1-2
夕刻。
石造りの噴水に腰を下ろした二人の男は、それぞれの思いに暮れながら静かに煙草をふかしていた。石造りの噴水から流れる水音が、二人の間に沈黙のリズムを刻んでいる。
「……まさか、本当に退席させてくれないとは」
「仕方ないさ。あの場では彼女がルールだ。誰も巫女様の命には逆らえないさ」
中岡は煙草の煙をゆっくりと吐き出しながら応える。その横顔には、長年の苦労が刻み込まれているようだった。
「だが、あの会議はただの茶番だ。藤本の策に載せられて、
「あぁ、わかってる。
朱雨は頷くと、真剣な面持ちで応える。二人の間には紫煙と言葉が飛び交い、
藤本と橘花。二人の関わる
「それにしても、橘花があそこまで
「確かに。私に指揮権を奪われたからとはいえ、橘花の怒りは尋常ではなかった。何か裏がありそうだな」
中岡は眉を
「あぁ。それに、会議に参加していた他の連中も一筋縄ではいかない強者ばかりだ。彼らの背後にも様々な勢力や思惑が渦巻いている。
朱雨は皮肉の混じった笑みを浮かべながら、煙草を
夕刻の空気に煙草の煙が静かに溶け込んでいく。彼らの前には、政治の裏側での
「私も、常々そう思うよ。どれだけ表面上を取り付くっても、裏では闘いが繰り広げられている。政治とはそんなものだ」
中岡の言葉に朱雨は遠い記憶を思い出す。いつか聴いた師匠の言葉を。
「────正義を口にした時点で人は等しく悪党、か」
朱雨の声には、苦笑いが混じっていた。彼が置かれた立場や状況を考えると、師匠の言葉がますます重みを増していく。
「どうかしたか?」
不意に中岡の声が響く。彼の声からは心配が滲み出ていた。
朱雨は首を軽く横に振りながら、不器用に微笑む。
「いや、大丈夫だ。ただ、思い出していたんだ。師匠のことを」
「……お前の師匠はなかなかの名言家だな」
「あぁ。この場に彼女がいたら、もっと話が盛り上がっただろうさ」
「そうかもな……」
静けさの中で、噴水の音だけが響き続けた。夕刻の空気が
中岡は細くなった煙草の火を消すと、そっと立ち上がった。
「私は一足先に支部に戻る。とりあえず、藤本と橘花のことはコチラで調べてみるから安心しろ。お前はもう少しここでゆっくりしていけばいい」
「中岡……」
朱雨は驚いたように顔を上げると、中岡を見つめた。
「気にすんな。お前も休める時に休んでおけ」
中岡は微笑みながらそう告げると「それに」と朱雨の視線をそちらに
「可愛いお迎えが来てるぞ。慕われてるなお義兄ちゃん」
「……ちゃんとアイツらの兄貴が務まってるか、不安だけどな」
朱雨はまだ火をつけて間も無い煙草を消すと、遠くに見える少女に軽く手を振った。相当に嬉しいかったのか、彼女は喜び
「じゃあな、朱雨。またなにかあったら声をかける」
「了解。また後で」
中岡は軽く手を振ると、背を向けて歩き出した。噴水の音が再び二人を包み、夕刻に静けさが戻る。
「蘭、お前一人だけか? 鈴はどうした」
朱雨は首を傾げると、彼女と一緒にいることが多い双子の姉・『鈴』の姿を無意識に探す。二人一組で行動していることが多いだけに、蘭が一人で出歩いている状況に対して、多少の違和感を覚える。彼女はそんな朱雨の行動が
「鈴なら結衣と買い出しに行ってるよ。……あと、双子だからっていつも一緒にいる訳じゃないんだけど」
「……まぁ、それもそうか」
朱雨は蘭の言葉に驚きつつも、納得すると穏やかな笑みを浮かべた。彼女はそんな朱雨に対してため息を零すと「呆れた」と言い放つと、隣りに腰を下ろした。
「それにしても、お兄ちゃん、最近忙しそうだね」
「あぁ。ちょっと、な」
朱雨は蘭の頭に手を置くと、苦笑いを浮かべる。蘭はそれを自ら受け入れに行くと「撫でろ」と指示を出す。内心、『お前、今年で十六だろ?』 と思ったが、断ると彼女から拳が飛んでくる可能性が高い。仕方なく撫でてやると、お気に召したのか、彼女はご満悦な様子で堪能している。
「で、さっきの人だけど中岡でしょ? 何かあったの?」
「あー……」
「あぁ、中岡だよ。ちょっとしたことでね」
「それって、ボクも参加した例の件について?」
蘭の瞳が朱雨を射抜く。彼女の表情は真剣そのもので、先程まで甘えていた十六歳の少女の面影は何処にもなかった。
朱雨は唾液を飲み込むと、覚悟を決め事の経緯を説明する。その間、蘭は終始一貫して、何かを考え込むように合掌をしていた。
朱雨が話終わると、蘭は合掌をやめて遠くを見つめる。
「
「彼の愚痴なら俺の耳にも入ってきた。相当にご立腹だったみたいだな。それを藤本に上手く利用されたんだろう」
蘭は朱雨の言葉に頷くと、何処か納得がいっていない様子で考え込む。
「どうした?」
「……気になったんだ。
朱雨は蘭の言葉に頷く。蘭の言葉通り、橘花は普段は冷静で感情を表に出さない性格だ。過去の揉め事の幾つかも、橘花が
「一応、中岡が調べてくれてる。何かあれば直ぐに報告が来ることになってるし、心配する必要はないよ」
「だと、良いんだけど……。お兄ちゃん、気をつけてね」
朱雨は蘭の心配を受け止めなると、彼女の頭をやさしく撫でる。彼女は少し驚いた様子で顔を上げるが、直ぐに微笑んで目を閉じる。髪が軽く揺れ、彼の手の感触を満喫してるようだ。
「大丈夫だ、蘭。それに
蘭は一瞬、朱雨の顔を見つめると、ふっと笑った。
「分かった。お兄ちゃんがそう言うなら信じる。でも、無理はしないでね」
「お前がそれを言うか? いつも俺や鈴に心配かけてばっかりの癖に」
その言葉に彼女は頬を膨らませると「それはお互い様でしょう」と、やや興奮気味に言い返した。朱雨は蘭の元気な姿に
「さて、そろそろ帰るか。鈴と結衣もそろそろ帰ってくるだろう」
そう告げると朱雨は立ち上がった。瞬間、蘭に袖を引かれる。
「お兄ちゃん」
「なんだ?」
蘭は
決して口に出すことはないが、最近の蘭はとても綺麗だと思う。顔の造形は整っているし、胸こそ無いものの、つつましやかな体をしている。普段はボーイッシュな見た目と性格に慣れ親しんでいたが、ふと垣間見える女性の面影に、彼の心は静かな衝撃を覚えた。
「ボクと、デートしょう……」
「お前……何を言って」
朱雨は驚いたように蘭を見下ろすと、小さくため息をつい吐く。彼女の瞳の奥にはまだ少しの不安が
朱雨はやさしく微笑むと、蘭の頭を再び撫でた。
「分かった。どこに行きたい?」
蘭はぱっと目を輝かせると「秘密だよ」と言いながら立ち上がった。二人は並んで歩き始め、特別な場所へ向かうような気持ちで帰路についた。
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