少し未来の夏の短編
夏である。熱暑続き、向日葵咲き誇る太陽の季節だ。
童貞、傘宮優理は酷暑の熱に参りながら部屋で冷を取っていた。社会人がせっせと働いている中、学生らしく夏休みを満喫している童貞である。
冷房は言うまでもなく、扇風機を回し続けることで室内の温度は低く保たれている。
前年の自宅爆破事件から新居へ引っ越したことにより、色々と家の機能はグレードアップした。主にセキュリティだったり設備だったり。あと、管理人が八乃院家直属のメイドになったので大家的な意味でも融通が利くようになったのだ。
メイド、という単語で管理人が誰なのかは察してほしい。「ーー私奴にすべてお任せを」等とマスターキーを胸元にしまっていたメイドである。
新生活を始めて既に半年以上。
隣人が某ヨーロピアンの血を引く貴種の美女であったり、同じ階に大家とさらに上の雇い主の部屋があったり、同居人に銀のお姫様たちがいたりと、変わったことは多い。
優理個人としては、家にテレビを置いたことが一番の変化では?と思っていたりした。つくづくネットに沈んでいる童貞である。
ちなみにネットといえば、優理運営のユツィラチャンネルは最近登録者数1000万人を突破した。祝い配信は盛大にした。同時視聴者500万人とか言う頭のおかしい数字を達成したが、それも過ぎ去った話だ。
「……一人は寂しいぜよ」
そんな超有名人となってしまった優理も、今日は一人だった。
同居人の銀のお姫様と灰髪美女は大家のお嬢様と管理人のメイドに海外旅行へ連れて行かれてしまった。お子様コンビはものすっごくウキウキしていた。
一人は「ついに海のお外のお城を見る時代がやってきてしまいました……!! ユーリと見る前にリサーチです!!」とふんすふんすし。
一人は「むふふ……ロディのみんなとも、合流するから、ね。……むふー、おみやげ、たのしみにしてて。パパ」とふんすしていた。
やはり遺伝子的に近しいためか、似通っている部分も多い二人だった。
優理も誘われたが、立て続けに色々イベントがあり過ぎて疲れていたので断った。
結果、夏ぼっちである。
「……」
どうするかと、運動後のシャワー上がりで扇風機の風を浴びながら考える。全裸童貞である。
配信の気分ではない。旅行中の誰かに連絡するのはもっとない。
大学も気分ではない。なら適当にだらだらして過ごそう。気が向いたら配信しよう。いいね。最高の休日だ。
「ーー……その、ユーリ?」
「えっ」
股間に風を当てて涼んでいた童貞に、甘やかだが落ち着いた声が届けられる。振り向くと、所在なげに立ち尽くす美少女の姿があった。
「あの……えと、ま、前を隠してくれると……助かるの、だけど……」
消え入りそうな声で、頬を染めて言う美少女。
見覚えはある。同居人の、
薄く赤みを帯びた銀の髪の、暗く澄んだ藍色の瞳の少女。
長い髪は海外旅行中のアヤメと同じで足首まで伸びている。アヤメより僅かに胸は大きいし、お尻も大きい。背は変わらず、ただスタイルだけが女性らしさを増した形だ。雰囲気はずいぶんと異なり……天真爛漫さは消え、儚さと夜空に浮かぶ三等星のような淡い切なさを漂わせている。
灯華たちに連れられ一緒に旅行中かと思っていたが……どうやら家に残っていたらしい。
彼女の名前はアヤ。
今は優理家に住む銀色お姫様の一人で、平行世界の未来からやってきたSF少女だ。
これまたSF存在であるミラクルAIのエイラによれば、『エイラの性能が低い場合、もしくは優理様の協力者が足りない場合、優理様にはアヤメ様を庇って死ぬ未来が存在します。その可能性の一部では優理様との再開を願い祈り続けるアヤメ様もまた、存在します』とかなんとか。
詳しくは教えてくれなかった。説明はできても、この世界の優理にあまり良い影響を与えないからだと言う。
まあわかりやすく、「優理が死んだ未来のアヤメ」だと思えばいいとは言われた。
現在全裸の優理と相対しているアヤは、”蘇生”ではなく”時間遡行”を選んだアヤメだった。
