第220話 クラーラの子は

 ついつい俺まで、一緒に親バカぶりを発揮してしまった。そして忘れてはいけない、さっきからずっと熱い視線を送ってくる女性が、もうひとりいることを。


「ルイーゼは、お腹いっぱいになったかな?」


 俺の台詞は……まあアレだ。この部屋に入ってきた時、クラーラは授乳中だったのだ。そのシーンをずっと眺めていればそれはそれで眼福と言えるのだろうが、残る二人の母親たちの視線が怖い。そんなわけでルイーゼのお食事がすむまで、クラーラに声をかけるのを我慢したのだ。


「ええ。この子もルッツ様に似て、おっぱいが大好きですね」


 うぐっ。ひたすら控えめで、従順を絵に描いたような女性だったクラーラが、こんなジョークをかましてくるようになるとは。成長したもんだよなあ……とか呑気なことを考えている場合じゃない、傍らに立つ陶器人形が、蝋人形に変化へんげし始めているじゃないか。


「そうか、やっぱりルッツは、胸の大きな女が好きなのだな」


「い、いやあの……まあ確かにあれはとてもいいものだけど……ちっぱいをふるふるするのもまたそそると言うか……」


 ベアトの眼光が、どんどん冷たいものになっていく。必死で弁解すればするほど、墓穴を掘ってしまっている俺がいるじゃないか。くっ……ここは仕方ない。


「お、俺……胸がどうこうじゃなくて、ベアトが大好きだ。もちろんベアトのおっぱいも好きだけど……いやいやそうじゃなくて、大好きなベアトの胸だから、触れたいんだ!」


 なぜこんなところで、声を張り上げておっぱい礼賛をせねばならないのか納得いかないが、ここは素直にならねばなるまい。そうさ、俺はベアトが大好きだ、それだけは断言できるぞ。決して身長もお胸も控えめでささやかな彼女の容姿が、俺の◯リ嗜好をくすぐるからではない……と信じたい。


 ふと目を上げれば、目の前の蝋人形が、地母神像に変化していた。優しい微笑みを浮かべつつ……なにやらフンスと鼻息が荒い気もするのは、気のせいか。


「ふむ。私もルッツが大好きだ。妬いたりしないから後はクラーラ姉と仲良くしておれ」


 そう言うなり、ベアトはアデルを伴って、政務に戻っていった。まあ、忙しいんだろうな。


「ベアトもなかなかの子ですわね。ああやって拗ねて見せれば、大切な旦那様が熱烈な愛の言葉を贈ってくれると、知っているのですから」


 え、あれって策略だったの? クラーラの言葉に、負けた気持ちになってしまう俺なのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「ずいぶん大きくなったね」


「ええ、順調です。丈夫で熱も出しませんし……それにとても賢いのです。話しかけると、半分くらい理解している感じなのです」


 微妙にクラーラにも親バカ成分が伝染してきた気もするけれど、そう言うならば声をかけない選択肢はないよな。


「ふうん、そうなのか……ほら、パパだよ」


「……うばぁ」


 何だかよくわからないが、嫌われてはいないらしい。産まれて三ケ月のファニーやエーリカより、二月ほどお姉さんのルイーゼは、もう顔もすっかり幼児のものとなり髪も伸び、可愛さ大爆発中だ。そんな子が俺の声に応えてちっちゃな手をパタパタさせて招いて誘惑してくるんだ、手を伸ばさないわけにはいかないよな。差し出した指が、ぷっくりとした両手で挟まれてむにむにされる感触は、これまた楽しい。


「あっ、ルイーゼのオーラが……」


 クラーラが、驚きの声を上げる。そして魔力などろくに感じ取れない俺にも、見えてしまった。ルイーゼの身体が、プラチナ色の光を帯びるのを。


「これってやっぱり……」


「間違いありませんわ。この子はルッツ様の魔力に反応して、光属性のオーラを出しているのです。私のお腹にいる時も、そうでしたから……」


 うん、そうだった。クラーラが身代わり神像のせいで死にかけた時、そしてものすごく難産だった、出産の時。俺が触れたそのタイミングで、クラーラのお腹が不思議な光を放ったっけなあ。やっぱり明らかに、俺の魔力に反応しているとしか思えない。無心に俺の指を求めているこの姿も……たぶん父親たる俺ではなく、彼女にとって美味しい魔力を欲しがっているだけなのだろうなあ。微妙に傷つくけど、そういうものだと思うしかない。いずれにしろ俺を求めてくれてるのは、間違いないしな。


 と……それまで俺の指をひたすらもてあそんでいたルイーゼが、突然何かに気付いたように指への執着を捨てて、なぜかその先へ手を伸ばし始めた。


「うん? 今度は何が欲しいのかな?」


「上着の袖に触りたいのでしょうか……あっ」


「クラーラ、この子の欲しいもの、わかったの?」


「ええ、それです」


 クラーラが指さす先にあるのは、シャツの袖に飾られた、大ぶりのカフスボタン。こないだベアトがどっちゃりと送ってきた身の回り品の中にあったもので……使っているところを見せないと彼女がすねるかと思って今回着けてきたのだ。ベアトのマーキングみたいな翡翠と金のやつとは別に、普段使いできる銀製のやつも準備してくれたのだけれど、そこには狼をかたどった王家の紋と、シュトゥットガルト家のライラック紋が、精密な彫金で描かれている。趣味は悪くないが、なんだかこれもベアトの所有印みたいに見えてしまう品だ。


「ルイーゼ、なんでこんなものが好きなの?」

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