嫁の裸はガン見の魔王様


部屋に風呂がないベアトリスは、湖で体を清めるしかない。


魔王城は孤立した城だ。周りは鬱蒼とした森に囲まれていて、少し歩けば湖がある。



魔王城を抜け出したベアトリスは、魔王城の近くにある夜の湖にたどり着いた。



(誰か来ないうちに早く浴びてしまわないと)



月夜の下。ベアトリスは湖の傍らで一枚一枚、服を脱ぎ始める。



指輪をつけたままなので、裸の状態でも初代魔王様の加護が守ってくれる。



だが、それでも屋外で裸の水浴びは心もとない。



ベアトリスは月明かりで若く輝く肢体を晒して、静かに入水した。



熱くも冷たくもないぬるい水の感触が身体を包む。加護によって冷たすぎる水も、熱湯であっても適温に保たれる。



常に美しくありたいベアトリスにとって、入浴は大事な習慣だ。



頭の上まで水に浸かってから浮かび上がり、下半身が浸かったままの状態で立ち上がる。



「ニャ」



アイニャはこの水浴びの場所を知っている。迎えに来てくれたのかと満面の笑みで声のした方を振り返る。



「あれアイニャ?もう帰ってきたのにゃ?」



湖の傍らに胡坐をかいて座っていたのは、



アイニャではなく魔王様だった。



月下に照らされた艶やかな黒髪と、真っ赤な瞳が美しい。



「私は呼ばれただけだがニャ?」



膝に肘をついて手の平に顎を乗せた魔王ジンは、真顔でにゃん語を繰り出す。お茶目なのか魔王様。



「え?え?!魔王様?!」


「良い眺めだが、そのままでいいのかい?」


「キャア!」



ベアトリスは露わな胸を慌てて両手で覆い、水に身体をつけて隠した。まさかこんなところで魔王ジンに会うなんて思いもよらなかった。



しかもベアトリスは裸だ。



顔が熱くなり、目がチカチカするほどに混乱した。



「ニャ」



再度アイニャの声がした。鼻の下まで水に沈めたベアトリスがジンのいる方を伺う。


するとアイニャはジンの膝の上に乗って、喉をごろごろしてもらっていた。



(そんなところで何してるのアイニャ!もし殺されたりしたら!)



ベアトリスはさっと血の気が引いた。



ベアトリスがアイニャを肩から下げた袋に入れて、大事に連れ歩いているのは魔王城の誰もが知っている。



アイニャはベアトリスの弱点だ。

  


もしアイニャを殺されたら、どんなに強がっても泣いてしまう溺愛ぶりは一目瞭然。



だが、魔国民は使い魔を大事に想う概念がわからないらしい。アイニャを狙ってくることはなかった。



文化と感覚の違いに、ベアトリスは心底胸を撫でおろしていたのに。



魔王だけはアイニャを狙う知恵があったのかもしれない。



ベアトリスは息を飲んだ。



「あがらないのかい?」



膝の上のアイニャを粗雑に扱う風はないジンは、肩まで水に浸かって体を隠すベアトリスに声をかける。



「服が魔王様の近くにあるので、出られませんわ」


「ああ、気がつかなくてすまなかったね」



クスリと綺麗な顔で笑ったジンに、服を取ってくれる動作はない。さすがにそこまで親切ではないようだ。



湖の中のベアトリスと陸上のジンのにらめっこが続く。



「服を渡して頂けませんか?」


「なぜ?」


「なぜって、裸を晒せませんわ」


「君は私の妻だろう?私には世界中の誰よりも、裸の君を見る権利がある」


「そ、そうかもしれませんが。合意していません」


「私と君は結婚の儀を交わしたんだ。全てに合意のはずだが?」



口論には自信のあるベアトリスであったが、魔王ジンの主張は正論だ。恥ずかしさで緊張し、うまい反論は見当たらなかった。



結婚式以来、ジンに部屋に呼ばれるどころか声を聞いたこともなかった。加護のあるベアトリスをジンが無理やり抱くことはできない。



当然、初夜など過ごしていない。



「このまま朝になるまで裸の君が水に浸かっているのを見るのも、悪くはないね。


朝になったら魔国民を呼び寄せて君を晒すのも良い」



ジンの言葉にベアトリスが唇を噛む。



さすがの加護も服は作ってくれない。



服を取られるなんてこんな単純な行為が、ベアトリスに与えるダメージは大きかった。



(やはり冷酷非情と名高い魔王様の名前はダテではないわ……)



魔王様は、魔国民の誰より、幼い妻を追い詰めるのがお上手だった。



このまま裸で魔族たちの視線に辱められるとしたら、ベアトリスといえど泣いてしまう。



ベアトリスが唇を噛んで恥辱を想像すると、ジンが目を細めて笑った。



「君がどうイジメても泣かないと聞いていたけど、案外あっさり可愛く泣いてくれそうじゃないか」



ジンは機嫌良さそうに、ベアトリスをからかってクスクス笑った。


幼な妻を泣かせようと追い込んで喜ぶなんて大層な悪趣味である。



「私のために泣いてくれるなら、そんな酷いことはせずに服を渡すよ。良い条件だろう?」


「私は絶対に泣きませんわ」


「じゃあ、君は裸のままだよ?魔国中が裸の君を喜んで見に来るだろうね」



膝に乗せたアイニャを優しく撫でたジンが、さあどうすると首を傾げる。ベアトリスは肩まで水に浸かったまま考えた。



このまま日が明けるまでにらめっこを続けては、本当に見世物になる。見世物よりは、断然こっちの方が被害が少ない。



(強くあるのよ、ベアトリス。


魔王様に裸を見られたくらいで、


死にはしないわ!)



ベアトリスは自分に言い聞かせ、ザバッと豪快に水音を立てて湖の中に立ち上がった。



もう上半身も隠さずに堂々と裸体を晒して、ジンに一歩一歩近づいていく。



ジンの尖った耳がピクピクと反応する。真っ赤な瞳がぱちくりして、ベアトリスの月夜に輝く美しい肢体に魅入った。



ベアトリスが湖から上がると、アイニャがジンの膝の上から退いた。アイニャが身体を拭く布をくわえて、ベアトリスの元へと持ってくる。



「アイニャ、ありがとう」



ベアトリスは布を纏い、屈んでアイニャを慈しみを込めて撫でた。



「君の絶対に泣かない覚悟は、見事だね」



立ち上がり、黒いマントを無造作に脱いだジンは、屈んだベアトリスにマントをバサッと被せた。



魔王様の意外な行動にベアトリスは瞳をしぱたいて、ジンを思わず見上げる。



「美しい覚悟と、麗しい身体に見惚れてしまったよ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る