1章 闇の議事

1-1

『では、会議を始めましょう』


 几帳きちょうで姿を隠した女性の声が静かな会議室に響き渡る。


 ブラインドの降りた部屋の中は薄暗く、唯一の照明しょうめいは壁に埋め込まれたELパネルが放つ青白い光だけだ。楕円だえんを描く長テーブルには七人の要人が着席しており、彼らの後ろには、見るからに一般人とは思えない厳つい連中が控えている。間違えなく各界の要人が用意した護衛だろう。その証拠に彼らの腰には軍刀や拳銃が吊るされている。


 室内には緊迫感が満ち、各要人の顔には不穏な表情が浮かぶ。それもその筈だ。この場は単なる意思疎通の場ではない。各々が自らの利益を守り、先の戦争における責任を回避しようと必死なのだ。中には、この会議を機に目障りな相手を排除しようと謀る者もいる。特に『朱雨しゅう』という男とその上司に当たる『中岡』には敵が多い。警戒しておくに越したことはないだろう。


 朱雨はため息を吐くと、なるべく目立たないように空気に徹する。正直、今すぐにでも回れ右をして帰りたいところだが、中岡の『護衛』として会議に参加している以上、そうもいかないだろう。護衛を引き受けた、一時間前の愚かな自分をうらむばかりだ。


 それに断っていたら、後でどんな要求をされていたか分かったものではない。


 朱雨しゅうは自分の選択に後悔するも、この場にいる現実を受け入れるしかなかった。それに中岡の顔を潰す訳にもいかない。護衛を引き受けた以上、責務を果たさなければならないと自分に言い聞かせる。


 会議は円滑えんかつに進行し、配布された資料を頼りに各団体の功績が順に報告されていく。時折、危ぶまれる場面もあったが概ね問題なく議題は進行しているように思えた。


 だが次の瞬間、平穏は音を立てて崩れ落ちる。


「我々が地下に来て、もう十年か。地上では今も尚、奴らが猛威もういを奮っていると考えると、嘆かわしい限りだな」


「全くです。それに未だ地上は疎か、都市部の一割ですらも取り戻せてはいない。その上、例の一件だ。眼中之釘がんちゅうのくぎとは正しくこのとこですよ」


 彼らの言葉に周囲の人々が黙々と頷く。室内には厳かな雰囲気が漂い、一段と締め付けられた。


 そんな中、一人の男が閉ざしていた口を開く。


「例の一件と言えば……。先の戦争を進言されたのは、橘花たちばな氏だったとか。確かですかな?」


 藤本の問いかけに、場が凍りつく。彼の問いかけには、明確な嫌味と挑発が含まれており、橘花に対する明確な敵意が垣間見える。

 橘花 まことは一瞬、怪訝けげんそうに眉をひそめると、深く息を吐いた。


「えぇ。藤本氏のご指摘通り、私が先の戦争を進言しました。それに当初の予定では、私が指揮を執るはずでした。ですが……」


 橘花は一呼吸置くと、テーブルの向かいに座る一人の男を睨みつけた。その視線には強い意志と、激しい憎悪がにじんでいた。


「中岡さん、あなたが横槍を入れた。結果的にあの作戦で指揮を執ったのは、あなただ。

 戦場にまで投入して。そんな手柄が欲しいか、このハイエナが!」


 を特に強調するあたり橘花は今回の件が余程、癇に障ったのだろう。彼は自身の目の前に置かれた水を一気に飲み干すと、中岡の後ろで護衛をしていた朱雨を指し示し、叫んだ。


「だいたい、何故その男がこの場にいる。ここは神聖な会議の場のはずだ。汚れた咎人が来るべき場ではない!」


 橘花の訴えに各界の要人も首を縦に振った。その動作はただの同意ではなく、狡猾な思考の産物だ。彼らは橘花の言葉に乗じて、全ての責任を中岡に押し付ける絶好の機会を得たと思い込んでいる。その表情は冷たく、知的な面持ちをしているが、その裏には姑息な策略が渦巻いていた。この場を作り出した藤本は内心、可笑しくてしょうがないだろう。


