もう一度だけ~と、すがり続ける男と聞く耳持たぬ女~

橘塞人

おはなし

「もう一度だけ、もう一度だけロクサーヌに会わせてくれ! そうすればきっと! きっと!」


 外から何か騒音が聞こえますが、こんにちは。私はロクサーヌ・フォン・プロヴァンス、侯爵家で長女として生まれました。長女と言いながらも子は私だけでしたので、私が今では侯爵です。侯爵家当主として、毎日忙しい日々を過ごしております。

 そんな多忙な政務の合間、ティーカップを片手にお菓子を頂く休憩時間は何よりの癒やしです。もっと政務を頑張ろうという力を与えてくれます。


「あら、今日の茶葉はアッサムかしら?」

「は、はい。ロクサーヌ様が少しお疲れであるよう見えましたので、強めの茶葉がよろしいかと愚考しまして。よ、よろしくなかったでしょうか?」

「よろしくてよ。でも、2~3口目からはマイルドにしたいから、少々ミルクを貰えるかしら?」

「はい、ただいま!」


 メイドのクララベルは小瓶に入ったミルクを、良い手際で私に渡してくれました。それを私は少々紅茶の中へと入れ、ティースプーンでかき混ぜ、ゆっくりと飲んでいきました。うん、やはりアッサムはミルクティーがいいですね。

 クララベルは実に良いメイドへ成長してくれました。私の調子を見て茶葉を選べるようになったこと、ミルクも私が好みで入れたいのを察してしゃしゃり出なかったこと。本当、良い働きです。

 が……


「もう一度だけ、もう一度だけロクサーヌに会わせてくれ! そうすればきっと! きっと!」


 外の愚物の声はまだ、しつこく聞こえていました。

 それが実に鬱陶しく、腹立たしいものでした。美味しい紅茶やスコーンが不味くなってしまいますので。

 放っておいて良いのですか? クララベルが不安そうな顔を浮かべたところで、ノックをして私の許可を得た上で侍従のパーシーが入室し、私にエスカレーションをしてきました。


「絶対に敷地内へ入れるなと厳命頂いておりますフィリップ・ド・マンチーニ元伯爵家令息ですが、あのようにずっと喚き続けて一向に帰って頂けません。如何致しましょう? 曲がりなりにもお嬢様の元婚約者でしたので、あまり手荒なことはしないよう配慮しておりますが……」

「そうねぇ……」


 外で喚いている愚物、フィリップ・ド・マンチーニ元伯爵家令息は確かに私の婚約者でした。非常に不本意でしたけれど。

 父が私の婿として探し、婚約者に定めてきたのが伯爵家次男の彼でした。王家や公爵家といった上位の家から来ると、家を乗っ取られたりといった面倒臭いことになりかねないからと考えたのでしょう。もっとも、彼はそれ以前でしたが。

 私はサクッとパーシーへ指示を出しました。


「乱暴にしても構わないわ。殺してしまうとちょっと面倒なので、最低限生かしておけば大丈夫。なので、捕らえて衛兵へ突き出して頂戴。侯爵家へ何度も押し掛ける不敬な平民としてね」

「畏まりました」


 パーシーは一礼をして下がっていきました。

 騒音を遠くに聞きながら、私はまた一口ミルクティーを飲みました。これで終わればいいのですが。

 そう願った私の前で、クララベルは不安そうな顔を浮かべました。


「良かったのですか?」

「ええ、構わないわ。寧ろ、これを機に二度と来ないで貰いたいわね」

「もう一度だけ、もう一度だけロクサーヌに会わせてくれ! そうすればきっと! きっと! きっとおぉぉぉぉ……」


 愚物の声はフェイドアウトしてゆきました。私の依頼通り、強制退場になったのでしょう。

 ホッとした私とは反対に、クララベルは一層不安な顔をして訊ねてきました。


「お嬢様はもう、あの方への情は残ってらっしゃらないのでしょうか? 一応、元婚約者でしたのに」

「ないわね。情というものは増えることあれば、減ることもあるの。あの方への情はどんどんどんどん減っていって、今ではゼロを通り越してマイナスね」

「で、でも、悪い方ではなかったですよね?」

「そうね。大衆小説にあるような、平民の女性と浮気を繰り返した挙げ句、衆目を集めるパーティー会場で婚約破棄だ! って言い出すような真似はなかったわね」


 クララベルから借りた小説では、馬鹿な貴族令息が自身の婚約者を疎かにした挙げ句、上記のような婚約破棄を申し伝えるという、狂気染みた愚行が繰り広げられ、その流れが定番となっておりました。

 私の元婚約者はそこまでの愚物ではありませんでしたが……


「それでも、我が侯爵家当主の婿になるにはあの方はとても愚かで、それを是正する努力さえも足らなかったという訳よ」

「努力、ですか?」

「ええ。あの方は学園の試験結果が悪くても、その結果落第しても、執り行った政務が失敗しても、その後に言うことは“もう一度だけ、もう一度だけ”の繰り返し。いい加減嫌になるわ」


 とっくのとうに、嫌になりました。

 その結果、我がプロヴァンス侯爵家からマンチーニ伯爵家へフィリップ様は当家の婿として不適格であると告げ、私達は婚約解消となりました。


「努力はされていたんですよね?」

「していたでしょうね、彼なりの努力は。でもね、結果を出す努力でなければ意味がないの。例えば、努力しても試験で良い点が取れないのであれば、努力の量は足りているか、努力の仕方は正しいのかなど、自問自答して改良していく必要があるの。それを行わず、今までの自称努力の継続だけでは……何の改善もありえないわね」