つまるところのタイムマシン開発である。
普通に百年単位で時間はかかったが、アヤの世界線のエイラはかなり優秀な方だったので作り上げてしまった。作り上げちゃったのである。
そして昨年、彼女は優理の部屋に現れた。あの時は本当に大変だったと、優理は過去に沈む。
☆☆☆
微かな重低音を伴い、優理の部屋のリビングにドアが現れる。意味がわからなかった。これまでもファンタジックなアレコレには遭遇してきたが、さすがにこれは謎が過ぎる。呆然としている優理に、携帯端末ーーエイラから警告が飛ぶ。
『優理様!! 異常事態発生につき全迎撃体制に移行します!! 扉より離れてください!!!』
「え、う、うん」
こんなにも焦って声を荒げているエイラは初めてだった。言われた通り急いで部屋の隅に逃げる。この場にアヤメはいない。今は隣ーーリアラの部屋に遊びに行っていたからだ。
エイラは窓の外のドローン配備、実咲への緊急コード送信、室内の簡易障壁展開までを瞬時に済ませる。
基本家の外にしか警備システムを作っていなかったので、エネルギーシールドも本当に単純な代物だ。優理の周囲に一枚張れる程度。
まさかいきなり屋内へ謎の建造物が出現するなんて想定していなかった。演算にも存在しない事象。解析は進めているが、扉一つでは判断できない。情報が足りない。
「……どうなってるんだ」
優理の言葉はゆっくり開いたドアの音に紛れた。
しゅるり、と静かな音を立てて横に開く。横開きの戸は空間に吸い込まれるようにして消えた。
そして現れる影。
冷めた眼差し。諦観と不安に満ちた瞳。それでも奥底に見える微かな光。何かへの期待、渇望。
時刻はちょうど昼過ぎ。窓から差し込む太陽が影を作っていた。
影は、人の形をしていた。長い髪に、控えめでもはっきり凹凸のわかる肢体、目を瞠るほどの美貌は妖精のよう。影は、絶世の美を持つ少女の姿をしていた。
少女は赤みを帯びた長い銀髪を引きずるように歩を進め、負感情に彩られた瞳を揺らす。部屋を眺め、無感動に、無関心に、冷め切った眼差しで室内を見回す。
そして、隅っこで壁になっていた優理と目が合った。
「……………………ぇ」
掠れた声だった。
見た目通りにソプラノで、可愛く透き通った声。雰囲気通りの冷たさを纏い、寂しさすら覚えるような声音をしていた。
そんな声の主が、優理を凝視する。
優理もまた、少女をじっと見ていた。
見覚えがある。日々起こしてあげ、ご飯を作ってあげ、時々歯磨きも手伝ってあげ、髪をまとめるのを手伝ってあげと、甲斐甲斐しく世話をしている優理家のお姫様、アイリス・アヤメにそっくりだった。
そっくり、というか瓜二つだった。
「…………ユー……リ…………?」
少女もまた、戸惑っていた。
優理がいた。普通にいた。ここはどこだと思った。知らない部屋だったから、過去のどこかだろうとは思った。失敗か、とさえ思っていた。
エイラからは『おそらくこれよりアヤ様が向かわれる過去は、アヤ様自身が体験された過去ではないでしょう。私が得られた演算機能を最大限に活用し、座標を入力しました。私はこちら側でタイムマシンの制御に全性能を費やすので同行はできません。……どのような結果であっても、私は永遠にアヤ様の幸福を願っています』と、微笑んで言われた。
互いに涙はなかった。話し合い、納得した果ての今だ。
優理ともう一度会いたい。そのためだけに他のすべてを捨ててきた。アヤメの名もその時に捨てた。世界中の情報を手に入れるためたくさんの無茶をしたし、罪も犯した。それでも諦め切れなかった。
会いたかったのだ。ただ会いたくて、逢いたくて。話したくて、声を聞きたくて、撫でてほしくて…………傍に、居てほしくて。
あと一度だけ一緒に居てくれたなら死んでもいいと思った。頑張ったねって褒めてもらって、撫でてもらいながら死ぬなら満足だったから。だから、たくさんの人にごめんなさいと謝りながら、エイラには進化してもらった。
結果、予定通りにタイムマシンが出来上がった。想定より時間はかかってしまったが、完成したからいい。
