第4話

 木下きのした一馬かずまが朝家を出るとき、雨が土砂降りになっていた。

 傘を取るためにいったん玄関まで戻る。

 前にコンビニで購入した黒い傘を手に取ると、外に出てドアを閉めた。


「今日は散々な天気だな…」


 そう呟き、アパートから路地に出ると、後ろから頭を硬いなにかで殴られた。

 

 反射的に身体を横に逸らして次に続いてくる攻撃をかわす木下。


 相手は自分の攻撃を避けられると思わなかったのか、次の攻撃の機会を逃す。


 木下は相手が年下であることに気づくと同時に、自分の有利を確信した。これまでジムで鍛え続けてきた肉体は伊達じゃない。


 そのことを証明するように遅れてこちらにくる攻撃をかわし、右拳を相手に殴りつけようとしてーー。


 手が、なぜか相手に当たる寸前に止まった。


 その隙をつくように、顔面を何発も続け様に殴られる木下。


 意識を失いかけると、


「おい、逃げんじゃねえぞ」


 と男の声が木下の意識を繋ぎ止める。


 聞いたことのある声。


 たしか名前はーー。


「…あれ?」


 名前が思い出せない。

 それほどまでに木下の脳は揺さぶられていた。たしかに学校で聞き覚えのある声だったはず。


 しかし倒れた木下をさらに一本外れた路地裏まで引っ張っていく男の名前を思い出すことは、とうとうできなかった。



「なんで天王寺さんを襲った?」


 路地裏でうつ伏せになった木下に僕は問いかける。


「天王寺…? なんのことだ…」


「しらばっくれんな!」


 尚も白状しない木下に心の底からの怒りをぶつける。右足で続け様に蹴り付ける。そのたびに血を口から吐き出す木下。


「知らな…い…ほん…とうに、なん、のこと…」


 怒りはまだ収まらない。天王寺の手を傷つけた罰は、この程度であがなえるものじゃねえ!


 そんな僕の怒りと反比例するように、木下の意識は薄らいでいく。


 そのことに更なる怒りが湧いてきてーー。


「天王寺…? あ、あ…。うちの生徒? か…」


 木下の様子のおかしさに気づく。


 昨日天王寺を襲ったとは思えない反応。

 まるで今この瞬間まで天王寺が自分の生徒だと気づいていなかった、とでもいうような態度。


「どういうことだ! 天王寺さんを襲ったのはおまえじゃないのか!」


 僕が木下の胸ぐらを掴んで上に持ち上げながらそう怒鳴ると、木下は覇気のない声で言った。


「知らない…俺、じゃ、ない…。た、す、けて…」


 どういうことだ? 

 そこで僕は自分がとうてい冷静な思考ではなかったことに気づく。


 木下はそもそも、天王寺を呼び出しただけだ。

 いやそもそも、その情報は昨日音無から聞いただけで、真偽も分からない。


 なにかしらの勘違いという可能性もある。


「どういうことだ…?」


 僕のこのやり場のない怒りを誰にぶつければいいのか分からなくなった瞬間ーー。


 目の前に血まみれで倒れている木下の惨状を見て、自分自身が恐ろしくなった。



 ピンポーン。


 自宅(一人暮らしのアパート)のチャイムが鳴り、僕は眉をひそませた。


 来客があることは予測していたし、警察に捕まるのも時間の問題だと覚悟していたが、こんな早く? 

 疑問に思いつつも、小さいかろうじて外が見えるドアスコープから様子を伺うと、


「音無…?」


 黒髪の同級生が立っていた。

 何度かストーキングされてこの家まで来たことがある音無が、まだ昼間のこの時間になんのようだ…?と思ってドアを開けようとした瞬間、昨日の音無の発言が嘘だった可能性に思い当たる。


 もし仮に、あれが嘘だったとするならーー。


 辻褄は合う。


 僕が天王寺さんに向ける感情をわずかにでも知った音無は、天王寺さんを呼び出して、暴力を振るったのではないか。


 一度そう思うと、それが真実だとしか思えなくなってくる。


「一応用心しとくか…」


 所詮相手は同級生の女子だ。

 腹でも殴ればどうにでもなるだろう。

 そう思ってドアを開けてーー。


 瞬間。


 白い空気が僕の目に入ってきた。


「がっ…な、なんだ…?」


 思わず後ろに後退して空気をかわす僕に、ドアからこちらに入ってくる音無はあざ笑うような声をあげた。


「へー、やるね。催涙ガス食らったのに」


 さいるい、ガス…?


