1-3

広場を抜けると、周囲の雰囲気は一変して、賑々にぎにぎしいものへと変わった。路上には多くの店舗がのきを連ねており、時折、露出の激しい女性に「そこの二人、遊んで行かない?」とウィンクされたが、朱雨しゅうは蘭の手を引いて無視をする。どうやら蘭のことを男の子と勘違いしているようだったが、当の本人はそこまで気にしていない様子だ。


蘭は「また今度ね」と軽くあしらうと、朱雨の左手をギュッと握りしめる。


朱雨は蘭の反応に微笑みながら、歩みを進めた。通りは賑やかで、人々の笑い声や呼び込みの声が響いている。露店には彩り鮮やかアクセサリーや手作りの雑貨が並び、食べ物の屋台からは食欲を誘われる匂いが漂ってきた。


「それで、どこに行くんだ?」


「ん? 特に行き先なんてないよ、気分だもん」


蘭は、何を言ってるの? と言いたげな表情で首を傾げる。朱雨その表情に苦笑いを浮かべると、肩をすくめる。


「デートって、事前に段取りとか決めておくものじゃないのか?」


正直、偉そうに言えるほどにデートの経験があるわけではない。それでも事前に行き先を決めておく程度のマナーを、朱雨は持ち合わせているつもりだ。


蘭は朱雨の言葉に目を丸くすると、少し困ったような表情を浮かべる。


「うーん、そうなの? ボク、デートなんて初めてだから……」


朱雨しゅうは蘭の言葉に少し驚くと、深く息を吸い込み、一気に吐き出した。


「……しゃーねぇな。俺の行き付けでいいか、お姫様?」


その言葉に、影を落としていた蘭の顔に光が宿る。彼女はわざとらしく、考え込む素振りを見せると、数瞬の後、満面の笑みを浮かべた。


「うん、任せた! ちゃんとエスコートしてよね」


「はいはいりょーかい」


先程まで落ち込んでいたのは何処の誰なのか、と問い詰めたくなるほど憎たらしい笑みを浮かべる妹の手を引くと、二人は再び歩き出した。


賑やかな通りを抜け、次第に人通りが少なくなってくると、少し静かな空間へと進んでいく。道中、蘭は怯えた様に朱雨にしがみついて、目に涙を浮かべていた。朱雨は繋いでいた左手にやさしく力を加えると、彼女は驚いたように、顔を上げ、彼を見つめた。その瞬間、朱雨の瞳に映る彼女の涙の粒が、僅かな街灯の光を受けて輝く。彼は心の奥底から湧き上がる保護者のような感情を抱きながら、静かに囁く。


「大丈夫だ、蘭。ここは安全だから」


その言葉に蘭は軽く頷くと深く呼吸をし、息を整える。


「うん。ありがとう、お兄ちゃん」


瞳に浮かんだ不安を拭い去ると、蘭は何処か照れくさそうに小さく呟いた。その姿に朱雨は自分の過ちを思い出し、僅かな憎悪が胸を刺した。それでも目の前の彼女の笑みを見ていると、胸の中の温かい気持ちの方が勝ってしまうのだから、どうしようもない。


朱雨は蘭の手を引きながら、先に進んでいく。古びた石畳の上に足音がカッン、カッンと響き渡り、遠くから僅かに聞こえる街の喧騒けんそうが薄れていく。そのまま歩を進めると、やがて、外観が可愛らしい洋風のデザインが視界に広がる。窓からは温かな電球色の光が漏れ出ており、入口に置いてある木で作られた自作の立て看板には「喫茶リリー」と書かれていた。


朱雨しゅうは扉を開くと、蘭を先に入れるように促した。


扉を開けるとコーヒーの心地のよい香りとともに、柔らかな音楽が二人を迎え入れた。木製の家具に囲まれた温かみのある空間には、いくつかのテーブルが点在し、楽し気に談話だんわする人々の姿が見てとれた。


二人は窓際の席に腰を下ろすと、メニュー表を手に取る。蘭はページをめくりながら、時折、楽しげな表情を浮かべていた。


「何を飲む?」


朱雨ガ尋ねると、蘭は少し考えてから答えた。


「ホットミルクがいいな。あと、いちごタルトも食べたいんだけど……」


蘭は一瞬、目を伏せて遠慮がちに言ったが、すぐに顔を上げ、その大きな瞳で朱雨を見つめた。その視線には躊躇ためらいの影に隠れた明確な意思が宿っおり、小さな声ながら、その意思は透き通るようにはっきりと感じられた。