成功にしろ失敗にしろ、これで終わりだ。寿命を伸ばしたとはいえ心は疲弊する。アヤは少し……疲れてしまっていた。
そして現在である。
見知らぬ部屋に踏み入れ、やっぱり失敗かと思いながら周囲確認をして…………そして、そして。
「…………ユーリ……?」
優理を、優理のような……人を見つけた。
急に何も言わなくなったエイラに戸惑いつつも、優理は少女へ一歩近づく。逆光で見えにくかった少女の相貌がよく見える。やはり、彼女はアヤメに似ていた。
「僕は確かに優理だよ。君は?」
アヤは優理の声に目を見開いた。鮮明に刻まれた、一切色褪せることなく残る煌びやかな記憶が甦る。
はらはらと、少女の瞳から雫がこぼれる。
「え、な。ど、どうしたの? 大丈夫?」
何も言えず、アヤはイヤイヤと首を振る。
言葉なんて出なかった。出るわけがなかった。
本物だった。幾度だって夢に見た。数え切れないほど夢想した。そのたびに目覚め、引き戻され、涙した。絶叫した。嗚咽し、胸の痛みに蹲って耐えた。
時は心の傷を癒やす。でも、治りきらない傷もある。アヤにとって優理との思い出は、希望であると同時に絶望でもあった。
そんな、少女にとって正と負の象徴とも言える存在が目の前に居た。信じられず、でも自身の超直感が明確に「本物だ」と訴えてきていたから。
触れたくて、近づきたくて、褒めてほしくて、撫でてほしくて。
ほんの一歩、足を踏み出そうとして留まる。
「…………」
自分の手を見た。
世界中から最先端の技術情報を、後ろ暗い物も含めてかき集めるのに多くの時間を費やした。多くの研究”成果”を焼き捨て、醜悪の粋を集めた存在を消し飛ばした。多くの人を見捨て、縋る手を振り払い、自分のために誰かの幸福を奪い生きてきた。
血塗られた手。こんな汚れた手で、優理に触れていいのかと思った。
アヤにとって優理は光だ。唯一の輝きだ。自身に忠誠を誓ったエイラを、母であり、親友であり、半身でもあるエイラでさえも置き去りにした。できてしまった。それほどまでに、優理はアヤの心を占めていた。
自身のすべてである優理に、今の自分が触れていいのか。近づいていいのか。一度思ってしまったら、もうだめだった。足が動かなくなってしまった。
「ーーーー」
同じ世界に優理がいる。生きている。それだけで満足しよう。今度は失わないよう、影で見守ろう。守ってみせよう。この世界にいるであろう”アヤメ”が”アヤ”にならないよう、守り切ろう。
それでいい。それがいいと、自分に言い聞かせ顔を上げる。
「よく、わからないけどさ」
「ぁ」
そして、少女はすぐ傍までやってきていた優理に気づく。
優しい匂いがした。愛おしい匂いがした。幸せの、香りがした。
「そんな泣きそうな顔しないで。可愛い顔が台無しだよ」
「や、泣きそうでも可愛いけど」と付け加えた優理は、アヤの体をぎゅっと抱きしめた。労りに満ちた、静かな抱擁。
優理は童貞だが、”泣いている女の子がいる時、何をすればいいか”はよくわかっていた。そして、しっかりと行動に移せる気概も持ち合わせていた。前世で学んだ。主にゲームで。あと今世でも学んだ。主に現実で。
「ーー……ぅ……ぁ」
アヤは、静々と泣いた。
声少なく、ひたすらにたくさんの涙をこぼして泣き続けた。時折、鼻をすする音と微かな嗚咽が優理の胸元から聞こえてきていた。溜め込んだ想いを押し付けるように、少女は泣き続けた。こぼれた雫は男のシャツに染み込んでいく。忘れぬよう、離れるようにと、青色のシャツはその色を濃くしていった。
ーーしばらく後。
アヤは床の布団に座っていた。新居になってソニャも同居を始めたため、優理とアヤメの寝室は別になった。ただしリビングの布団は敷いたままだった。優理家のお姫様はすぐ近くに布団がないと「寝る場所がなくて寂しいです!」と駄々をこねたので、布団は設置されたのである。優理は「犬かな?」と思ったが胸に秘めておいた。言ったらたぶん「わんわん!」とか言ってじゃれてくるのでやめたのだ。