 混乱する僕になおも詰め寄ってくる音無。


「な、舐めんな…!」


 それを止めようとして腹を殴ろうとした僕の手を、軽く止められる。


「無理。私には勝てない」


 ドン!という音と共に自分が殴られたことを知る。


「あ、が…」


 痛い、痛い、痛い。


 悲鳴を上げることすらできない僕がうずくまっていると、音無はワイヤーのようなものを僕の身体に巻きつけてくる。


「お、おまえ…」


 改めて見て、ようやく気づく。音無は普段の学生服とは違う、黒いライダースーツのようなものを身につけていた。


「みーちゃん、話し合いをしない?」


「て、てめえ…」


「おっ、怖いねー。さすが人殺し一歩手前の男」


 ちっとも怖がっていないような声色で僕をあざ笑ってくる音無。


 こいつは、本当に僕が知っている音無なのか?

 そんな疑問が湧くが、音無は、


「あんまりうるさくすると近所迷惑だからねー。いくら他に住人がいないアパートだっていっても限度があるし」


 と言ってドアを内側から閉めた。


 今、室内は僕と音無のふたりだけだ。


「やっぱり、昨日のは嘘だったのか…?」


 音無は足を組んで部屋にあるテーブルに腰を下ろして、ワイヤーに縛られたせいで動けない僕を上から見下ろしている。


「うん、嘘だよ。天王寺さんに傷を負わせたのは、私」


 その言葉を聞いた瞬間、自分でも制御できない怒りが僕の身体を動かす。


 しかし固く繋がれたワイヤーのせいで、強く動かそうとすればするほど縛られた部分が痛くなる。


 ならばーー。


「がっ!!」


「だから、しゃべんなって」


 右足で僕の顔を蹴り付け、声すらまともに出せなくなる。


 しかしだからといって、この女だけは許せない。


 よりにもよって、天王寺さんを…!


「おー、さすが、遺伝子の力は絶大だねー」


「な、ん、だって…?」


 突然出てきたワードに身体を硬直させる僕。そんな僕をあざ笑うかのように、音無は言葉を続ける。


「心配しなくてもいいよー? 

 みーちゃんが殺しかけた木下先生も、みーちゃんが愛してやまない天王寺さんも、ただのアンドロイドだから」


「なにを、言って…」


 こいつ頭がおかしくなったのか? 

 そう思い音無を睨みつけるも、僕はなにもできない。


「おかしいと思わなかった? 

 あれでも木下先生は身体を鍛えてるんだよ?みーちゃん如きが勝てるわけないじゃん。いくら不意打ちといっても。

 あ、そんなこと知らなかった?」


「……」


「木下先生はアンドロイド。

 アンドロイドには本人も気づいていないけど、人間を傷つけられないようにプログラミングが施されてあるの。

 だからみーちゃんには攻撃できない」


「な、なに……」


「あ、もしかしてそんな疑問を覚える前に倒しちゃった感じ? やるねーみーちゃん!」


「そうじゃ、ねえ、よ…」


 知りたいのはそっちじゃない。


 分かっててはぐらかしてるであろう音無に対して怒りが収まらない。


「天王寺さんが、アンドロイド…?」


「うん」


 即答で断言され、僕は言葉を失う。


 それに畳み掛けるように音無は言葉を発する。


「天王寺さんは、みーちゃんが好きになるよう、みーちゃんが愛せるよう、遺伝子が調整されたアンドロイドなんだよ?」


「そ、んな…」


「おかしいと思わなかったの? 

