145.エピローグ 捨てるもの、新たな目標 ⑤

――ぼくにとって、依織さんは相当な力を持っていると思うけど。


依織がどうしてそこまで厳しい基準で自分を評価するのか、トオルには理解できなかった。それでも、彼には彼女が十分強い存在に思えた。


「ところで、あの事件以来、石井さんをほとんど見かけないけど、玄関先で商売もしてないよね?」


「彼、売り物を使って無断で盗撮や盗聴、さらには詐欺商売までしていたのがバレたのよ。その償いとして、しばらく商売はできないん。」


「どんな処罰が下ったんだかな?」


「商店街の広場で、自分のやったことを公表させられたみたい。それに加えて、現場で商品の回収やポイントの返済をするイベントもやっているらしい」


 その場で回収された商品を抱え、買い手たちの鋭い視線を浴びる石井。事情を知る周囲の人々が冷ややかな視線を送る中、陰口を叩かれる彼の姿が思い浮かび、依織は苦笑しながら言った。


「それ、商売人として信用を失うのと同じね。でも、もし返せるポイントが足りない場合はどうなるのかしら?」


「ほとんどの人はポイントの返済を求めているみたいだけど、一部の人は別の形で代償を要求しているらしい」


依織は驚いた様子で口元を押さえた。


「うわ……一人一人に対応するなんて、考えただけで大変そう。それこそ商人の地獄ね。」


「さらに、彼は潜入捜査の証言が一応採用されたけど、処罰は保留された状態で、今後は行動を監視されることになったみたいだよ。最近は“パリパリ事件”に協力しているらしい。」


「彼にしては意外な話ね。」


「どうやら、うちの担任が強制的に命じられたらしいよ。」


依織は柔らかい笑みを浮かべながら答えた。


「何はともあれ、彼との賭け勝負に無事けじめがついてよかったわね。」


トオルは、そもそも石井との賭けに応じなければならなかったことや、自分の父親は“重罪”を犯したという噂をばら撒かれたことを思い出しながら、軽くため息をついた。そして、どこか悟ったような微かな笑みを浮かべた。


「今回のことでわかったのは、どんな目で評価されようが、気にしないことが一番だってこと。たとえぼくの父が指名手配犯だと知られても、父は父で、ぼくはぼく。自分の人生をどう生きたいか、懸命に進むべき道を選ぶのは自分だってこと。」


トオルの言葉に、依織は目を見開きつつも、彼の成長を喜ぶような微笑みを浮かべた。


「大きく一歩前進したわね。」


トオルはさらに遠くを見据えながら、真剣な眼差しで答える。


「うん。そして、貪食者グラムイーターのこと、石井春斗いしいはるとのこと、昌彦のこと……彼らと違ういろんな人たちがそれぞれの思いを抱えて、この世界や人々に貢献しようとしている。それぞれのやり方で努力しているんだ。それを見て、セントフェラストが人材を選抜し評価する仕組みが少しわかった気がする」


やや強い風が依織の長い髪を揺らし、その彼女はトオルの言葉に耳を傾けていた。


トオルはゆっくりと言葉を紡いだ。


「ここには法律があっても、細かく禁止されていないグレーゾーンが多いんだ。それに、何が正しいのか、はっきりと言えないことも少なくない。自由が与えられたこの環境で時間が流れていくと、ぼくらのように事件を協力して乗り越え、才能を発揮する者もいれば、悪意を持って自分勝手な行動をする者も現れる。そして、優れた者は、早い段階でその輝きを周囲に知られてしまう」


依織は髪をなびかせる風に片手を添え、耳を見せるように髪を整えながら口を開く。


「自由な環境って、人それぞれの本質が見えやすくなるのかもね。……」


トオルは理知的な目で空を飛ぶ魔獣を見上げ、力強く答えた。


「ぼくはぼくの原則プリンスィピアムで生きていく。そして、クロディスを自分の手で守る」


依織は少し眉を寄せ、不安げな表情を浮かべた。


「その事件って、クロディスさんを狙っている人が暗躍しているって話でしょ?詳しいことは、まだ何も聞けてないの?」


「いや、クロディスは何も話してくれなかった。


依織は心配そうに目を伏せ、眉を少しひそめた。


「それ、相当難しい問題なんじゃない?」


トオルは拳を握りしめ、決意を告げた。


「ああ。でも、ぼくは必ずそのレベルに達してみせる。すべてはここから始まるんだ」


依織は応援するように微笑んだ。


「そうだよね」


トオルは耳にかけていたヘッドホンを外し、静かに湖に向けて投げ捨てた。


ヘッドホンが水面を打ち、深いところへ沈んでいく――まるで意の枷を解き放つかのように。


その瞬間、トオルの隠れていた長い耳が姿を現した。彼は目を閉じ、静かに手を伸ばして耳を澄ませる。


 風が優しく吹き抜ける音、湖のさざ波が打ち寄せる音、遠くにそびえる山が反響する音、魔獣が水面を跳ねる音、背後で木々が風に揺れる音、小さな魔獣が石を登る微かな音、依織の心が脈を打つと呼吸をする音――それらが一つの生命の交響曲となり、トオルの心に響いた。


自然の調和に癒され、トオルは目を開けた。


「トオルくん、その耳は……」


依織が驚きながら声を漏らす。


トオルは耳を軽く触れ、問いかけるように言った。


「ん?初めてぼくの耳を見た感想は?」


依織は目を細め、茶目っ気たっぷりに微笑んだ。


「ふふ、なんだか知力が80点に上がりそうな感じがするわね」


「えっ……ってことは、ぼくの見た目、元は及第点以下ってこと?」


依織はくすくす笑いながら、一歩近づいてトオルを見上げた。


「さあ、どうかしら。でも、その耳、とても似合っているよ」


トオルは軽く頷いた。


「そうか」


2人は静かに目を合わせた後、再び空の彼方を見上げた。

そのとき、大きく吹き抜けた風が、2人の想いを乗せて遠くへと運んでいくように感じられた。


エピソードⅠ(完)

つづく


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ウイルター (WILLTER) 英雄列伝 鉄灰色のプリンスィピアム 響太 C.L. @chiayaka1207

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