泣いて幾らかすっきりした赤銀のお姫様は、ぺたりと布団に座り優理と向き合っていた。家主の童貞は布団の上で胡座をかいている。
「……」
「……ん」
少女はそわそわと身じろぎし、自身の長髪に触れて気を紛らわせる。
優理は何から話せばいいかと悩み、とりあえず順番に行こうと決めた。
「君、名前は? あ、僕は優理。知ってるみたいだけど一応ね」
「え、ええ。……知っているわ。……とても、よく……知っているわよ」
「そっか」
「……私は、アヤ」
「……人違いだったら悪いんだけど……アヤメ、って呼ばれてたことある?」
「っ」
「……なるほど」
優理は童貞で割とお馬鹿だが、頭は悪くない。そして散々にサブカルチャーを味わい、最近は多くのSFに触れている変態だ。”こういう”ケースも想定していなかったわけではない。
エイラが未来演算なんていうよくわからないことを言っていた辺りで、じゃあパラレルワールドも存在するのかー。へー、くらいは思っていた。
アヤメと瓜二つ。それは何か理由があって「アヤメ」を名乗れなくなったからと考えるのが自然だ。例えば……別の自分が同じ世界にいるから、とか。
傘宮優理、痛恨のニアミスである。
『ーー優理様。状況把握完了です』
「え、うん? うん」
差し込まれたエイラの声に、優理は頷く。
アヤは。
「エイ、ラ……」
目を見開き、桃の唇を震わせる。
『アヤメ様……いいえ、アヤ様。
「……そう、よね。ええ。
アヤの肉体を解析し、現れたドアとその先に在るエネルギーを解析し、エイラは答えを得た。不要と断じて切り捨てていた未来演算の欠片を拾い、超常のAIは容易くアヤの正体にたどり着いた。
そもそも最初にエイラがアヤの髪を解析した時点で一つの予測は立てられたのだ。
アヤの銀髪に混じる赤色。そこに視える
アヤと優理の
『アヤ様。優理様の勘違いを正させていただきます』
「? 勘違い……?」
「いや。別に勘違いとかしてないと思うけど」
『アヤ様は平行世界に追われてこちらにやって来たわけではありません』
「うぇぇ!? そこまで読まれてるの!?!?」
『アヤ様の乗り物は、タイムマシンです』
「…………そっち、か」
息を吐き、瞬時に動揺から立ち戻る。
察しの良すぎるエイラには何も言わない。感謝だけだ。確かにこれは間違えられない。ひどい勘違いをしていた。
タイムマシン。過去渡り。平行世界ではなく、時間移動。横軸で問題が起きたのではなく、縦軸で問題が起きた。つまり目前のアヤは……未来で何かが起きた後のアヤメだ。
天を仰ぎ、はぁぁと深呼吸する。
別人どころではない。本人じゃないか。アヤメが? あの太陽みたいな女の子のアヤメがか? こんなになるか。
想像だけで目頭が熱くなる。
「アヤ。ごめんね」
「ぇ、きゃっ」
過去のエイラはずいぶんと優秀なのね、と。今が平行世界の過去であることを見抜いたアヤは「それでも別に……」と優理が同じだから気にはしなかった。この世界にも自分はいるらしいし、やっぱりすぐにでも居なくなった方がと思ったりもした。……けど、足は動いてくれなかった。
まだ優理の抱擁の余韻が強く残っていて、思い出して火照ってぼんやりしていた矢先、優理に押し倒された。
普段なら避けたり押し返したりといくらでもできたが、意識散漫でふわふわしていたアヤにはできなかった。それに、相手は優理だ。抵抗して怪我でもさせたら後悔してもし切れない。
「あ、の。ユーリ……?」
童貞は少女を抱きしめ押し倒し、布団に寝かせる。布団をかけ、自分は添い寝する。同居人のお子様二人(銀髪と灰髪)が雷やら大雨やらで怖がった時に、こうして添い寝して抱きしめて寝かしつけてあげるのだ。
アヤメもソニャも優理が甘やかしお子様扱いするせいで、どんどんお子様レベルが上がっていっている。とはいえ、三歳児と十歳児なのでそれも仕方ないと男は許容していた。
そのようなわけで、大体二百歳くらいのアヤは優理に抱きしめられ布団で優しく添い寝されていた。