 今までだれのことも大切に思えなかった自分が、転校してきたばかりの人間に好意を覚えられるなんて…。

 自分のことをそんな真っ当の人間だとでも思ってたの?」


「…」


「天王寺さんはアンドロイドで、みーちゃんが好きになることは最初から決まってた。

 木下先生に暴力で勝つことも決まってた。

 結局みーちゃんは自分でなにも手に入れてないんだよ?」


「……」


「まあ唯一本物だと言えるのは、私がみーちゃんに向けていた好意かもね。

 それだけはみーちゃんが手に入れたものだから」


 その言葉に、僕の胸の中は煮えくり出す。


「お、まえ、本気で言ってるのか…」


「本気だよ」


 またも即答で断言。


「私は、本気でみーちゃんのことが好きだった。だれのことも拒絶して、だれにも心を開かないみーちゃんが可愛くて仕方なかった。

 この感情だけは本物。

 …だって私は、人間だから」


 その声は、その信念は、信じるに足るだろうか。

 声音だけ聞けば心が通っているように聞こえる。

 表情だけ見れば、本物であるかのように見える。

 でも。だとしたら。


 ーー僕が天王寺さんに向ける感情も、本物のはずだ。


「そっか…」


 僕の表情を見てなにかを感じ取ったのか、音無はテーブルから降りる。


「みーちゃんはあくまでも、そっちの道を行くんだね。

 だれのことも受け入れず、ふたりだけで完結された世界。

 わかった。

 今回は私がみーちゃんを救ってあげるよ。

 法律で決まってるの。

 アンドロイドは、相手がアンドロイドだと知ったうえで行ったアンドロイドこわしは、法律でも大きな罪にはならない。

 みーちゃんが木下先生をアンドロイドだと知ったうえで壊したって、私が証言してあげる。

 なおかつ木下先生が暴走しかけていたってことも付け加えておけば、みーちゃんは無実も同然だしね」


「…ねえよ」


 必死で絞り出した声に、音無は振り返る。


「おまえの助けなんか、いらねえよ…」


「そう? でも、助けちゃう!」


 気色悪い声を出して音無は僕に背中を向けた。


「おまえ、の…」


 僕は音無との最後の邂逅かもしれないこの瞬間にも、無様な声を出すことしかできない。


「おまえの、感情こそ、本物な、わけ、ねえだろ…。

 本物なら、僕からーー」


「本物だよ」


 最後まで、音無は手を抜かない。


「好きだからこそ、みーちゃんーーーーの」



 翌日。

 傷だらけで学校の門を伺っていると、放課後の学校から天王寺さんが姿を現した。


「天王寺さん」


 僕が声をかけると、天王寺さんは最初こそ驚いたように僕の傷の具合を確認してきたが、事情を説明するために人気ひとけのいない近くの公園まで移動する。 


「私、アンドロイドなんだって」


「え?」


 一通り昨日僕が木下先生を襲ったこと、僕が音無に襲われたことを説明し終えると、天王寺さんは僕が言っていないことまで説明しはじめる。


「おととい、音無さんに言われたの。

 私がアンドロイドだってこと。

 それを否定しようとしたけどーー。

 アンドロイドじゃないんだったら私を傷つけられるでしょって刃物を音無さんから渡されてーー、私、なにもできなかった。

 音無さんを傷つけられなかったの」


「そんなの、当たり前だろ? 

 ていうか、アンドロイドってなにーー」


「それで、納得がいった」


 僕の言葉を遮るように、天王寺さんは告げる。


「私は今までの人生で、だれかを特別に思うことができなかった。

 家族にも、クラスメイトにも、冷めた視線しか向けられなかった。  

 そんな私が唯一感情を向けて見れた人は、ミリくんだけだったの」


「……」


「私はミリくんにだけ、負の感情ーーマイナスの感情を抱くことができた。  

 ミリくんに声を掛けられたくない、ミリくんに関わられたくない、ミリくんと触れ合いたくない。

 そんなミリくんに好意を向ける音無さんが、眩しかった。

 だからーーそんな音無さんからの攻撃を、かわさなかったの」


 僕はなにも言えない。

 なにも言い返せない。

 天王寺さんにここまで言わせてしまって、傷つけてしまって。


「僕は」


 天王寺さんに言う。


「僕は天王寺さんを傷つけた音無を許せないよ。

 どこにいようと、必ず音無を追い詰める。

 必ず音無を殺す。

 どれだけ彼女に助けられたとしても、彼女を殺して見せる」


 音無の最後の言葉を思い返す。


『好きだからこそ、みーちゃんから離れるの』


 自分も彼女と同じ選択肢を選ぼうとしていることに、気づきたくなかった。


ー完ー

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最後に辿り着いた感情 小田 @Oda0417

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