50マイルの笑顔 (カフェシーサイド14)

帆尊歩

第1話 幸せの形 2

「で、手代は、真希ちゃんとは何もなかったの」

「遙さんは、何を期待していたんですか」僕はうんざりしたように、テーブルを拭いて回りながら言う。

「いや別に、期待なんか。従業員のプライベートに口出しするほど野暮じゃないし」といつになくぼそぼそと言う。

真希はカコと、孝と赤ちゃんを駅まで送って行った。

「情けない男だな」とどこから湧いたか、沙絵さんがコーヒーをすすりながら言う、

(変な事はするなよ。何かったら、あたしが許さん)て言ったのはどこのどいつだ。

「ホントよ、女はいつだって待たされる者、そんな気持ちが眞吾君に分って」もう一人湧いて出た。

「香澄さんいつからいたんですか?」

全くうちの客はどいつもこいつも、暇人ばかりだ。

結局あれから、僕は眠れなかった。

いくら別の部屋とはいえ、ふすま一枚隔てた所に、真希ちゃんが寝ている。

別にやましい気持ちは・・・、なかったけれど。沙絵さんの顔は何度か浮んだ。


店から少し離れたとところに町道が通っているが、軽ワゴンが止まった。

知り合いの漁師、義男の愛車だ。

義男は、防波堤から飛び込んだときに助けてもらった仲だ。

真希にちょっとだけ気がある。

中から、真希と三十半ばの男と義男が降りてきた。

真希は神妙な面持ちで、店の一番外側の席に座った。

「ここは?」

「今お世話になっているところです」

「そうなんだ。」


僕は、うちのスタッフのような顔で立っている義男の腕をつかんだ。

「誰、どういうこと」

「いや駅前でもめていたんで、連れてきた」

「そうなの」と横から遙さん。


「真希、もう一度やり直そう」

「いえ、それは」いつもの明るい真希からは、想像も出来ない硬い表情だ。

「妻にも話した。離婚してもらえる。子供もわかってくれた。親戚一同説き伏せた。もう大丈夫だ。おまえが辛い思いをする事は全て取り除いた。だから安心して一緒になれる。幸せになろう」

「どうしてここが?」

「みんなに聞いて回った。カコが戻って来ているから」

「カコから聞いたんですか?」

「いやカコは、がんとして口を割らなかった。でも孝君が、千葉に行ったと聞いて大変だった。みんなお前の居所を教えてくれなくて。まさか、千葉の外房の町にいるなんて。お前サーフィン好きだったから」一方的に話す男とは対照的に、真希は下を向いたまま黙っていた。

遙さんがオーダーを取りに行った。

「あっじゃあ、コーヒーを。真希が、お世話になっているようで、ありがとうございます」

「いえ。真希ちゃんは、ココアでいい」

「はい」沙絵さんと香澄さんは、何の関係もない客になりきっている。

僕は一度拭いたはずのテーブルを、もう一度拭いた。

ただ突っ立っている義男だけが異質だ。

「お客様、オーダーは?」遙さんがわざとらしく聞く。

「じゃあ、カプチーノを」カプチーノだ!正気かお前は、沙絵さんと、香澄さんは、吹き出しそうになるのを必死でこらえていた。

遙さんだけがポーカーフェイスだ。


「お前が身を引いたのは、何か言われたんだろ。だからこんな所に。犯人捜しをしようと思ったけれど、そんな事しても意味がない。だから全員を説き伏せた。もう誰にも何も言わせない。幸せになろう」

「みんなって、奥さんや、陽菜ちゃんは?」

「わかってくれた。イヤ分っていなくてもいい。真希は俺が絶対に守る。お前の幸せだけを守る」

「それは、他の人は、不幸になっても良いと言うことですか?」

「仕方がない。犠牲は付きものだ。真希が幸せになれれば、他は」

「なんで私がここに逃げてきたか、分りますか?」

「それは、誰かに言われたんだろう。嫌なことを、真希の事は認めないとか、幸せになれるとは思うなとか。さっきも行ったように犯人捜しはしていない。とにかく、真希を認めない人間全てを説き伏せた。真希を絶対に守る。だから二人で幸せになろう」

「それが嫌だったんです。自分の幸せの裏で不幸な人がいる。それが耐えられなかった。奥さんもそう。私の前で泣いていた。私に恨み言一つ言わず。陽菜ちゃんだってそう。涙を流しながら、「パパを幸せにしてね」なんて言われて。任せてなんて、言えるわけない」

「だからここに逃げてきたのか」

「そうよ、あたしさえいなくなれば誰も悲しまない。悲しむのはあたしだけで十分」

「じゃあ俺はどうなんだ。俺はお前がいなくなって悲しかった。ここに逃げるというのは、お前は俺を不幸にしているんだぞ」

真希が歯を食いしばって、泣くのをこらえているのが分った。

僕はたまらず真希達の方に行こうとする。その僕を遙さんが制した。

そして沙絵さんが小さく首を横に振る。

「帰ってください」

「真希、俺はこの距離、おまえの笑顔が見たい。それだけのために来たんだぞ」

「帰ってください」と真希は絞り出すように言った。


ずっと真希はバルコニーによりかかって、海を見つめている。

「真希ちゃんはあの人のこと、本当に愛していたんだね」と香澄さんが言った。

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50マイルの笑顔 (カフェシーサイド14) 帆尊歩 @hosonayumu

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