パニックにはなっていない。アヤは既にお子様ではない。自分を慰めることも多々あったし、優理を想ってすることなんていくらでもあった。エイラと二人の生活だったため、人間的経験はない。それでも知識は豊富にあった。だから焦りはない。この程度で狼狽えるほどアヤは子供じゃなかった。
(え、ユーリが……ユーリが、私を……私を抱いて、抱い、抱いて……っ。こ、れは。その、つまり、そういうこと、なのかしら。そんなに私、魅力的に見えた、の……? いい、けれど。望んでたことではあるけれど、でも……できれば心の準備はさせてほしい……ユーリ……ユーリの匂いがいっぱい………………すき)
嘘だ。アヤはちゃんと狼狽えていた。ドキドキと胸高鳴らせ、先ほどの感動とは別種の歓びで心満たされていた。
「アヤ。少し寝よう。疲れてるよね」
「え……」
「大丈夫。アヤがどんな人生歩んできたとしても、僕はアヤの全部を許すから」
「……」
「何も知らない僕じゃ不足かもだけど、今だけは許して。大丈夫、僕はいなくならないから」
「…………うん」
少し、いやかなり肩透かしを食らった気分だが、優理の言葉は少女の胸に染み渡った。
言われた通り眠らせてもらおう。大好きな人の腕の中で眠る。もう充分だ。これで死んでも文句はない。…………少しだけ、眠ろう。疲れたから。頑張ったから。願って願って叶わなかった、愛おしい温もりが今は傍にあるのだから。
ほんの少しだけ、眠らせてもらおう。
☆☆☆
「ユーリ?」
「うん。どうかした?」
「いえ……ユーリが、ぼんやりしているようだったから……」
頬の赤みは増している。
ちらちらと視線を向ける先は優理の股間部。剥き出しのそれは風通し良く、扇風機のおかげですっかり乾き熱も取れていた。
「おっと」
優理にも羞恥心はあるので、さっさと下着を身につけ局部は隠させてもらった。アヤの照れながらも残念そうな表情はいったい何なのか。エッチだからやめてほしいと思う童貞だ。
改めて、クッションにぺたんと座る少女を見やる。小柄で、目はまん丸で可愛らしく、雪のような肌に藍色の瞳。陽光を浴びた新雪とも、真冬の氷瀑とも言える銀糸の髪。
天使か妖精のような可愛らしさは、温度のない目と感情の起伏が少ない表情、瞳に宿る哀切と銀色に混じる紅が変化を齎していた。どこか退廃的な、捕まれば奈落に引きずり込まれそうな、妖しい魅力。
華奢で儚げな部分はそのままなため、太陽ではなく月のように感じられた。それも三日月や新月の類の夜の月。
「なぁに?」
「いや何も。今日もアヤは可愛いなと思って」
可愛く小首を傾げた赤銀の少女は、微かに頬を染めて顔を俯ける。ジトッとした上目遣いにはたっぷりの抗議が詰め込まれていた。しゃなりと揺れる髪が今日も綺麗だ。
「もうっ……」
可愛いお姫様を撫で回しながら、優理は思い出す。
アヤと添い寝し、寝かしつけ、その後彼女はしばらく眠り続けた。死んだように、童話のお姫様のように本当に綺麗な顔で眠り続けたのだ。
優理はこのまま永眠するんじゃないかと思ったし、エイラも『アヤ様自身が、既に自らの生を諦め手放しています。……優理様の腕の中で死ぬならば、もういいと、そう思われたようです』と言っていた。
今も優理はアヤの過去を詳しくは知らない。聞くのは野暮だと思っているし、本人が言いたくなってからでいいと思っているからだ。
けれど、あの時はアヤに死んでほしくなかった。「僕の腕の中で死んだら一生心の傷になるだろ!」とかそういうのではない。それくらい余裕で受け入れられる。
気持ちはアヤメに向けるものと同じだ。まだ楽しんでいないだろう、と。人生、楽しみきっていないだろう。やりたいことなんていくらだってあるはずだ。食事も、旅行も、一人でするのと誰かとするのとは違う楽しみがある。世界中いろんなところへ、春夏秋冬いろんな季節に、訪れて遊んで楽しんで。めいっぱい笑って過ごす経験を、アヤはまだしていないはずだ。
それなのに満足しただって?もう死んでもいい?
