ピンチにチャンスな生贄姫


ベアトリスが封印された生粋の闇の中では、すべての感覚が麻痺する。



手はどこか、顔は、口は、どこなのか。


首にあるはずの金のペンダントはここにあるのか。



全ての感覚が失われる闇の中では、己の存在が消えていく。闇に溶けていってしまう。



(私はまだ、生きているのかしら?)



暗闇の中で自分の存在があやふやになり、声も聞こえず、恐怖だけがある。



息をしているのか、もう死んだのかも曖昧だ。



そんな状態で生き物を長く闇に置くと、精神が壊れる。それを賢者サイラスはよく理解していた。



闇は心を殺す。



(この闇の中で、死ねないなんてことになったら生き地獄だわ。私はお腹が空かないから時間経過もわからない。アイニャはどうなったかしら?もしかしたら外ではもう何十年も時間が経ったのでは?)



次々にベアトリスの精神を蝕む不安が浮かんでくる。


死ぬのは怖い。


死ねないのも怖い。


怖い怖い。



(こんなところにいたら、気が狂って先に精神が死んでしまうわ)



ベアトリスを恐怖が支配し始め、感覚のない指先は震え、目には涙が溜まり始めた。



このままでは泣いてしまう。



ベアトリスの脳裏に一人だけ、助けてくれるかもしれない人物が浮かんだ。



(魔王様は……私のことを助けてはくださらないわよね)



魔国に来て、ただ一人だけ、魔王ジンだけが優しさを見せてくれた。もう少し仲良くなれたら、なんて淡い希望を持ってもみた。



だが、話す機会すら見つけられなかった。



(おじい様が死んでからただ一人だけ、


近づいてみたいと思った方だったのに)



ベアトリスの目頭が熱くなる。闇は人を弱くさせる。思考は後ろ向きになり涙を煽った。



(魔王様にもう一度お会いして、たくさんお話してみたかった)



闇で孤独のまま死ぬことよりも、ジンとの距離が少しも縮まらなかったことに悔いが残った。





(恋だって、してみたかった)





一人で強がりを極めて生きてきたベアトリスが、ささやかな乙女の願いに気づく。



涙を飲みこんで、顔を上げた。



(ベアトリス!何を弱気になってるの!


闇の中でだって


『可愛く』ありなさい!)



ベアトリスは己を叱咤する。



(闇に屈するなんて全く可愛くないわ!魔族が欲しいのは涙。泣いたらあの人たちの思い通りなのよ!)



魔族でも数時間で恐怖に狂う闇地獄で、ベアトリスは自分を失わない。



強く賢く生き抜こうと努力する姿勢。


どんな窮地でも、いつだって煽り返せる気丈さ。



両方を兼ね備えてこそ


ベアトリスの『可愛い』だ!



「エリアーナ様の鬱陶しい絡みも、ワニオジサマの呪いの囁きもなくて、


ここは外より断然快適!


封印してくれて、むしろ感謝しますわ!」



恐怖を跳ね返し、強烈タフネスなメンタルを宣言したとき。


急に視界が開けた。



「ニャ!」


「全く泣いてないじゃないか。私の妻の豪胆さには毎度驚かされる」



ベアトリスの視界に、アイニャを抱っこした魔王ジンが現れた。


いつの間にか、木々に囲まれた葬送会場の外だった。



「あら?」



アイニャが地面にペタンと座ったベアトリスの膝に飛び乗ると、膝に愛しい重みが乗った。手足の感覚が戻ってくる。



「ニャ」



アイニャがベアトリスの頬をペロリと舐めると闇から抜け出した実感が湧いてきた。


ベアトリスはアイニャを強く抱きしめた。



「あー会いたかったにゃー!アイニャー!」


「ニャ」


「私を無視しないで欲しいニャ」



魔王ジンがまたにゃん語を使うので、ベアトリスは瞳を大きく見開いてジンを見た。ジンはクスクス笑って、ベアトリスの隣に腰を下ろす。



「魔族でも数時間で狂う闇地獄で半日過ごした君が、自分を失わないどころか


封印してくれて感謝!だなんて」



ベアトリスが闇の中で叫んだ「暗闇快適ですわ宣言」は、ジンに聞こえたようだ。



「私の幼い妻はなかなか、相当に、タフだね」


「お、お褒め頂いて光栄ですわ」


「まさか本当に、闇地獄は楽しかったのかい?」

   

「そんなわけありませんわ!あんなところ誰が楽しいものですか!」



牡牛のツノを揺らすジンが、尖った耳をピクピクさせてベアトリスをからかう。ベアトリスが大きな声を出したのでアイニャが目を丸くしていた。



「魔王様が助けてくださったのですか?」


「また君の使い魔に誘われたんだ」


「ニャ」



アイニャがまたベアトリスの頬をご機嫌に舐めて自慢してくる。アイニャがどうやってジンを呼び出しているのか、ベアトリスは不思議でならない。



にんまり自慢げに大きく頷くアイニャを、ベアトリスは愛しさを込めて撫でた。



「ありがとうございます、アイニャ」


「ニャ」



魔王城内の国民たちに聞き回ったり、エリアーナの罠にのるより、アイニャに案内してもらえば、案外ジンにあっさりたどり着けたのだろうか。



「今度はどんな贅沢があるのかと思ってついて来たら、封印現場だ」


「魔王様、助けて頂いて、本当にありがとうございました」


「封印を解く逆詠唱は魔王の嗜みのうちだけど。


封印を解けば、私の強情な奥様の泣いた顔を見れるのではと期待しただけだよ」



ジンは涙に期待しただけらしい。


だが、結果として助けてもらったので理由は何でも良い。



「この封印術はエリアーナだろう?あの思考丸見えエリアーナにやられるなんて、私の奥様は意外と罠にかかりやすいのかな?」


「ち、違いますわ!エリアーナ様の見え透いた罠にわざと乗ったのです」


「どうしてそんなことを?」



エリアーナに連れてこられたときはまだ日が高かった。だが、すでにすっかり夜が訪れている。


月が輝く下で、ベアトリスは熱望したジンとの会話を手に入れた。



このチャンスは逃せない。



「その」



ベアトリスはごくりと緊張の唾を飲み込み、隣に座るジンをまっすぐ見上げた。


恥ずかしくても飲み込め。正々堂々が『可愛い』だ。



「魔王様にどうしてもお会いしたくて……もっとお話してみたくて、自ら罠にのりましたわ!」



これではまるで、告白ですわ!


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