愛に弱い生贄姫


ジンは姫抱っこしたベアトリスを、魔王執務室に連れ帰った。



「ま、魔王様、どうしてこんなところに?!」


「言っただろう?君を泣かすんだよ」



ジンは魔王専用の大仰な執務椅子に、アイニャを抱いたベアトリスを着地させた。



ベアトリスのスカートは血まみれ、手も血まみれ、顔も血がついている。


魔王は血の化粧を好む。美しさを際立たせる血をふき取ってあげようという発想がない。



「私は絶対に泣きませんわ」



どこもかしこも血濡れのベアトリスが強気に発言するのは、ジンにとって異常なほど魅惑的だった。



「人間国に帰るわけにはいきません」



ジンは名残惜しくベアトリスを視界から追い出し、執務室の奥へと向かい「小瓶」を持って現れた。



「これが何かわかるかい?」



ベアトリスは答えた。見たことはないが、生贄姫に関係のある小瓶と言えばそれしかない。



「涙の小瓶、でしょうか?」


「そう、これが君の涙を溜めるための小瓶だよ。君が泣けない理由はこれだね」



涙の小瓶いっぱいに泣けば、生贄姫の役目は終了。人間国に強制送還だ。



ベアトリスが返事の代わりに唾を飲み込むと、ジンは即座に涙の小瓶を床に叩きつけた。



「え」



ガラスが割れる盛大な音が響いて、涙の小瓶は粉砕してしまった。




「さあ、これで涙の小瓶はなくなった」




ジンがニヤリと笑い、ベアトリスに近づく。ベアトリスは何が起こったのかわからない。



「どういうことですか、魔王様」




大仰な執務椅子に座るベアトリスを軽々抱き上げて、ジンが執務椅子に座る。




「君の涙を溜めるものはない。


君が泣いてはいけない理由は私が消した」




膝の上にベアトリスを横抱きに座らせると、ジンは大満足に笑った。





「だから、もう……泣いてもいい」





泣いてもいいの一言に、ベアトリスの鼻の奥がキンと痛む。


ベアトリスの瞳が潤み始めてしまう。ベアトリスは震える喉で小さく声を紡いだ。




「そんなことされたら、泣いても人間国に帰らなくて良いと解釈してしまいますわ」


「そう思ってくれ。君をチビデブハゲ糞エロ変態伯爵にやりたくなくなった」




ジンは膝の上に乗せたベアトリスの腰を抱き寄せる。使い魔の血がついた薄い肌の頬に冷たい魔王の頬を重ねてみた。




「永遠に、私の隣にいなさい」




吸いつくベアトリスの生肌があまりにもあたたかく甘美で、ジンのみぞおちのゾクゾクが高まる。彼女に触れると喉の渇きが薄れた。



「君の涙を、私だけに見せてくれないか」



ベアトリスは頬に寄せられるジンの冷たい肌に許される。ベアトリスにはその甘い行為が、アイニャからの慰めに重なる。



アイニャはいつもベアトリスの頬に頬を優しく寄せてくれた。



ベアトリスは思いがけないジンの優しさに触れて、今にも零れ落ちそうな涙を瞳いっぱいに溜めた。



そんな限界の瞳で、ジンの欲に染まった真っ赤な瞳を貫く。ついに涙の瞬間が訪れると、ジンの胸が期待に跳ね踊った。




「魔王様、私は仮初の妻です。


なのに、どうして私にそんなに優しくしてくださるのですか?」




だがベアトリスの涙が落ちる前に、ジンの口からは脳を介さない純粋な想いが零れた。




「君を愛してしまった」




見開かれたベアトリスの瞳から、


ついに一粒、


涙が零れ落ちた。



どんな苦境をも跳ね返すベアトリスは、


愛にだけは弱かった。



ゆっくりと時を遅らせて、ジンの瞳はその一粒の涙を網膜に濃く焼き付けた。焦がれた涙をついに手に入れて、ジンの心臓がドクリと熱く脈打つ。



息が止まるほどに、ベアトリスの涙は美しかった。



「優しくされると、泣いてしまいます……ッ」



一粒流れたベアトリスの涙は堰を切って流れ出した。


次から次へと宝石のように落ちていく。



(なんてもったいない)



衝動に突き動かされ、ジンはベアトリスの頬を流れ落ちる涙を丁寧に残さず舐めとった。



命が伸びるほどに甘く美味な涙は底を知らず、その涙を含むほどジンの渇きは薄れ、胸にあたたかなものが満ちた。



「ッ……ぅう」



泣いても許される安全な場所を得たベアトリスは、アイニャを想って存分に泣き始めた。おじい様が死んでから、アイニャを拾って育ててきた。



おじい様の遺した愛と、アイニャの愛があれば、ベアトリスは誰から何を言われても平気だった。



アイニャが傍にいてくれたおかげで、ここまで強く生きてこれた。



「アイニャ……アイニャ」



すっかり冷たくなったアイニャを抱きしめたベアトリスは、ジンの膝の上でぼろぼろ泣いた。



ジンは泣きじゃくるベアトリスを優しく抱き寄せては涙を舐めとった。ジンの尖った耳が涙を舐めとるたびにピクピクと恋慕を示す。




幼い妻は、なんて美味しくて、


かくも可愛そうで、


酷く可愛い。






魔王執務椅子に座ったジンの膝の上に、泣き疲れたベアトリスがすやすやと眠っている。



冷たい亡骸を大事に抱きしめて眠る、血濡れのベアトリスをジンが抱き寄せた。


ジンのみぞおちには、誤魔化すことのできない慈しみと愛しさが宿っていた。



「血濡れの泣き顔、たまらなく可愛い」



ジンは幼くか弱いベアトリスを抱きしめる度に腹に生まれるゾクゾクに



「愛」と名前を与えることにした。



そんな名前のものが魔王に宿るなんて、ジンにも信じられなかった。しかも相手はまだ生まれて間もない人間だ。



だが、この感情に、他に名前が見当たらなかった。



魔王は稀有にも、種族を越えて人間を愛してしまったのだ。



「生贄姫ベアトリス……我が王妃となってもらうよ」




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