だめだ。そんなのだめだ。アヤが良いと言っても、優理が嫌だった。悲しいし辛いし可哀想だし。身勝手な同情の押しつけだと言われてもいい。余計なお世話と思われてもいい。
ただただ優理は、アヤに未来を生きてほしかった。幸せを感じてほしかった。だから……。
「ーーユーリ」
「うん?」
「……私、いま幸せよ?」
目の前で微笑む少女が、あの時、深層心夢の世界で見た少女の笑みに重なる。
「ーーそっか」
手前勝手な理由で死の淵より引き戻してしまったけれど、助け出した彼女は今、きちんと幸せを感じているらしい。そのことが嬉しくて、嬉しくて。堪らないほどに嬉しくなってしまって。
「ははっ! そっか!! アヤが幸せで僕も嬉しいよーーー!!!」
「きゃっ、も、もうっ! ユーリっ……」
抱きしめ抱き上げ、くるくる回って布団に倒れ込む。
ちょうど出会った頃と同じ添い寝体勢になり、けれどあの頃と違ってアヤは困ったようにはにかみながら優理を見つめる。
「ユーリ、大好きよ」
「知ってる。僕もアヤのこと大好きなんだよね、実は」
「ふふ、知っているわ」
その”大好き”が恋由来でないこともまた、アヤは知っていた。でもそれでよかった。アヤの”大好き”とて、生半可な恋ではない。重くて痛くて苦しくて、ドロドロに溶けて血のようにこびり付いて取れなくて、長い時間で固められた狂おしいほどの愛。言うなればそれは、狂愛。
壊れそうな愛おしさで優理を見つめるアヤは、もう充分に幸せだった。満たされていた。これ以上はいらない。今は余生を生きているようなもの。運良く拾った……もしかすれば、元の世界のエイラがくれた残り火のような贈り物。
いつ消えるとも知れぬそれに執着したって仕方ない。優理が傍に居てくれるなら、生きていてくれるなら、愛してくれるなら。それだけで常日頃から満たされて満ち満ちて……とぷりと愛が溢れてしまいそうなほどにアヤは幸せだった。
「うーん、そんな愛し愛されの僕から相談です」
少女の胸中は薄々察しつつも、何も言わず”一人のお姫様”としてしか扱わない優理。そのことがまた彼女の愛を膨らませているとはさすがに気づかず、夏の日のなんでもない話を始める。
「ふふっ、ええ。私に答えられることなら……なんでも」
「それじゃあねー」
二人の時間はもうしばらく続く。
外は真夏。太陽が輝き、歩けばぶわりと額より汗が滲む世界。対してじゃれ合う二人の世界は冷房で冷やされ快適だ。
過ごしやすい部屋で、外界の熱に負けないくらいくっついて引っ付いて、だらだら過ごす二人はアツアツだった。
赤銀のお姫様は、今日も幸せいっぱい。銀のお姫様以上に、この上ない幸福を噛み締めて夏を満喫していた。
了
※あとがき
アンケート取ってから何もしないのはだめかなと思ったので、書きました。
アンケート一位は「大雪巣ごもり」でしたが、今の季節に合わせて「夏引きこもり」に変更です。
ということで、時系列は本編終了→リアラ編終了→アヤ編終了後、でした。そういうことです。
アヤを出しちゃうとリアラ編のエピローグネタバレになるので控えていたんですが、もう本編終わったしいいかなと思い登場させました。
お察しの通り、リアラ編終わってすぐアヤは出てくる予定です。何なら本当は本編の終わりで出す予定すらありました。やめましたけど。
軽くこの短編で書きましたが、アヤ編は希死念慮的なアレが主軸になり、エイラが頑張って優理が頑張って、アヤメも頑張って、なんやかんやでこれからも一緒に生きていくようになります。