朱雨は微笑みながら頷くと、彼女の注文を復唱する。


「ホットミルクとイチゴタルトだな。俺はいつものコーヒーとチーズケーキのセットで」


オーダーを済ませると、二人の空間に穏やかな沈黙が訪れた。朱雨は窓の外を見ながら、不意に先程の出来事を思い返していた。蘭が自分にしがみついて涙を浮かべていた姿が、どうしても頭から離れない。少し可哀想なことをしたな、と思っていると「お兄ちゃん、どうかした?」蘭の声が朱雨の思考を切り裂いた。視線を戻すと、不安そうな表示を浮かべた彼女が顔を覗かせている。


朱雨は小さく首を横に降ると、笑みを作る。正直、上手く作れている自信はない。


「あぁ、少しだけ考えてたんだ。お前が涙を浮かべていたから、気になってさ」


「あー、うん。ごめんね、びっくりさせちゃって。……正直まだ、ね」


蘭は顔を赤らめると、視線をテーブルに落とした。細い指先が無意識にコースターを弄っているのが見え、その動きに彼女の戸惑いが滲んでいるようだった。静かな喫茶店の空間が、一瞬だけ緊張した空気に包まれる。


蘭が濁した言葉の後には、おそらくこう続くのだろう。


正直、まだ────過去と向き合うには時間がかかりそう────、だと。


そうした話をするときだけ、蘭は普段の天真爛漫な性格からは想像もつかないほど、枯れきった冷たい瞳を見せる。その瞳の奥には、どれほどの痛みと孤独が刻まれているのか、朱雨には到底想像がつかない。それでも『彼女たち双子』が背負っている過去は重く、深い。それだけは、残酷ざんこくなまでに断言できてしまう。


朱雨はバツの悪さに視線を逸らすと「……スマン」と呟く。


蘭は少し驚いたように顔を上げると、朱雨の表情を見るなり、首を横に軽く振った。


「気にしないで……。お兄ちゃんのせいじゃないし……」


喫茶店の外では人々が行き交い、軽やかな足音が響く。二人は窓の外に視線を向けると、互いの空間に陰鬱な気が漂う。


朱雨はこの重苦しい沈黙を破る言葉を探しながら、心の中で葛藤かっとうする。何か気の利いた言葉を口にしようと試みるが、言葉が喉に詰まって出てこない。


「お待たせいたしました。こちら、ご注文の────」


その時、ウェイトレスが二人の注文した品を運んで来た。朱雨は礼を言いながら、蘭の前にホットミルクといちごタルトを置く。蘭はぱっと明るくなり、嬉しそうにタルトを見つめた。朱雨は手のひらを上に向けると軽く促す。


蘭は、一瞬だけ思い悩んだように見えたが、すぐに笑顔を取り戻すと「ありがとう」と告げる。彼女はスプーンを手に取ると、タルトを一口頬張り、目を細めた。


「このタルト、すごく美味しいね!」


彼女は努めて明るい声で話し始める。


「お兄ちゃんは、ここによく来るの?」


「あぁ、たまにね。コーヒーが好きでさ」


朱雨の言葉には少し辿々しい雰囲気が残っていたが、蘭がタルトを食べ進めるに連れて、その雰囲気は徐々に薄れていく。彼は微笑みを浮かべると彼女に問いかける。


「それに、静かで落ち着くだろ」


「確かに、ここは落ち着くね」


蘭は小さく頷くと外を眺めた。黒幕の降りた窓には、深い思索にふける蘭の姿が投影される。その姿は静かな哀しみを秘めており、窓辺に立つ彼女の心を深く揺さぶった。


喫茶店の温かい雰囲気とは対照的に、窓の外では静寂が広がっている。窓ガラスには街灯の光が反射し、彼女の視線を引き付けていた。


やがて蘭は深く息を吐くと、タルトを一口頬張る。満面の笑みを浮かべた彼女は「やっぱり、美味しい」と呟く。その笑顔は、先程までの陰鬱いんうつな雰囲気を吹き飛ばすように見えたが、同時に微かに無理をしている気配を漂わせていた。


朱雨はその微かな違和感に気づきながらも、何も言わずにコーヒーを口に運ぶ。視界の先では、いつも通りの蘭がタルトを頬張り、嬉しそうに微笑んでいる。


「これも食べるか?」と朱雨はチーズケーキを差し出す。蘭は驚いたように目を丸くしたかと思うと、すぐに満面の笑みを浮かべ、チーズケーキに手を伸ばした。


「いいの? 本当に食べちゃうよ」

「あぁ、いいよ。食べな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎日 05:00 予定は変更される可能性があります

壊れかけの世界で、キミ想いて詠う。 鵜月 祐 @k62804869

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