「そういうものなんですね。学のない私では済みません、ちょっとイメージがつかないですけど」

「メイドとしたらそうねぇ、何度も何度も皿を割ってしまう子がいたとしたらどうかしら? 割らないよう注意しなさい、改善しなさいと叱っても、努力します! 頑張っています! と言っているだけで、同じ過ちを繰り返して皿を割り続け、その度に“もう一度だけ、もう一度だけ”とチャンスを求めるだけの子がいたとしたら?」

「ああ、イメージつきました。済みません。クビですね。解雇です」


 フィリップ様はそのような人でした。僕はずっと頑張っている。積み上げたものを信じてほしい。いつか必ず花開くから! なんてことを、素面で言うような人でした。馬鹿馬鹿しい。

 結果を残せていない者の自称努力という継続は、結果を残せていない事象の継続でしかないと、何故気付けないのでしょうか。変革なき改善は存在しえないというのに。

 そんなことを思った私に、クララベルは苦笑をした顔で訊ねてきました。


「それを、元婚約者様へ教えて差し上げなかったのですか?」

「教える訳ないでしょう? それは自分自身で気付くべきことよ。そして、それもまたこのプロヴァンス侯爵家の者になれるかどうかの試験の一つなのよ」

「お皿を割り続けられては困りますからね」

「そうね。皿一枚の損失ならばたかがしれているけれど、侯爵家の仕事は一つの失敗も許されないものも多々あるわ。例えば今私の机の左側に積んである書類、あれは夏にゴルブー地方で起きた洪水被害への復興事業のものよ。その指揮を誤ってしまうと復興が遅れ、下手したら領民の命に関わってしまうわね。そんな政務を、何度失敗しても“もう一度だけ、もう一度だけ”と繰り返すだけの愚物には任せられないし、そんな愚物は当家には必要ないの。寧ろ害悪で、邪魔なだけだわ」


 無能が上に立っていると、下の者もまた無能になってしまいます。上の者の改善がなくても許されていると、自身もまた改善は不要と考えてしまうからです。それを下の者だけは改善するよう強要してしまうと、そこで反乱となってしまうのです。

 その点で言えば、上の者も常に試験され続けていると言えるでしょう。家で働く者達に、そして領内に住む人達に。


「それを理由に私と父でマンチーニ伯爵家へ婚約解消を告げに行った際、フィリップ様は何と言ったと思う? 僕に対する愛情はないのか!? よ」

「それはちょっと、酷いですねぇ……」

「でしょう? 愛情を求めるならば、まずはそれを受けるに値する程度の成果を出してくれないと。それが出来えないと判断した為の婚約解消よ、と告げたら彼のお父様である前マンチーニ伯爵家当主がね……」

「酷いこと言われたのですか?」

「政務で使えなくとも、元気なのだから種馬としてなら使えるだろう。婚約継続で頼むと」

「ひっどっ! もとい、最低ですね。その伯爵様」

「でしょう? だから私は言って差し上げたの。何も出来ない、させられない穀潰しの種を、何故当家が受け入れないといけないのですかって」


 あの人と同じような子になってしまうのでは? という不安しかないので、あの人の血を引いた子を産まされるのは御免被ります。

 あの人と同じような子になってしまうのでは? という不安しかないので、あの人に子育てもさえられません。

 前伯爵の言ったことはド級のセクハラでしたが、それ以前に向こうの申し出に対して当家のメリットがありません。デメリットしかありません。


「で、その伯爵様はどうされました?」

「逆ギレよ。女如きが生意気言うな。我々男達の言うことをきいていればいいんだって」

「え、お嬢様は……」

「ええ、もう家督を引き継いで私が侯爵よね。父は隠居だし。だから私の返しも当然、伯爵如きが生意気言うな、よね」


 前伯爵は私が既に侯爵であると知らずに言ったようですが、知らなかったで通る程法律は甘くありません。私の侯爵就任は発表済みであった以上、知っておくべきだったのです。

 第一、仮に私が侯爵でないにしても、あのセクハラ発言はNGです。社交界で爪弾きにされる程度には。


「それで、そのセクハラ伯爵はどうなりました?」

「家督を長男へ引き渡した上で蟄居ね。まあ、死罪まで求める気はなかったので、それで良かったけれど」

「それで、その元婚約者様はどうされました?」

「父親の言葉に同調し、父親が蟄居となっても兄へ私との婚約継続を求め続けたらしくて、マンチーニ伯爵家からの追放となって今は平民にされたらしいわ」


 マンチーニの姓を名乗れるかどうかは別として、私との結婚がなくなれば次ぐ家督がない以上、平民となるのは変わりありませんが気分が違うのでしょう。

 必死な顔をして、このプロヴァンス侯爵家まで「もう一度だけ、もう一度だけ……」と。


「あ。外、静かになりましたね」


 クララベルの言葉で、私はフィリップ様が衛兵に連れられ、去っていったのを知りました。後処理も終わったのを知りました。その時、五月蠅いのがいなくなって良かったわくらいにしか思わなかったことから、それだけフィリップ様のことがどうでもよくなっていた自分に気付かされました。

 両家の顔合わせで初めて会った時……


『フィリップ・ド・マンチーニ、伯爵家次男です』

『ロクサーヌ・フォン・プロヴァンス、侯爵家長女ですわ』


 お互い少し恥ずかしそうにしながら自己紹介し、これからの未来を二人で担っていく。そのように考えてもいたのですけれど、結果はあの通りに。

 非常に残念、非常に残念だったんですけれど……


「ふぅ」


 私は一つ溜め息をついて、虚空を見上げました。あの人のように“もう一度だけ”とは欠片も思いませんでしたけれど。

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