詳細は煮詰めてませんが、ifストーリーで書いた感じで、重くてシリアス多めになると思います。
ひとまずこれでハナ女はいったん終わりです。リアラ編はちょっと時間置くかなと。
いろんなキャラクターが生まれたハナ女ですが、続編……というより、異世界話のようなモノは色々考えているので、投稿し始めたら告知くらいはきっとします……。媒体は結構違うかもしれません。
最後に、入れそびれたアヤ登場時のエイラの胸中を少し書いて終わります。
☆
途切れることのない涙を流すアヤメーーアヤを見て、エイラは目を伏せ息を吐いていた。
「……」
エイラは優秀だ。世界最高傑作の名は伊達でなく、容易くアヤの辿った道程を描くことができた。未来演算は「ありえない未来」とハナから梯子を外していただけであって、遡って演算し直せばすぐに結果導き出せた。
アヤの生きた未来。
それは今よりエイラの性能が幾らか低く、協力者が幾らか少ない。未来演算は中途半端にしか機能せず、優理とアヤメは逃げの一手を打つしかなかった。
知り合い全部を守ることはできず、結局優理自身が自己犠牲を選んだ。この世界におけるアヤメと同じ選択だ。違いは、彼を止める、止められる存在がいなかったこと。
優理は死に、アヤは亡骸だけを抱いて潜伏した。時間はアヤの味方だった。
その後は語るまでもない。優理の死を覆す未来を探し、時間遡行に可能性を見出し、他のすべてを犠牲に成し遂げた。あちらの世界のエイラは最後までアヤのためだけに動いたのだろう。自分でもそうする。
「……」
今、アヤは望みを叶えた。
今後の動きは未だ演算中だが、アヤが生を諦めていることだけはわかっている。満足している。疲れ果てている。エイラがいたとはいえ、叶うかわからぬ夢を描き追い続けた孤独の日々は辛かったのだろう。体は健康でも、心はボロボロだった。
「……それでも」
それでも、エイラはアヤに生きていてほしいと願った。
この世界は美しい。優理とアヤメの輝きを見た。綺麗で、尊くて、太陽よりも眩しい人の形。
アヤは別世界の住人だが、エイラにとっては崇拝し影従すべき唯一の主だ。もう二人になったので唯一ではないが。
この世すべてより大切な至宝。それがアヤメ、そしてアヤなのだ。
悲哀と絶望に満ちた過去を塗り替えるくらい、素晴らしい未来が待っていると、そう伝えたかった。
この世界の傘宮優理という男は、アヤがびっくりするくらい馬鹿で煩悩塗れで童貞でへたれで……でも、誰より愛情深く、異常なほどに優しく、目を剥くほどの行動力を持っていて、とびっきりにアヤメを大切にしてくれる。そんな男なのだ。
アヤのことも、アヤメと同等に大事にしてくれる。それだけの責任感を持つ人間だ。だから。
「アヤ様、私と優理様で、貴方様の未来を手繰り寄せてみせます。だからどうか……もう一度、この世界を信じてみてください」
リソースを未来演算に割く。
祈り、願い、アヤの未来を想って。
エイラの世界を見通す”瞳”は、もう一つの最大最幸福を求めて電子の海を見据えていた。
☆
以上です。
それでは、またいつかの文章で……。
貞操逆転×→性欲逆転世界で配信者してなりきりチャットして女装する 坂水雨木(さかみあまき) @sakami_amaki
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