渇望する魔王様
「どうかアイニャを助けてください!」
痛ましいアイニャを抱いたベアトリスの懇願を受けて、ジンの尖った耳が動く。
ベアトリスのスカートの中で動かないアイニャに、ジンは細くて冷たい指先で触れた。
「命は生き返らないよ、ベアトリス」
「そんな、魔族の魔術で助けてくれませんか?
封印ができたり、遠くの声が聞けたり、魔狼を一瞬で消せる魔族なら、
治癒の力くらいあるでしょう?!」
語気の強くなるベアトリスはジンの胸倉を細腕でつかんで揺さぶった。
ジンはベアトリスの手を払いのけることもせずに淡々と述べる。
「魔族に治癒の力はない。魔族にもできないことがある」
「そんな」
「だから魔王ですら、生贄姫の涙を求めるんだ」
「……ッ」
ベアトリスは脱力してジンの胸倉から手を離す。頭の片隅では理解していた。魔族には治癒の魔術がない。人間と同じ医術の範囲の治療があるだけだ。
だから、魔王の寿命を伸ばす生贄姫条約なんてものが生まれた。
アイニャを救う術はない。
「アイニャ、アイニャお願い、お願い死なないで」
ベアトリスは小さな声で無謀な願いを口にした。
アイニャのなくなった片足の根元を手の平で懸命に押さえる。だがベアトリスの手が赤く染まるだけで、血が止まることがなかった。
もう全身の血が流れ出てしまったかもしれないほどの量だった。
アイニャは微塵も動かない。
もうとっくに息なんてしていない。
あの愛しい「ニャ」の声が響くことが二度とないと、ベアトリスは痛感する。
「アイニャ、置いて行かないで。一人にしないでアイニャ」
アイニャの亡骸を抱きしめて、ベアトリスは涙が零れ落ちそうになるのを何度も飲み込む。
目を強く瞑って溢れないように我慢する。今ならすぐに涙の小瓶いっぱいに泣いてしまう。
だが、ベアトリスは絶対に泣いてはいけない。
涙の小瓶がいっぱいになってしまったら、人間国で地獄が待っている。
アイニャはベアトリスが地獄に行くことを望まない。アイニャと深く愛し合っていたからこそ、わかる。
アイニャはいつもベアトリスを助けてくれた。
アイニャはベアトリスの幸せを願っている。
生贄姫の涙を手に入れたジンは、ベアトリスを人間国に送り返してしまうだろう。
だから最愛の友だちを失っても、
どんなに悲しくとも、
アイニャのためにこそ
ベアトリスは、絶対に泣けないのだ。
月のない暗い夜。ベアトリスは地面に座り込んで長い間じっと動かなかった。ベアトリスの隣に、ジンは胡坐をかいて座っていた。
命が失われた感慨はない真っ赤な瞳で、ジンはベアトリスの涙を期待して待っている。
(泣くのだろうか?)
ベアトリスは何度も大きく息を吸っては吐いてを繰り返して、涙を我慢していた。
震える体、荒い息遣い、血がにじむほどに噛みしめている薄い唇。
血がついた頬に真っ赤に染まった手さえも、どれもがジンの目を奪う。
(泣いて欲しい。早く、ベアトリスの涙が見てみたい)
ジンはその一心だった。
美しく愛らしく強くあるベアトリスの、か弱い涙はさぞ美しいだろうと想像する。ジンのみぞおちがゾクゾクキュンキュン震えた。
使い魔が死んで悲しい気持ちは、魔王ジンにはわからない。
だが震えるベアトリスにとっては、使い魔の死が至極辛いことは察する。
(ああ、どうしても……泣かせたい。どうすれば君は悲しみに屈して泣いてくれるんだい?)
ジンは幼い妻の涙への欲望で満ちていた。
みぞおちのゾクキュンが限界を越えて、涙が欲しくて喉が渇いた。渇望するとはこういう感覚か。
「泣かないのかい?」
堪えきれずに問うたジンに、ベアトリスはゆっくりと顔を上げた。
ジンに向かって口端を強引に持ち上げて、下手な笑みをつくった。
喪失に、ベアトリスは屈さない。
「アイニャのためにこそ、私は泣きませんわ。魔王様」
涙を内包して強がった笑顔が可愛そうで、
極上に可愛かった。
その強気で弱々しい笑顔が、ジンの胸を貫いた。
(ああ、どこまでも強情な私の妻、君は気丈で本当に可愛い。でも泣き顔はさらに可愛いのだろう?)
ジンの性欲を示す尖った耳の動きが止まず、みぞおちはゾクゾクキュンし続け、喉が渇く。
(私をここまで渇望させたのは君だけだ)
ベアトリスに仲良くしようと誘われ、お気に入りの彼女を傍において可愛がってみた。でももう、彼女はお気に入りの域にとどまらない。
(泣き顔も、涙も、君の全ては……この魔王のものだ)
かつてないほど彼女を求める乾きと、彼女の全てが欲しい支配欲は恋慕だ。
魔王の支配は、恋情そのものだ。
「私は、君の涙を諦めない」
「受けて立ちますわ」
ベアトリスはアイニャをスカートに包んで立ち上がる。
ジンも立ち上がり、アイニャの血で顔や手が真っ赤に汚れたベアトリスにますます惹かれた。
血の化粧は、魔族の男を魅了する。
恋に落ちた魔王はもうどうしても、幼い妻の涙を我慢できなかった。
欲しいものは欲しいのが魔族の性だ。
「ひゃ!」
ジンはベアトリスの足裏に腕を回し、軽々と横抱きに持ち上げる。ベアトリスはアイニャを落とさないように抱きしめた。
「魔王様、な、何をされるのですか?!」
ジンはベアトリスを抱っこして持って帰ることにした。
「今夜は絶対に、君を泣かすよ」
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