだけに創られた剣だ。
「魔王様が竜剣を持っているところを初めて見ましたわ」
「竜剣を知っているのかい?」
「サイラス様から王妃教育を授かっておりますので」
「では、この剣の弱点も?」
「お一人で使うのは不利だと……」
ベアトリスがジンの顔を見上げると、ジンは黙って地平線を見つめた。妻をさらに不安にする情報はもうこれ以上必要ない。
今にも地平線からカオスが出現するのを見越すジンに、ベアトリスは寄り添った。
「カオスはまっすぐここに来ますわね」
「そうなるように私が図らったからね」
「魔王様は本当に魔国民を大事にしていらっしゃいます」
「私の妻は勉強熱心で理解が早い所がとても可愛いよ」
ジンは説明しなくとも察するベアトリスに優しい視線を向け、またすぐに地平線を見つめた。ベアトリスも地平線を見つめる。
(竜族は魔族が大勢集まっている場所を狙う習性があります)
通常であれば超個人で暮らす魔国民は大きな街をつくることなく、バラバラに暮らしている。
(魔王様が意図的に魔国民を集めた魔王城が、現在最も民の密集率が高いですわ)
ジンが魔王城内に集めた大量の魔国民を目指して、カオスはまっすぐ魔王城にやってくる。
魔王のいるこの魔王城を一直線で狙ってもらえば、他に被害がでない。魔王城内の魔国民はカオスを呼び寄せる餌とも言えるのだ。
(魔王城さえ守りきれば、被害が一番小さく済む策ですわ……ですが、魔王様の全盛期はとっくに過ぎていて)
『今の老いたジンなら負け』
嫌な情報が何度も思い出され、ベアトリスは眉間に皺を寄せる。険しい表情のベアトリスに、ジンが優しく笑いかけた。
「そんな顔しないでくれ。私は当然、勝つつもりだよ。まあもう少し若ければと思わないこともないが」
魔王城内の魔国民が、二人の近すぎる距離を目撃して眉をひそめてヒソヒソ噂していた。ざわつく魔王城内の声をよそに、ジンはベアトリスの耳に囁く。
「帰ったらキスをしよう」
不意打ちなジンの囁きにベアトリスの耳がカッと熱くなった。
「ま、またキスしてもいいのですか?」
「カオスを退けた祝いなら、何もかも無礼講だろう?楽しみだ」
クスッと笑うジンは名残惜しくベアトリスの金色の波髪を撫でて、コウモリのような羽を大きく左右に広げた。
ベアトリスは夫の背中にしがみつきたい気持ちを押し留める。王妃としてふさわしい賢い妻であらねばならない。
「行って来るよ、私の可愛い妻」
「いってらっしゃいませ、私の無敵の魔王様」
ベアトリスは最大限美しい笑みを整えて夫を見送り別れを告げた。コウモリ羽を操って空に浮き上がるジンを魔国民が見上げる。ざわつく魔国民にジンが告げた。
「静まれ」
ジンの声に誰もがひれ伏し、片膝をついて頭を垂れる。結婚式の日に見た光景だった。これが魔王の命令権だ。
(魔王様の加護で私にも命令権が使えますわ。使う機会もあるかもしれませんわね)
ベアトリスは両手を胸の前で組み合わせてゴクリと息を飲んだ。
「カオスは私が倒す。皆は魔王城で王妃の加護を受けるように」
「人間の王妃なんかに?!」
弱い人間王妃ごときに従えというのかと反論をもった民が顔を上げるの許さず、ジンは誰にも口を開かせないように圧力をかけた。
「みんな、仲良くいい子で私の帰りを待ちなさい」
コウモリ羽で空に浮いたジンの向こう側、夕日の中に巨大な紅い竜が出現した。黒いマントをなびかせたジンは魔国民を背に守り、死地に赴く。
ジンの出陣を見送り、ベアトリスは中庭の端までゆっくりと歩いた。
「では私も、私の仕事をいたしましょう」
魔国民からの視線が突き刺さったまま、城壁の端に位置した石の上に立ち上がる。
「人間ごときに何ができるんだ」
そんな誹りがベアトリスの四方から聞こえてくる。だが、ベアトリスは平気だ。揶揄は慣れている。泣きたくもならない。
「ぷるん様!大きくなって魔王城全体を取り込みなさい!魔王城全体を加護の範囲に!」
「ぷるん!」
ベアトリスの命令を受けて、ぷるんがどんどん巨大化する。
「魔王様とサイラス様、エリアーナ様が帰還された際は無条件にお通しを」
「ぷるん!」
「それ以外の出入りは一切拒否ですわ!」
ベアトリスが条件をつけて命令すると、快諾したぷるんは魔王城と中に集まった魔国民を薄青いぷるぷるの体でどんどん取り込んでいく。
「うわああ!なんだこれ!」
「なんなの気持ち悪い!」
薄青いぷるんの身体に取り込まれることが加護対象になる条件だ。最初に生温い感覚があるだけで、百利あって一害なしの素晴らしい加護である。
「やめてよ!!」
「ぎゃああ!やややめろ死ぬ!」
有象無象の魔国民は半狂乱で加護を拒否して喚き散らし、魔王城内は悲鳴に満ちた。しばらく叫んだ魔国民は、手足を見て異常がないことを確認してベアトリスを睨みつける。
「私が皆様を、お守りいたしますわ!!」
城壁の端、石の上に立ったベアトリスは両手を腰に当ててニッコリ愛想よく笑う。
「エラソーに、何が守るだよ」
「弱っちくて何もできねぇくせに」
「俺は弱い人間王妃なんて絶対に認めない」
舌打ちを隠す知恵もないのがアホ魔族だ。だが、ジンの命令のおかげで、誰もベアトリスに襲い掛かってはこなかった。
(人間王妃と魔国民の隔たりは大きいですわ。こんなことで国の危機を乗り越えられるのかしら……)
優しい魔王様も、師であるサイラスも不在だ。誰の指示も仰げない。魔王城の防衛は嫌われ王妃に託された。
ベアトリスは不安を抱えながらも、ぐっと顎を引いて背筋を伸ばし、前を向く。
(しっかりしなさい、ベアトリス。戦いはもう始まってしまったのです。逆境で前を向いてこそ、可愛いですわ!)
ベアトリスはどんな時でも可愛いを貫く。
(私は魔王様が望んだ王妃としての役目を全ういたします!)
それが、ベアトリスの魔王様への愛だ。すべからく人間王妃のお留守番戦線が幕を開けた。
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