仲良くにゃりたい生贄姫


「美しい覚悟と、麗しい身体に見惚れてしまったよ」


「意地悪な魔王様に、負けたくありませんでしたから。は、裸を見られるくらい、平気ですわ」



裸のベアトリスは立ち上がり、大きな黒いマントを体に巻き付けた。マントに残ったジンの微かな体温が裸の身体に伝わる。



「平気ね。そんなに可愛く、照れているのに?」



じっとりまとわりつくジンの視線に耐えかねて、ベアトリスは頬を染めてしまった。ベアトリスは、負けたくなくて意地で口を開く。



「か……か、可愛くて、ごめんあそばせ!」



いつもの煽り100%のキレ味は全くなく、ただ照れ隠しの言葉に響いた。魔王はその意地っ張りな愛らしさに思わず笑う。



「ハハッ、確かに。今日、君の可愛さに負けたのは私のようだね」


(そんなに大らかに負けを認められると、こちらが負けた気がしますわ……!)



でもジンがクスクス楽しそうに笑うのは悪い気分ではなかった。


ジンの前に立ったベアトリスは背筋をまっすぐに伸ばし、凛とした声を届けた。



「魔王様。ご迷惑とは存じておりますが……私は人間国に、どうしても戻りたくないのです」



ジンはベアトリスの頬を伝う水滴を細長い指で一つ拭う。



「君に理由があるように、私も死ぬわけにはいかない」



ベアトリスの加護は、ジンの指先を弾かなかった。



「君の涙を諦めないよ、私は」



目を細めて妖艶に微笑んだジンは、踵を返す。だが一歩踏み出して、立ち止まった。



「一つ言わせて欲しいのだけれど」



ベアトリスがジンの言葉に首を傾げると、振り返ったジンが悪戯をするように軽やかに笑う。



「私はわざと水浴びを狙って、意地悪をしに来たわけじゃないんだ」


「そうなのですか?」


「君の使い魔に呼ばれてついて来たら、思わぬ贅沢をできたってだけさ」



ベアトリスがアイニャを見つめると、アイニャは大きく頷いた。



「ニャ」


「じゃあおやすみ。強情な私の奥様」


「おやすみなさい。


私の……意地悪な旦那様」




気の利いた返答をするベアトリスに、機嫌良く笑ったジンは魔王城へと歩き出した。



嗅ぎ慣れない香りのするマントを体に巻きつけると、アイニャがベアトリスの足にすり寄ってきた。



(魔王様は、冷酷非情と噂だったけど。意外と怖い感じではありませんでしたわ。意地悪ではありますけれど)





次の日、ベアトリスは新しい着替えの服と、魔王城内にある浴室の利用許可証を、うさ耳メイドのエリアーナから全力で投げつけられた。



「なんで優しいすんねん魔王様!泣かすんちゃうんかぁーい!!」



エリアーナは魔王の指示に荒れ狂っていたが、加護があるので痛くも痒くもない。声量が大きいのでうるさいだけだ。



「ニャ!」



牢獄小部屋で暴れるエリアーナにアイニャがとびかかる。



「なんや使い魔のくせに生意気やなぁ!封印すんで?!」



アイニャに向かってエリアーナは臨戦態勢を取る。だが、アイニャは部屋の隅っこからスッとおやつを持ってきてエリアーナにプレゼントした。



お近づきの印だ。



「ニャ」


「え、ネズミくれんの?優しいやん好き。今度一緒に狩りする?ええ場所あんで?」


(エリアーナ様よりアイニャの方が、大人の対応ですわ)



うさ耳メイドと黒猫の動物同士のやり取りの横で、ベアトリスは魔王ジンからの書状を読んだ。



『強情な私の奥様に、風呂の使用許可を出す。今後は他の者に裸体を晒さぬように』


(びっくりするほど、お優しいわ)



昨夜のジンの様子や、この書状を見てベアトリスは金色の波髪を揺らして考えた。



(もしかして、魔王様ともう少し仲良くできる可能性ってあるのかしら?)


「ほな、また後で集合な!」


「ニャ」



エリアーナはアイニャが遊ぶ約束をして、あっさり帰って行った。煽り過ぎなベアトリスより、アイニャの方が魔族と仲良くするのが上手だ。



ベアトリスは軋む質素な木のベッドに腰掛けて、物思いにふける。



(昨夜、魔王様に触れられた時、加護が発動しませんでしたわ。


私はあの時、魔王様を拒否していなかった……だって、魔王様は私に優しくしてくださったから)



服を取るようなことを言ったものの、ジンは本気ではなかった。



服を焼くなり、湖からベアトリスが出られないように立ちふさがるなり、魔王ならあのままベアトリスを辱める方法はいくらでもあったはずだ。



なのに、ジンはそれをせず、マントまで貸してくれた。ベッドで眠る際に上から羽織ったマントに触れて、ベアトリスは顔が緩む。



(それに、月夜の魔王様、とてもお美しかったわ)



月の下で魔王ジンが意地悪を言ったり、笑ったりした顔を思い出すとベアトリスはついついニヤけてしまった。



(魔王様は私を傷つけることを言わず、私を「美しい」と言ってくださった)



ただ泣かせたいだけの相手に、お世辞を言う必要はない。


ベアトリスは足に擦り寄ったアイニャを抱っこして、目の高さを合わせた。



「アイニャ、私、魔王様と仲良くなれるかにゃ?」


「ニャ」



魔族であるうさ耳メイドとの円滑な交流を果たすアイニャは、元気に返事した。ベアトリスは愛らしい黒猫アイニャの頬に頬をすり寄せて笑う。



餓死することも、暴力を振るわれることもない。アイニャと二人きりのこの場所は悪くはない。



だが、こんな薄暗く狭い部屋で一生過ごすより、背伸びして楽しい未来をつかもうとする道だってある。



昨夜のジンの優しさは、そんな微かな希望を与えてくれた。



彼はベアトリスを完全に拒否していない。



「これから先、誰かと寄り添えることがあったなら。


おじい様と過ごしたような、誰かと過ごす温かい時間を得られたなら……」



それがおじい様の望んだ、


ベアトリスの幸せではないか。



「アイニャ、私、魔王様と仲良くなれるように努力してみるわ!」


「ニャ!」



ベアトリスは立ち上がり、さらに高くアイニャを抱き上げた。ベアトリスの首元で、おじい様の形見である「金のペンダント」が跳ねる。




「現状維持はすなわち衰退と同じ!そんなの可愛くありませんわよね。


いつだって高みを目指して、研鑽を怠らない姿勢が『可愛い』ですわ!」



ベアトリスは可愛いを貫く。泣かない幼な妻として、もう少しジンと距離を縮める努力を決意した。



しかし、魔王様と仲良くなりたい生贄姫の前に立ちはだかるのは、



アホエリアーナではなく、



魔族の「賢者」の異名をもつショタジジイ、サイラスだった。

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