 何処からか、此方を嘲笑うような失笑が聞こえるが、勘違いではないだろう。


 朱雨しゅうは、その声が間違えなく藤本のモノであると確信していた。


 中岡は橘花からの攻撃的な言葉に対して、冷静な態度を崩すことなく、巧みにかわし続けた。彼もこの一連の出来事に藤本の策略が絡んでいることを見抜いており、下手に橘花を刺激して罠に嵌ることだけは避けるべき事案だと理解している。


 とはいうもの、既にこちら側は後手に回っている。これ以上の防衛は、却って不利に運ぶ可能もあるだろう。朱雨は中岡に目配せすると、彼は肩を竦めて小さく頷いた。


 朱雨は小さく手を挙げると、静かな発言をする。


「橘花さん、自分がこの場にいるのは、上司である中岡を護衛する為です。しかし、こうなってしまった以上、仕方ないですね……。自分はこの場から退席させていただきます。この場にお集まりの皆さんもそれを望まれているようですし、ね。中岡さんにはご迷惑をお掛けすることとなりますが、ご理解の程を」


 その言葉に、室内の空気は一変する。藤本の筋書きでは、中岡に対して敵意のある橘花を焚き付けることで、必然的に中岡の部下である朱雨しゅうも矢面に立たせ、排除する計画だったのだろう。しかし、彼が自ら退席するとなれば話は別だ。


 藤本は驚きの表情を浮かべると、口を開こうとしたが、中岡が割って入る。


「確かにこのような状況では、建設的な議論は期待できないな。……理解した。朱雨しゅう、貴殿に退席を命じる」


「了解……」


 この一連の出来事により、藤本の小癪こしゃくな策略は崩れ落ちた。後は、中岡の指示に従って朱雨が退席すれば、晴れて厄介事から解放され、会議は円滑に進行するはずだった。


 朱雨しゅうが会議室の扉の取っ手に手を掛けた瞬間、女性の声が静かに響く。



『お待ちなさい、朱雨しゅう



 声はELパネルの向こう側から発せられ、朱雨はその場に立ち止まる。その声は、会議室を一瞬にして静寂に包み、全員の注目を集めた。


 朱雨しゅうは「またか……」と厄介事から逃れられない運命にため息を零すと、ELパネルに視線を向ける。


『朱雨、あなたの退席は私が許しません』


 彼女の姿は几帳きちょうに隠れてその表情は見えない。しかし、怒っているということだけは、理解できた。黒い影が微かに揺れる。


「巫女様、先にの述べましたが、自分は中岡と護衛としてここにいます。そして、それ故に自分は退席をする。理由は……述べる必要はないですよね」


 朱雨しゅうの問いに巫女は『えぇ、わかっています』と返答すると細い息を吐き、落ち着いた面持ちで話を続けた。


『ですから、私からあなたへの会議参加を要請します』


 巫女の意外な提案に会議室は驚きと興奮に包まれた。室内は先程の静寂が嘘であるかのように騒ぎ始め、止まっていた時間が加速する。


『中岡もそれで構いませんね』


 朱雨しゅうと中岡は互いに顔を見合わせると、巫女の命令に従うしかないと悟り、諦めの表情を浮かべる。思わず、大きなため息が漏れる。


「……了解しました、巫女様」


 朱雨しゅうは巫女に向かって一礼をすると、周囲の視線など気にもせずに再び中岡の後ろで待機する。会議室内には異様な空気が流れ、静寂だけが場を支配していた。巫女の言葉が持つ重みと威厳は、その場にいる全員を黙らせるには十二分過ぎる権力だ。


 彼女は一つ咳払いをすると、落ち着いた面持ちで言葉を言い放つ。


『では、会議を続けましょう』


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る